2023年夏の甲子園、茨城代表の土浦日大高校を率いる小菅勲監督の采配に注目が集まっています。
小菅勲監督は、名監督として知られる木内幸男監督の教え子で取手二高時代に全国制覇をした時のメンバーの一人です。
そこでこの記事で土浦日大高校の小菅勲監督の経歴や取手二高時代を中心にまとめてみました。
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【土浦日大】小菅勲監督の取手二高時代
土浦日大の小菅勲監督の采配に注目が集まっています。
小菅勲監督は野球の名将と言われる木内幸男監督率いる取手二高時代の1984年の夏の甲子園で、当時KKコンビ(桑田投手・清原選手)で注目を集めていたPL学園を抑えて全国制覇を遂げています。
ちなみに、桑田真澄投手と清原和博選手がPL学園時代の高校3年間の甲子園で唯一負けたのが取手二高だけでした。
取手二高時代の小菅勲監督は9番で3塁手で活躍。
PL学園との決勝戦のスターティングメンバーがこちら。
1(遊)吉田 (主将)
2(二)佐々木
3(左)下田
4(一)桑原
5(捕)中島
6(投)石田
7(右)平岡
8(中)塙
9(三)小菅
木内幸男監督率いる取手二高の選手たちの印象は天真爛漫と言った感じでしょうか?
特に目立っていたのは主将の吉田隆内野手や投手の石田文樹投手、中島彰一捕手らが印象に残っています。
高校野球のエリート校のPL学園と比べると、田舎のヤンキー軍団球児のように映っていたかと思います。
実際に取手二高球児たちのやんちゃなエピソードも残っているようです。
●決勝の相手となったPL学園の清原選手のスパイクをグランドの砂の中に埋めて隠した
●1回戦勝利を挙げた時の引き上げる際に騒いで関係者から怒られた
●2回戦に登場した際にスタンドに手を振って関係者に怒られた
などのエピソードが残っているようです。
特に清原選手のスパイクを砂に埋めて隠したとエピソードは、現在であったら大きな問題になりかねないですね。
甲子園球場での立ち居振る舞いに関係者から叱責された際は、木内監督は一言も選手を怒ることはしなかったそうです。
それよりも選手たちをリラックスさせるため、甲子園に滞在中に海水浴に連れていくなど、緊張から解き放せていたようです。
小菅勲監督の取手二高時代は、木内マジックで知られる木内幸男監督の教え子で1984年の夏の甲子園で9番3塁手として活躍していました。
小菅勲監督のプロフィール
小菅勲監督の年齢をはじめ出身地です。
生年月日: 1966年生まれ
出身地: 茨城県水海道市(現在の常総市)
学歴: 茨城県立取手二高
法政大学
小菅勲監督は1966年生まれで、2023年で57歳になるようです。
出身地は茨城県水海道市(現在の常総市)。
小菅勲監督は取手二高を卒業後は法政大学に進学。
法政大学では野球を継続していますが、取手二高時代に全国制覇を達成し燃え尽きてしまった感じがあったようで、大学を卒業する際は「野球はもういい」と言う気持ちが強く、大学卒業後は野球の道には進みませんでした。
法政大学卒業後は地元茨城県に戻り、伊奈町(現在のつくばみらい市)の役場職員になっています。
大学卒業後に地元茨城に戻り公務員の道を選んだ小菅勲監督の地元愛が伝わってくるようです。
小菅勲監督の経歴
小菅勲監督の法政大学卒業後の経歴です。
- 法政大学卒業
- 伊奈町役場勤務
- 26歳で教員免許取得
- 1993年から茨城県立伊奈高等学校赴任
- 1996年夏の茨城大会で準優勝
- 2000年茨城県立下妻二高に赴任
- 2004年夏の甲子園出場(下妻二高初出場)
- 2009年下妻二高春の選抜出場
- 2016年3月31日付けで茨城県立下妻二高を退職
- 2016年4月1日付けで私立土浦日大高校に赴任
- 2017年夏の甲子園出場(土浦日大31年ぶり3回目の出場)
- 2018年2年連続夏の甲子園出場(土浦日大4度目の出場)
- 2023年夏の甲子園出場(土浦日大5度目の出場)
小菅勲監督は「野球はもういい。」と法政大学卒業後は地元茨城県に戻り伊奈町(現在のつくばみらい市)の役場職員として働きます。
役場職員として働く中で役場のソフトボール大会で野球の勝利した時の喜びを味わい、再び野球に携わることに。
当時、取手二高から常総学院の監督に就任していた木内監督から声が掛かり、木内監督の元でコーチをしながら教員免許の取得を目指します。
小菅勲監督が26歳の時に教員免許を取得。
1993年(平成5年)に茨城県立伊奈高等学校に赴任し教員生活を送りながら、野球部の顧問を務めてます。
伊奈高校に赴任してから3年目の夏の茨城大会では準優勝という結果を残しています。
この時の対戦相手は私立水戸短大付属高校で2対1と惜しくも甲子園出場は果たせませんでした。
2000年(平成12年)に伊奈高等学校から茨城県立下妻二高に異動となります。
下妻二高に赴任して4年目にして2004年の夏の甲子園に出場。
この時は初戦敗退。
下妻二高時代の2009年、春の選抜で2度目の甲子園出場を果たします。
この時も初戦敗退でした。
その後2016年3月31日付けで茨城県立下妻二高を退職。
2016年4月1日付けで私立土浦日大高校に就任しています。
小菅勲監督が土浦日大高校の野球部の監督に就任した理由は、土浦日大高校の幹部の方たちの熱意が伝ってきたからと言います。
また、専任の監督としてではなく、教員として誘われたことも大きかったとのこと。
そして土浦日大に就任してから2年目の2017年に土浦日大31年ぶり3回目の甲子園出場を果たします。
1回戦で長野県代表の松商学園と対戦し、12対3で初戦敗退。
続く2018年も2年連続で甲子園出場を果たしています。
2018年の大会では初戦に沖縄県興南高校と対戦し、6対2で敗退。
2023年夏の甲子園に土浦日大5度目の出場を果たします。
小菅勲監督は甲子園では木内監督のような大きな成績はまだ残せていませんが、赴任先それぞれの高校を甲子園に導いてきたことは、指導者としての素質を持ち合わせていることでしょう。
また、木内幸男監督からもしっかりと木内マジックを受け継いでいるようですね。
また、土浦日大の選手をみると坊主頭ではないことにも目が行きますが、2016年に土浦日大高校の野球部の監督に就任した際に小菅勲監督が、「髪型は校則の範囲内で自由でよい」と提案をしたとのこと。
そのような自由にさせる発想も小菅勲監督が木内幸男監督から受け継いできたことの一つだと言うことです。
それに加えて、試合後のインタビューでも小菅勲監督の茨城弁が随所に出ていますが、小菅勲監督の茨城弁まじりのインタビューも木内幸男監督からしっかりと受け継いでいますね。
小菅勲監督の今後の采配も楽しみです。
まとめ
土浦日大の小菅勲監督の経歴や出身地、取手二高時代について紹介しました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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