2007年イギリス人生会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさんの殺人事件で整形を繰り返し2年7カ月逃亡をしていた市橋達也容疑者。
事件から16年が経とうとしていますが、整形前と整形後の市橋達也容疑者の画像はニュースや情報番組で何度も流れ、市橋達也容疑者と名前を聞くと整形後の顔画像が自然に思い浮かぶ人も多いのではないでしょうか?
2年7カ月も逃亡を続けた市橋達也容疑者。
現在はどうなっているのでしょうか?
この記事では市橋達也容疑者が逃亡で転々とした場所や、捕まった場所や逮捕に繋がったきっかけなどをまとめています。
contents
リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件の概要
2007年3月26日に千葉県市川市のマンションでイギリス人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん当時22歳が市橋達也容疑者によって殺害された事件。
事件当時の市橋達也容疑者の年齢は28歳。
事件当時、リンゼイ・アン・ホーカーさんは友人と同居しており、リンゼイ・アン・ホーカーさんが帰宅しないことを心配した友人が警察に通報。
通報を受けた警察官がリンゼイ・アン・ホーカーさんの家宅捜査を行ったところ市橋達也容疑者の電話番号とメールアドレス、市橋達也容疑者の似顔絵を描いたと思われるメモを発見。
警察官は直ぐに市橋達也容疑者の家宅捜査に急行。
部屋から出てきた市橋達也容疑者は捜査員が家に入ろうとしたところをすり抜けて非常階段を降り、裸足のまま逃走したのです。
市橋達也容疑者の家宅捜査に於いて、あらかじめ逃走を防ぐために非常階段にも捜査員を配置していたにも関わらず、市橋達也容疑者は逃走に成功したのです。
市橋達也容疑者の家宅捜査では自宅マンションのベランダに取り外し可能な浴槽が置かれており、その浴槽の中にリンゼイ・アン・ホーカーさんは全裸で前傾座位で土で埋められた状態で遺体となって発見されたのです。
逃走後、市橋達也容疑者は近隣の住宅地の物置の陰に潜んでおり、何度か捜査員に見つかりそうになりながらも再び逃走に成功。
そこから2年7カ月のも間、全国各地への逃亡劇が始まったのです。
市橋達也の逃亡先は?
市橋達也容疑者は土木作業員などをしながら全国各地を転々。
北は青森県、新潟県、北関東、熱海、関西、岡山、瀬戸大橋を渡り四国、大分県、鹿児島県、そして沖縄のオーハ島を逃亡していました。
全国各地を転々するうちにやがて大阪市西成区に潜伏し井上康介と偽名を使い、土木作業員として働き、身の危機を感じると人気のない沖縄のオーハ島に逃亡。
そして、お金が無くなると再度、大阪に向かい土木作業員をしながら逃亡生活を継続。
市橋達也容疑者は沖縄のオーハ島には4度渡っています。
オーハ島は久米島から東に1.2キロの距離に位置しており、大潮の干潮時には陸続きとなるため歩いて渡ったそうです。
オーハ島では自給自足の生活をしていたと言う市橋達也容疑者。
その生活は、まさにサバイバルでヘビを捕まえて食べたりしていたと言います。
また、捜査官が島にやってきた時は自殺をしようとトリカブトをいつも持ち歩いていたとも。
見つかりそうになると働いて貯めたお金で整形をしながら顔を変えての逃亡。
リンゼイ・アン・ホーカーさんが生き返るようにと四国のお遍路道を歩いたことなど、市橋達也容疑者は、2年7カ月に及ぶ逃亡生活を送っていた際の様子の手記を出版しています。
逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録/幻冬舎/市橋達也
市橋達也の逮捕のきっかっけ
整形をしながら別人になりすまし、2年7カ月の警察の目を潜り抜け逃亡を続けた市橋達也容疑者。
整形は美容整形や自分で行ったとこともあるとのこと。
市橋達也容疑者が行った整形は、左頬の2つのホクロ除去や、瞼を一重から二重にする手術。
その他にも鼻を高くし、小鼻を小さくする手術。
