重信房子の娘はメイでハーフ!夫はレバノン人で最初の夫は偽装結婚!

事件事故
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元日本赤軍の最高幹部として女性でありながらリーダーとして活躍していた重信房子氏。

2022年5月には刑期満了で出所しています。

日本赤軍のリーダーとして活動されてきた重信房子氏ですが、結婚して夫や子供はいたのでしょうか?

この記事では元日本赤軍リーダーの重信房子氏の娘と夫についてまとめています。

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重信房子の夫

学生運動の参加を機に赤軍派創立のメンバーに加わり、本格的に新左翼党派として活動を始めて行った重信房子氏。

1970年代になるとパレスチナで日本赤軍を結成し、最高指導者に君臨。

革命の運動として数々のハイジャック事件や人質をとり立てこもるなどのテロ事件など昭和史に残る大きな事件を起こしてきた重信房子氏。

その波乱に満ちた人生に於いて、プライベートでは結婚し一人の娘さんにも恵まれています。

重信房子氏が最初に結婚したのは1971年のこと。

丁度、日本赤軍派がパレスチナに海外基地を作ろうとしていた時でした。

重信房子氏が最初に結婚したのは、奥平剛士氏。

重信房子氏は奥平剛士と婚姻届けを提出し、1971年2月に「奥平房子」のパスポートで出国しています。

後に、この結婚は偽装結婚であったことが判明しています。

ただ、現在も重信房子氏の戸籍上の名前は「奥平房子」となっています。

重信房子氏の最初の結婚相手となった奥平剛士氏は元日本赤軍の創立メンバーで最高幹部であった方です。

奥平剛士氏は岡山県の出身で岡山県立岡山朝日高校から京都大学二学部に進学し、京都大学の在学中にセツルメント活動に参加。

その後、全共闘運動に参加した革命家となりやがてはテロリストになっています。

奥平剛士氏は1972年5月30日にテルアビブ空港乱射事件のテロ行為を起こし、その事件の最中に命を落としています。

テルアビブ空港乱射事件は民間人23人を殺害、合計100人以上の無差別殺傷事件で、奥平剛士を始め安田安之氏と岡本公之氏らと乱射事件を起こしています。

この事件で奥平剛士氏と安田安之氏が命を落としていますが、死因は「空港警備隊との銃撃戦で射殺された」や「安田と共に自爆した」等諸説あるようで、真相は未だに明かになっていません。

重信房子氏は奥平剛士と偽装結婚だったことは、レバノンの現地では別々のアパートに暮らしていたことや房子氏がレバノンの日本人に「あの人は本当の主人ではない。」と説明していたことが判明しています。

奥平剛士氏が自爆テロとも言える事件で命を落としてからは、重信房子氏が奥平剛士氏に変わって日本赤軍のリーダーに君臨。

日本赤軍の最高幹部に上りつめています。

やがて重信房子氏は現地でパレスチナ人と恋に落ち、娘を授かっています。

重信房子氏の夫となったパレスチナ人も活動家でした。

重信房子氏の夫はイスラエルとの闘争中に亡くなっています。

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重信房子の娘

偽装結婚の後にパレスチナ人の夫と結婚した重信房子氏。

パレスチナ人の夫の間に娘を一人授かっています。

重信房子の娘が重信メイさん。

現在はジャーナリストとして活動されています。

重信メイさんの画像がこちら。

出典:ツイッター

母親の重信房子氏も美人で注目を集めていましたが、娘さんのメイさんも目鼻立ちの整った美人な方ですね。

周囲からは、美人で聡明で人懐こい人だと評判のようです。

重信メイさんのプロフィールがこちら。

生年月日: 1973年3月1日

出身地: レバノン・ベイルート

学歴: ベイルートアメリカン大学

    ベイルートアメリカン大学大学院国際政治学科

    同志社大学大学院社会学研究科メディア学博士課程修了

職業: ジャーナリスト

重信房子氏の娘さん重信メイさんは、レバノンのベイルートで誕生しています。

2022年で49歳です。

重信房子氏の娘メイさんはレバノン大学でジャーナリズムを学び、ニュースキャスターや女優業を経て現在はジャーナリストとして活躍されています。

母親の重信房子氏が国際手配をされていた影響でメイさんは28年間、無国籍でした。

2000年に母親の重信房子氏が潜伏先の大阪で逮捕されたことをきっかけに、2001年にメイさんは日本国籍を取得し、初来日を果たしています。

日本に来日されてからは同志社大学大学院でメディア学を学んでいます。

メイさんは日本語、英語、アラビア語が堪能なトライリンガルです。

日本では河合塾の英語講師やAFP通信社の記者やリポーターを経験を経て、中東放送センター東京特派員として活躍されています。

母親が日本赤軍メンバーであったことで、国籍を取得出来なかったり潜伏生活を余儀なくされるなど、メイさんの人生に於いても母親の影響を大きく受けて育ったメイさん。

そんなメイさんですが、母親、重信房子氏との関係は至って良好だったと言います。

しかし、辛かったこともあったことも事実で、友人や恋人が出来ても嘘を重ねていかなければならないことが一番辛かったと言います。

嘘がバレそうになると、メイさんは連絡もせずに消えていったそうです。

そのことが友人や恋人に対して大変に申し訳なかったと述べています。

そんなメイさんが母親重信房子氏と逃亡生活を送っていたことを綴った本を出版されています。

重信メイさんには日本の妹と弟がいると言われています。

ただ、この妹と弟は重信房氏の同志の子供であって、メイさんとはまったく血の繋がりはないと言うことです。

重信房子氏の子供はメイさん一人だけです。

現在、メイさんは結婚しておらずに独身のようです。

2022年5月28日に重信房子氏が出所する際には、「お疲れ様と言って抱きしめてあげたい。」と述べており、母親に対して強い愛情を持っていることが伺えました。

重信房子氏にはパレスチナ人の夫の間に一人の娘さんがいました。

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まとめ

元日本赤軍のリーダーの重信房子氏の娘さんや夫について紹介しました。

最後までお読み下さりありがとうございます。

重信房子氏の学歴や生い立ち、日本赤軍のメンバーになるまでの経緯についてはこちらの記事をご覧ください。

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