少年隊のメンバーとしてアイドル時代を君臨してきた東山紀之さん。
東山紀之さんの現在は俳優や司会者、ナレーター、キャスターなど幅広く活躍されています。
アイドルからレジェンドに順調にシフトされた感じで、貫禄もあり硬派な雰囲気を漂っていますね。
そんな東山紀之さんですが、実は幼少期から青年期までの生い立ちが壮絶であったことが本人の著書によって語られています。
カワサキ・キッド/朝日新聞出版/東山紀之
そこでこの記事では
- 東山紀之さんのプロフィール
- 東山紀之さんの生い立ち
- 東山紀之さんの学歴
- 東山紀之さんのデビューのきっかけ
について紹介しています。
それでは早速いってみましょう!
contents
東山紀之のプロフィール
東山紀之さんのプロフィールからどうぞ。
- 本名: 東山紀之
- 生年月日: 1966年9月30日
- 出身地: 神奈川県川崎市幸区塚越
- 血液型: A型
- 身長: 178センチ
- 職業: 俳優、歌手、タレント、司会者、ナレーター
- 活動期間: 1979年~(13歳~)
- 配偶者: 木村佳乃(2010年~)
東山紀之さんは神奈川県川崎市の出身で、2023年の誕生日で57歳です。
私生活では2010年10月23日に舞台の共演がきっかけで2年半の交際を経て女優の木村佳乃さんと結婚されています。
俳優の遠藤憲一さんがキューピットになったそうですよ。
- 2011年11月4日: 第一子長女誕生
- 2013年5月29日: 第二子次女誕生
東山紀之さんと木村佳乃さんの間には二人の娘さんが誕生しています。
仕事も私生活も順調のようです。
しかし、現在の東山紀之さんからは想像し難いようですが東山紀之さんの生い立ちはかなり壮絶なものでした。
東山紀之の生い立ち
東山紀之さんの両親は東山さんが3歳の時に離婚をしています。
両親の離婚の原因は父親の影響が大きかったようです。
東山紀之さんを検索すると「ロシア」と言うキーワードが出てきます。
東山紀之さんとロシアの関係は、、、?
東山紀之さんの父方の祖父が日本人とロシア人のハーフだったそうです。
東山紀之さんの父親はクォーターと言うことに成ります。
●ハーフとクォーターの違いは?
「ハーフ」は「半分」の意味で、そのハーフの子の両親のうちの片方が外人の場合はハーフになります。
「クォーター」は「四分の一」の意味。 だから、そのハーフの子の両親の、そのまた両親(ハーフの子からみたら祖父、祖母のどちらか)の片方1人が外人の場合がクォーターになります。
父親が日本とロシアのクォーターということで、東山紀之さんの整った顔立ちも父親のルーツが関係しているのかもしれませんね。
さて、話を戻しまして
東山紀之さんの父親と祖父は二人揃ってギャンブル好きだったそうです。
また、祖父は酒乱気味であったようで酒に酔って暴れた際にポットのお湯をこぼしてしまい、その熱湯が東山紀之さんの足にかかってしまい、大やけどを負ってしまった過去もあります。
東山紀之さんの母親はそんな夫と祖父に対して我慢の限界だったのでしょう。
東山紀之さんが3歳の時に離婚に至っています。
両親が3歳の時に離婚したため、東山紀之さんは父親の記憶は殆どないそうですよ。
両親が離婚に至るまでは、東山紀之さんは川崎市で誕生し、その後岡山県に移住。
岡山県から愛知県名古屋市に移住し、引っ越しを繰り返していました。
ギャンブル好きの父親の職業が定まらなかったからでしょうか?
そんな背景が見え隠れするようです。
離婚後は母親は東山紀之さんと3歳年下の妹を連れて再び川崎市に戻っています。
離婚後、母親は再婚しますが、この再婚相手も暴力を振るなど男運がなく、直ぐに離婚に至っています。
女手一つで東山紀之さんと3歳下の妹を育てることになった母親は、理容室で懸命に働きながら一家を支えたようです。
当時は、川崎のコリアタウンの風呂なしのアパートに住んでいたとのこと。
コリアタウンとは?