それと、少し厚めの下唇は自分でハサミを使い薄くしたと言います。
素性がバレそうになると、整形をし別人になっていった市橋達也容疑者。
逮捕のきっかけとなったのは、美容整形外科医からの通報でした。
逃亡から2年6カ月経ったときのこと。
市橋達也容疑者が住み込みで働いていたところ、仕事が終わり寮に戻るとスーツ姿の男性を発見。
市橋達也容疑者はスーツ姿の男たちを見つけるとすぐに逃げました。
「バレる」と身の危機を感じた市橋達也容疑者は土木作業で貯めた90万円を持って再び逃走。
安く整形が出来る美容外科を探し名古屋の美容外科を訪れ、眉間を高くする手術を受けます。
2009年11月5日にこの美容整形外科医は患者のカルテを整理していたところ、市橋達也容疑者のカルテを見て男性なのにホクロの除去痕があったことを不審に感じます。
テレビで報道されている市橋達也容疑者との一致部分を確認した意思は病院のスタッフを通じて警察に通報。
警察は、この美容整形外科で整形をした市橋達也容疑者の顔を公開。
手術後に公開された市橋達也容疑者の指名手配の報道を見た大阪府茨木市の建設会社が市橋達也容疑者が2009年の10月まで住み込みで働いていたことを警察に通報。
徐々に市橋達也容疑者の足取りが判明していったのです。
美容整形外科医の通報により、別人に代わった市橋達也容疑者の顔画像が報道されたことで、事件捜査は大きく発展することに繋がったのです。
市橋達也が捕まった場所
2009年11月10日。
市橋達也容疑者は神戸市東灘区の六甲船客ターミナルに居ました。
沖縄行きの乗客の中にテレビ報道されている市橋達也容疑者に似た不審者に従業員が気付きました。
当時、六甲船客ターミナルからの神戸発沖縄行きのフェリーは欠航していたため、従業員は大阪南港からだったら沖縄行きが就航していることを市橋達也容疑者に伝えます。
市橋達也容疑者は従業員からの情報を聞き、そのまま大阪南港に移動しました。
市橋達也容疑者に気が付いていた従業員は警察と大阪南港の担当者に先回りして通報。
市橋達也容疑者は大阪南港ターミナルに待機していた警察官によって身柄を拘束され逮捕に至ったのです。
2年7カ月に及ぶ市橋達也容疑者の逃亡劇に終止符が打たれました。
市橋達也の現在
2年7カ月による逃亡の末、逮捕された市橋達也容疑者。
2011年7月21日に無期懲役の判決が下されました。
市橋達也容疑者は現在、千葉刑務所で服役している可能性が大きいと言います。
また、市橋達也容疑者の現在の年齢は44歳になっているようです。
※1979年1月5日生まれ
ネット掲示板などでは千葉刑務所から長野刑務所に移送されたとの情報があるようですが、無期懲役の役囚が収容される施設は全国に8カ所しかないとのこと。
無期懲役の役囚が収容される施設があるのは、
- 旭川
- 宮城
- 千葉
- 岐阜
- 神戸
- 徳島
- 岡山
- 熊本
この8カ所だけなのだそう。
長野刑務所はないようですね。
市橋達也容疑者の最終公判が行われたのが千葉地方裁判所であることから、千葉刑務所で服役している可能性が大きいと考えられているとのことです。
また、気になる市橋達也容疑者の仮釈放については、仮釈放が認められるためには審査があり、その審査が行われるのは受刑者の刑期が30年を超えた後に審査が行われるとのこと。
無期懲役で収容された容疑者は最短でも30年は服役しなければならないことになります。
付け加えて、30年服役したからと言って仮釈放される保証はないそうです。
そして、無期懲役から仮釈放を認められる確率は0.3%で、例えば1800人の無期懲役囚に対して年間で10人ほどしか認められないということです。
市橋達也容疑者は2012年に無期懲役が確定しているので、30年後は2042年。
市橋達也容疑者は63歳になっています。
たとえ仮釈放が認められても、保護観察官による監視がつくと言うことで完全に自由の身になるという訳ではないと言うことです。
市橋達也の両親
殺人事件と言う凶悪犯行を犯した市橋達也容疑者。
どのような両親の元にどのような生い立ちに育ったのでしょうか?
