重信房子の学歴は明治大学の夜間部!生い立ちからしてテロリスト?

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2022年5月28日に刑期満了で出所した重信房子氏。

重信房子氏は元日本赤軍の最高幹部のリーダーとして多数のハイジャック事件や大使館占拠事件、襲撃事件を起こしてきたテロリストです。

女性でありながらテロリストとしてリーダー的存在だった重信房子氏は、どのような学歴の持ち主なのでしょうか?

この記事では元日本赤軍のリーダー重信房子氏の学歴や生い立ちを中心にまとめています。

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重信房子の生い立ち

重信房子氏の生い立ちをプロフィールと共に紹介します。

本名(戸籍上の名前): 奥平房子

生年月日: 1945年9月28日

出身地:  東京都世田谷区

重信房子氏は東京都世田谷区の出身で2022年で77歳です。

戸籍上の名前は「奥平房子」。

これは、元日本赤軍の創立メンバーで最高幹部であった奥平剛士氏と結婚した経緯があり、戸籍上の名前は「奥平房子」です。

ただ、この奥平剛士との結婚は偽装結婚でした。

重信房子氏は東京都世田谷区で食料品店などを営む両親の元に4人兄弟の次女として誕生しています。

重信房子氏の父親は商売っけが殆どなく、家計は厳しい状態だったと言います。

また、重信房子氏の父親の重信末男氏は、第二次世界大戦前の血盟団事件に関わった右翼団体金鶏学院の門下生でした。

門下生ということで、金鶏学院のメンバーではありませんでした。

後に重信房子氏は学生運動に関わりを持ち、共産主義者同盟派の創立メンバーに加わることになるのですが、これは父親の影響が大きかったと言われています。

重信房子氏は父親ととても仲が良く、ファザコンであったとのこと。

その父親が金鶏学院の門下生であったことで、房子氏も父親から大きな影響を受けて育ったと言われています。

重信房子氏は世界的にも注目されるテロリストになるのですが、幼少期から学生時代の房子氏はとても可愛らしく美人で、近所や学校では有名で注目をされていたそうです。

また重信房子氏は文学少女でもあったとのこと。

可愛らしい容姿と文学少女であった重信房子氏ですが、父親の商売っ気のなさで生活が厳しかったことなどの背景から高校時代は不良の装いをするようになっていったと言います。

次項より重信房子氏の学歴を見ていきましょう。

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重信房子の学歴

重信房子氏の学歴です。

●東京都立第一商業高等部

●明治大学文学部史学地理学学科(夜間部卒業)

重信房子氏の進学した高校は東京都立第一商業高等学校で偏差値は45。

高校時代の重信房子氏は渋谷で不良を装っていたそうです。

高校卒業後はキッコーマンに就職します。

しかし、教員になることの夢を持っていた重信房子氏は夢をかなえるべく、19歳で大学進学を果たしています。

進学した大学は明治大学。

昼間はキッコーマンで働きながら夜間の大学に通い卒業しています。

この当時は大学生の間では学生運動が盛んでした。

そんな時代の背景にのみ込まれるように重信房子氏も自然に学生運動に参加するようになって行きます。

ちょうどその頃に学費の値上げに反対する明大闘争が起こり、重信房子氏も参加しました。

この明大闘争に参加したことで、重信房子氏は後に連合赤軍のメンバーとなる遠山美枝子と出会い意気投合し、親交を深めるようになって行きます。

その後、重信房子氏は共産主義者同盟に加入。

後に日本赤軍、連合赤軍の母体となる赤軍派の創立メンバーに加わります。

こうして重信房子氏は新左翼党派として活動をスタートさせます。

1970年代になってからパレスチナで日本赤軍を結成させ、最高指導者のリーダーに上りつめていたのです。

重信房子氏は革命運動としてハイジャック事件や無差別殺人事件、外国の政府要人や多数の民間人を人質に取りテロを繰り返しました。

そんな重信房子氏は世界各国に恐怖を与えて、昭和史に残る事件を残していくのでした。

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重信房子のハーグ事件

昭和史に残る事件の一つ、「ハーグ事件」。

ハーグ事件は1974年9月14日にオランダのデンハーグにあるフランス大使館に人質を取って立てこもったテロ事件です。

同時に重信房子氏が国際手配を受けることに繋がったっ事件でもあります。

日本赤軍はフランス大使館を襲撃し大使らを人質に立てこもり、フランス当局に捕まっていた仲間の開放を求めました。

フランス当局は日本赤軍の要求に応えました。

このフランス大使館立てこもり事件には重信房子氏も直接関わっていたとされています。

日本赤軍のメンバーはその後シリアに逃亡。

このハーグ事件で重信房子氏は国際手配されたのです。

このハーグ事件から20年以上、重信房子氏は逃亡生活を送ります。

そして偽装パスポートを使い日本に不法侵入を果たし、大阪のマンションに潜伏。

ハーグ事件から26年経った2000年11月に潜伏先の大阪で公安に見つかり逮捕に至っています。

重信房子氏は2006年に東京地方裁判所で懲役20年の判決が下されました。

重信房子氏は2001年に獄中から日本赤軍が実質的な崩壊状態になったことを理由に日本赤軍の解散を発表しています。

獄中、重信房子氏は癌に罹患し、4度の手術と9つの癌の摘出をしています。

そして2022年5月28日に刑期満了で出所となっています。

文学少女であった重信房子氏は教員を目指すことで明治大学夜間部に進学したことで学生運動の参加を機に革命家としての道を歩みはじめ、様々な事件を起こしたテロリストのリーダー格として波乱の人生を歩みました。

20年間の獄中生活は重信房子氏にとってはどんな思いであったことでしょうか。

また残された晩年をどのような思いで過ごして行かれるのでしょうか。

昭和史に残る世界を揺るがせた大きな事件を起こした重信房子氏。

女性でありながら日本赤軍のリーダーとして君臨したその手腕はやはり「大物」と言うことばがピッタリとくるようです。

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まとめ

元日本赤軍の最高幹部、リーダーの重信房子氏の学歴や生い立ちを中心に紹介しました。

最後までお読み下さりありがとうございます。

重信房子氏の娘や夫についてはこちらの記事に詳しく書かれています。

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