大正から戦時中にかけて朝鮮半島から川崎に移り住んだ人々が多く居住し発展してきた地域。
現在では“多文化共生”の街として、焼肉などの食文化を中心に日韓友好の架け橋になってい
ます。
焼肉屋の他にも香辛料などの韓国の食材を直輸入販売しているお店もあり、手頃な価格で本場の焼肉
や韓国料理を味わえる店が建ち並んでいます。
「コリアタウン」ちょっと、興味深い街ですね。
母親が理容師で懸命に生計を立てるのもも、女手一つでの都会暮らし。
生活は貧困だったと言います。
近所の焼肉店の主人が、よくお店出している豚足を食べさせてくれて空腹をしのぐことが出来たと言います。
このことに関して、東山紀之さんは大人になっても忘れずに感謝していると述べています。
また、当時のコリアタウンの街全体が貧困家庭が殆どであったため、東山紀之さんはそういうものだと当たり前に感じていたと言うことです。
現在は芸能人として大成功を収め、木村佳乃さんとも幸せな家庭を築いておりセレブ感が漂っていますが、実は東山紀之さんの生い立ちは決して裕福なものではなかったのです。
東山紀之の学歴
東山紀之さんは3歳までは川崎から岡山、愛知県は名古屋と引っ越しを繰り返していますが、両親が離婚後は再び川崎市で暮らしています。
東山紀之さんの学歴と子供の頃の様子をまとめてみました。
- 川崎市立大島保育園
- 川崎市立東桜本小学校(現在の川崎市立さくら小学校)
- 川崎市立古川小学校
- 川崎市立塚越中学校
- 私立明治大学付属中野高等学校(定時制)中退
東山紀之さんは川崎市立の公立の小学校、中学校を卒業しています。
小学校時代は3年生の時から6年生まで剣道教室に通っていたそうです。
6年生の時には横浜市剣道大会の地区大会で優勝しています。
母子家庭でありながら剣道教室い通うなど、母親が懸命に子育てに奮闘してきた背景が想像できますね。
東山紀之さんは、中学校になるとバスケットボール部に入部。
1年生のときからレギュラー出場し、2年生では神奈川県大会で準優勝を飾っています。
3年生になるとキャプテンになり、中学校3年間はバスケットボールに打ち込み、充実した中学時代を過ごしたようです。
剣道やバスケとボールで活躍されてきた東山紀之さんのスポーツの才能が光りますね!
東山紀之のジャニーズ入りのきっかけ
東山紀之さんがジャニーズ事務所に所属したのは1979年のこと。
東山紀之さんが13歳・中学一年生の時です。
東山紀之さんのデビュー当時の流れがこちら
- 1979年:ジャニーズ事務所入所
- 1982年: 少年隊に加入
- 1984年: 少年隊でビデオデビュー
- 1985年: 少年隊でレコードデビュー「仮面舞踏会」
- 1987年: 「荒野のテレビマン」で連続ドラマ初主演
- 1993年: NHK大河ドラマ「琉球の風」主演
東山紀之さんがジャニーズ事務所に所属するきっかけとなったのは、ジャニー喜多川さん本人によるスカウトでした。
小学6年生の終わりの頃に東山紀之さんは理容師をしていた母親から音楽番組「レッツゴーヤング」の公開収録のチケットをもらい、友達3人でHNKホールに観覧に行ったときのこと。
その帰り道、渋谷のスクランブル交差点で信号待ちをしていたところ、当時坊主頭だった東山紀之さんの姿が、車で通りかかったジャニー喜多川さんの目に止まったのでした。
ジャニー喜多川さんは直ぐに車から降りてきて東山紀之さんに声をかけ、その場でスカウトしたそうです。
ジャニーズ事務所では、ジャニー喜多川さんが自らスカウトをすることは非常に稀であったそうです。
車に乗っていたジャニー喜多川さんの目に止まるほど、当時の東山少年は何か輝ける原石のようなモノを秘めていたのかもしれません。
また、一目でスカウトしたジャニー喜多川さんの将来のスター性を見出す才能は凄いなとつくづく感じるエピソードですね。
中学一年生の時にジャニーズ事務所に所属した東山紀之さんは、中学3年間は自宅から通っていたようです。
中学時代はバスケットボールに打ち込んでいたこともあり、本格的に活動し始めたのは高校に進学する時でした。
東山紀之さんは芸能活動をするため、進学した高校は私立明治大学付属中野高等学校の定時制でした。
高校進学と同時に東山紀之さんは、ジャニーズ事務所の合宿所で生活をスタートさせています。
当時の合宿所は原宿にあり、そこには川崎麻世さん、田原俊彦さん、近藤真彦さん、錦織一清さん、植草一秀さんらと10人ほどで合同生活を始めたということです。
今見てみると、凄いメンバーが揃っていましたね!
東山紀之さんのジャニーズ生活はレッスン生として歌やダンスのレッスンを受けながら先輩タレントのバックダンサーを務めるところから始まりました。
その後、芸能活動に専念するために、明治大学付属中野高等学校は中退しています。
少年隊のアイドルグループから俳優や司会業とキャリアを積んできた東山紀之さん。
東山紀之さんは芸道以外のことには一切手を出さないと決めているそうです。
と言うのも、母親が理容師として自分のお店を持とうとしたり、東山紀之さんのためにと思いマンションをいくつか購入したにもかかわらずバブル崩壊で借金だけが残り、東山紀之さんが7年かけて借金の返済をしたそうです。
母親の商才がないことは自分も血を引いているので、芸道以外は一切手を出さないと決めた経緯があったと言うことのようです。
東山紀之さんは今後もずっと、芸能の中に身を置いていくことでしょう。
それと言うのも、生い立ちが大きく関係しており、家族を守る覚悟がしっかりと備わっている証しでもあるように感じられますね。
まとめ
東山紀之さんの生い立ちや学歴、ジャニーズ事務所に入所したきっかけを中心に紹介しました。
今ではすっかり、セレブ感漂う東山紀之さんですが父親のギャンブルや祖父の酒乱など壮絶な生い立ちを背負っていました。
そんな生い立ちがあるからこそ、現在は地にしっかりと足のついた人生を送られており、デビューから40年以上もの長い間芸能界で活躍されているのだと思いました。
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