河瀬直美の生い立ちと学歴について!結婚して旦那さんや子供はいる?

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東京オリンピックの公式映画の監督に就任して一躍有名になった映画監督の河瀬直美監督。

自分で映画の道を切り開いて成功を掴みとった河瀬直美監督ですが、その背景には壮絶な生い立ちも関係しているようです。

この記事では河瀬直美監督の生い立ちと学歴、結婚した旦那さんや子供についてまとめています。

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河瀬直美監督の生い立ち

1997年に27歳で史上最年少でカンヌ国際映画祭で新人監督賞を受賞した河瀬直美監督。

映画監督として27歳にしてカンヌ国際映画祭で受賞するなど、輝かしい実績をお持ちの河瀬直美監督ですが、実は生い立ちはかなり壮絶でした。

河瀬直美監督のプロフィールがこちら。

  • 本名: 河瀬直美(かわせ なおみ)
  • 生年月日: 1969年5月30日(2022年で53歳)
  • 出身地: 奈良県奈良市紀寺町
  • 身長: 167センチ
  • 職業: 映画監督、脚本家

河瀨直美監督は奈良県奈良市紀寺町の出身で、2022年で53歳です。

河瀬直美監督の両親は、河瀨直美監督が母親のお腹の中にいる時に既に別居状態となっていたと言います。

そして、河瀨直美監督が生まれてから一年位経ってから両親は離婚をしています。

わが子の誕生を待ち望んで、誕生を迎えてくれるような温かい家庭とは無縁の状態での誕生だったようです。

河瀬直美監督の母親はシングルマザーとして娘を育てることに疲れ果てたのか、理由はハッキリしていませんが娘を手放すことを決断。

河瀬直美監督は、母方の祖母の姉にあたる大叔母に預けられます。

この母方の祖母の大叔母夫妻には子供がいなかったとのことで、河瀬直美監督が小学4年生の時に特別養子縁組をしており、正式にこの夫妻の娘として育てられています。

この大叔母夫妻にとても優しく大切に育てられたようです。

しかし、河瀨直美監督の本心は子供心ながらに

「なぜ私はここにいるのだろう?」

「なぜ生きているのだろう?」

と、心の中では葛藤を抱いてたとのこと。

そして、10代の時は死を考えながら生きていたとも。

後に映画と出会ったことで、生きていて良かったと思えるようになったそうです。

子供の時に実の両親と離別をせざるを得なかった河瀨直美監督。

大叔母夫妻に引き取られ大切に育てられましたが、子供心に大叔母夫妻に遠慮を抱きながら懸命に生きてこられたのでしょうか?

また、河瀨直美監督の実母の両親も離婚をしており、実母も母子家庭の家庭環境に育っていたそうです。

そして、河瀨直美監督の父親ですが、、、、、、。

実は、河瀨直美監督は背中にタトゥーを入れてあるそうです。

しかも、そのタトゥーと言うのはお洒落的な要素のものではなく、いわゆる「刺青」と言われる本格的なものなのだとか。

刺青を入れたことの理由について河瀬直美監督はドキュメンタリー映画のために彫ったことと、もう一つの理由についてが、「父親が背中に彫ってあり、父親との絆を見出そうとして彫った。」と述べています。

「父親の背中に彫ってあって」、この一言から河瀨直美監督の父親はそういった関係の人のように想像ができます。

河瀬直美監督は自分の生い立ちを描いた自主映画を制作しています。

その映画となったのが「につつまれて」と「かたつもり」です。

映画の中では優しい養母によって育てられたことに不満は一切なかった河瀨直美監督ですが、しかし実の両親に対する思いが心の中で湧き上がってくることを抑えきれない葛藤が描かれています。

実の両親に対する思いが耐え切れず、戸籍を辿りながら父親を捜すストーリーとなっています。

わが子を捨てたと同然の行為に対して、養母は河瀨直美監督の実の両親に対しては「薄情な親」だと毒づいていたようですが、河瀨直美監督にとってはそのような思いは抱いていなかったようです。