市橋達也容疑者は、両親が医者と言うエリート一家に誕生しています。
出身地は岐阜県羽鳥市。
家族構成は父親、母親、2歳年上の姉。
両親がお医者さん、そしてお姉さんもお医者さんなのだそう。
父親は開業医ではなく一宮西病院に勤務する整形外科医で、外科部長をされていたとのこと。
母親は歯科医で、母親の実家の両親が歯科医院の開業医だったそうで、実家の歯科医院に勤務していたそうです。
事件後、父親は勤務していた病院を退職。
母親も歯科医は退いて、現在は岐阜県の実家でひっそりと暮らしているとのこと。
市橋達也容疑者の2歳上のお姉さんも医者で既婚者だったそうですが、事件後は離婚を申し出され岐阜県の実家に戻ったと言われています。
市橋達也容疑者とお姉さんは普段から仲が悪く、お姉さんの結婚式に市橋達也容疑者は出席していなかったと言うことです。
市橋達也容疑者の事件で、絵にかいたようなエリート一家は奈落の底に突き落とされる形となってしまいました。
両親やお姉さんも医者と言う恵まれた環境に育ちながら、市橋達也容疑者はなぜ犯罪者になってしまったのでしょうか?
市橋達也の高校と大学
医者という環境に育った市橋達也容疑者ですが、家庭環境もあり医学部に進学することは自然な流れであったようです。
市橋達也容疑者の学歴です。
●岐阜県立羽鳥北高等学校(偏差値53)
●横浜国立大学夜間部(大学2年で中退)
●千葉大学園芸学部
医学部を目指していた市橋達也容疑者ですが、なかなか合格できずに4浪しています。
横浜国立大学の夜間部は2年で中退。
4浪の末に千葉大学園芸学部に入学し、26歳で卒業しています。
最終的に千葉大学に進学し卒業していますが、目指していた医学部には入れませんでした。
市橋達也容疑者の中学生時代はバスケ部に所属し、副キャプテンや生徒会役員を務めるなど学校でも目立つ存在であったようです。
高校では陸上部に所属。
徒競走が得意で学年で一番足が速かったそうです。
千葉大学を卒業した市橋達也容疑者は定職に就くことはありませんでした。
実家の両親から毎月15万円の仕送りがあり、そのお金で生活。
事実上、ニートでした。
社会に出ない息子を心配した両親は、心を鬼にして「もう仕送りはしない」と宣言。
実家の両親が「もう仕送りはしない」と伝えたのは、リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件が起こる数日前だったそうです。
両親からの仕送り停止宣言が事件の引き金となってしまったのでしょうか?
2007年3月26日に事件は起きてしまいました。
市橋達也容疑者の両親は事件後、謝罪し、被害者となってしまったリンゼイ・アン・ホーカーさんの両親が来日する度に旅費を出していたそうです。
自分以外の家族が全員医者と言う環境に育った市橋達也容疑者。
恵まれた環境であったからこそ、自分には達成できなかったことへの苦悩や葛藤があったでしょうか?
どんなことであれ、人の命を奪った罪は大きいです。
犠牲になられたリンゼイ・アン・ホーカーさんのご冥福を祈るばかりです。
まとめ
整形を繰り返しながら別人になりすまし、2年7カ月もの間警察の目を潜り抜け逃亡を続けた市橋達也容疑者の現在や事件の概要、両親について紹介しました。
最後までお読み下さりありがとうございます。
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