むしろ、「父親との絆を見出したい」とタトゥーまで入れた河瀨直美監督の父親に対する思いは強いようですね。

河瀨直美監督の生い立ちは、生まれて間もなくして両親が離婚。

シングルマザーとして娘を育てることを断念した母親。

このような背景から大叔母夫妻に育てられると言う、平穏で平凡な家庭とな無縁の生い立ちを持っていました。

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河瀨直美監督の学歴

映画監督として大成功されている河瀨直美監督。

学歴が気になるところです。

河瀬直美監督の学歴は次の通り。

●奈良市立一条高等学校

●大阪写真専門学校・映画科卒業

奈良市立一条高等学校の偏差値は59~64とかなり高い進学校です。

奈良市立一条高等学校はサッカーの強豪校として有名で国体やインターハイの常連校となっています。

河瀬直美監督は中学校からバスケットボールをやっており、高校に進学してもバスケットボールを継続。

キャプテンも務めており国体出場の経験も持っています。

文武両道に励んでいた学生時代が想像できますね。

また、国体出場する強豪チームでキャプテンを務めていたという河瀬直美監督の人柄については、リーダータイプで周囲からも頼りにされるような存在であったと思われます。

そんなリーダータイプの人柄は、映画監督の職業にはピッタリではないでしょうか。

進学校としても有名な奈良市立一条高等学校に通っていた河瀬直美監督ですが、大学進学はせずに高校卒業後は大阪写真専門学校の映画科に進学しています。

大阪写真専門学校は現在は学校法人ビジュアルアーツ専門学校となっています。

高校時代に映画の道を目指すことが出来た河瀨直美監督。

自分のやりたいことや夢をハッキリと見出すことの出来たのは幸いでしたね。

専門学校時代はお洒落もせず食べたい物も食べずに、ひたすらに映画制作に打ち込む日々を送っていたそうです。

そして、大阪専門学校を卒業した河瀨直美監督はそのまま大阪写真専門学校に残り講師として任務に就きます。

在学した専門学校で講師に抜擢された河瀨直美監督ですが、やはり専門学校時代も目立つ存在であったことが伺えますね。

河瀨直美監督は、講師として勤務する傍らで映画製作を続けていました。

そして1996年専門学校を退職。

27歳で個人事務所を設立します。

1997年にはデビュー作の劇映画「萌えの朱雀」でカンヌ国際映画祭で新人監督賞を受賞する快挙を達成しています。

その後も映画界で活躍をされています。

河瀬直美監督の作品は難しいと感じる方も多いと言われています。

しかし、芸術作品として海外から高い評価を受けており、マニアックなファンが多いとのこと。

河瀬直美監督の作品は突き刺さる人には突き刺さる、独特な世界感を秘めているようです。

河瀬直美監督の朱玉の8作品が収録されているのがこちら。

河瀬直美ドキュメンタリー DVD-BOX/DVD/KKJS-67

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河瀬直美監督の結婚と旦那さんについて

河瀬直美監督の結婚についてです。

河瀬直美監督は1997年28歳の時に同じく映画監督の仙豆武則(せんとう たけのり)氏と結婚をしています。

馴れ初めは、河瀨直美監督の作品「萌えの朱雀」のプロデューサーを務めたのが仙豆武則氏だたそうで、そこから交際から結婚。

しかし、2000年には離婚に至っています。

離婚の理由は「考え方の違い」だそうです。

お二人の間にお子さんはいなかったとのこと。

仙豆監督と離婚して4年後、河瀨直美監督は同級生の一般人の男性と再婚をしています。

この旦那さんとなった方は、一部ではNHKのディレクターとも言われているようですが、真相は定かではありません。

河瀬直美監督が再婚をした時は35歳と言う年齢であったため、子供は諦めていたとのこと。

しかし、自然に授かることが出来ました。

2004年に第一子となる長男が誕生しています。

河瀬直美監督の息子さんは2022年で18歳となるようです。

子宝に恵まれたことに関して河瀨直美監督は、再婚後に東京から故郷の奈良市に戻り食事や生活習慣を整えたことが良かったと述べています。

河瀨直美監督は現在も奈良市在住で仕事を継続されています。

また、再婚した一般人男性とは既に離婚をされているようで、現在は独身となっているようです。

映画界の第一線で活躍されている方を妻に持つことは、精神的にも大変なことだと言うことでしょうか?

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まとめ

河瀨直美監督の生い立ちと学歴結婚した旦那さんや子供について紹介しました。

最後までお読み下さりありがとうございます。

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