人気漫画家の西原理恵子さん。
高須クリニックの創業者、高須克弥氏と事実婚状態であることで話題となりました。
高須克弥氏と事実婚状態である西原理恵子さんですが、元夫の鴨志田穣さんとは死別されているようです。
この記事では漫画家の西原理恵子さんの元夫の鴨志田穣さんについて、どんな人だったのかまた死因にちてもまとめています。
西原理恵子の夫について
西原理恵子さんは1996年32歳の時に鴨志田穣さんと結婚されています。
鴨志田穣さんと西原理恵子さんの間には息子さんが一人、娘さんが一人の二人のお子さんに恵まれています。
西原理恵子さんの夫となった鴨志田穣さんは、戦場カメラマンとして、またジャーナリストとして活躍されていた方です。
西原理恵子さんの夫の鴨志田穣さんのプロフィールがこちら。
- 生年月日: 1964年7月2日
- 死没年月日: 2007年3月20日(享年42歳)
- 出生地: 神奈川県川崎市
- 育ち: 北海道札幌市
- 学歴: 北海道教育大学付属札幌小学校
- 北海道教育大学付属札幌中学校
- 東海大学付属第四高等学校
鴨志田穣さんは二浪して大学進学を目指していますが、最終的に大学合格には至らずに、最終学歴が高卒となっています。
小学校から北海道教育大学付属に通うなど、教育熱心なご両親の元に生まれたようですね。
そんな鴨志田穣さんは23歳で日本を出国してから9年間日本には戻らずに外国を放浪とされていたようです。
西原理恵子さんと鴨志田穣さんは1996年にタイで出会っています。
当時、鴨志田穣さんはタイで戦場カメラマンとして活動されていたようですが、とにかくお金がない人だったようです。
ポケットの中のお金をかき集めると、カレーの材料が買える分の小銭が出てきたとのこと。
鴨志田穣さんはこのお金でカレーの材料を買ってみんなにふるまったというエピソードがあるそうです。
お金には全く執着していなかったようですね。
タイで出会ってから鴨志田穣さんは西原理恵子さんのことをアジアの紛争地帯に連れて回りました。
この時の生活は、想像を絶するどん底で貧困生活を送られていたようですが、それでも笑って強く生き抜くことを学んだ生活だったとのこと。
また、二人が出会った頃に西原理恵子さんはギャンブル依存症でもあったようですが、西原さんのギャンブル依存症を救ったのも鴨志田穣さんだったと言います。
1996年9月に西原理恵子さんは勝谷誠彦さんのアマゾン川の取材企画に参加。
この取材にカメラマンとして鴨志田穣さんも同行。
帰りの飛行機の中でプロポーズをされたそうです。
西原理恵子の夫の死因
西原理恵子さんと鴨志田穣さんは結婚してから一男一女の子供に恵まれています。
しかし、長男が誕生した頃から、夫の鴨志田穣さんはアルコール依存症に陥ります。
鴨志田穣さんがアルコール依存症に陥った背景には、戦場カメラマンとして世界各地を歩いてきた時の戦地の過酷な映像がフラッシュバックすることで、アルコールに溺れていったそうです。
アルコール依存症に陥った鴨志田穣さんは精神病院に入退院を繰り返す日々を送っています。
また、家庭内暴力や器物破壊、そして西原理恵子さんの漫画の原稿を破くなどの行為を繰り返していたようです。
当時、西原理恵子さんは漣在を40本~50本ほど抱えており、夫が寝てから原稿を書く日々を送っていました。
しかし最終的に西原理恵子さんは夫の暴力から子供を守る手段として離婚を決意します。
2003年に西原理恵子さんと鴨志田穣さんの離婚が成立しています。
2006年になると、元夫の鴨志田穣さんはアルコール依存症の克服に成功。
鴨志田さんから西原理恵子さんに復縁を申し出ましたが、西原さんはアルコール依存症は繰り返すと復縁を望みませんでした。
その代わり、別居生活を送りながら元夫の鴨志田穣さんの生活を支えていたようですが、そんな中で鴨志田穣さんは腎臓の末期がんに侵されていることが判明。
この時、現在の事実婚となっている高須克弥氏の助言で、鴨志田穣さんとの同居に踏み切っています。
離婚の状態のままで、子供二人を連れての元夫との同居生活は、鴨志田穣さんが亡くなるまでの6カ月続きました。
この短い期間は、西原理恵子さんと子供たちにとっては結婚当初の頃の穏やかな時間だったと顧みています。
そして2007年3月20日に鴨志田穣さんは42歳と言う若さで帰らぬ人となりました。
告別式では離婚状態ではありましたが、西原理恵子さんが喪主を務めています。
また、遺骨を世界の海に散骨して欲しいとの鴨志田穣さんの遺言の通り、遺骨を世界の海に散骨されたそうです。
一部の遺骨はご両親の元に返されたとのこと。
西原理恵子さんは、生い立ちが複雑で壮絶です。
まず、実の父親はアルコール依存症であったため、西原理恵子さんの母親は理恵子さんがお腹の中にいる時に離婚。
理恵子さんが3歳の時に実の父親はドブに落ちて亡くなっています。
西原理恵子さんは実の父親に一度も会うことはありませんでした。
それから母親は再婚。
継父は西原理恵子さんを本当の子供のように可愛がってくれ、信頼もしてくれたようですが、ただギャンブル依存症でした。
職を転々として、いつもお金がない状態だったといます。
しまいには、西原理恵子さんがコツコツと貯めた12万円のお金にも手をつけ、持ち去ったそうです。
西原理恵子さんは美術大学進学を目指して上京しており、立川美術学院の美術系の受験に特化した予備校に通っていましたが、武蔵の美術大学の受験前日に継父は借金苦により自殺を図っています。
このように、西原理恵子さんは幼い頃から過酷な家庭環境に育っています。
そして結婚した夫までもがアルコール依存症に陥るなど、男運の無さが浮き彫りとなったような印象を受けてしまいます。
漫画家としては大成功を収めていますが、複雑な生い立ちが糧となっていることは言うまでもありません。
また、男運の無さが全面に出ているようですが、そんな苦難も乗り越えての素敵な出会いもあったようです。
それが高須クリニックの創業者の高須克弥さんです。
西原理恵子と高須克弥の関係は?
現在、西原理恵子さんと高須克弥さんは事実婚の状態にあるようです。
二人の馴れ初めは、元々は高須克弥さんが西原理恵子さんの漫画の大ファンだったとのこと。
新潮社のインタビューで西原理恵子さんは、「下品な高須克弥さんと友達になりたい!」と語ったことを高須克弥さんが聞きつけて、「是非、友達になって下さい。」と申し出たことから友達として交際が始まったそうです。
2017年に西原理恵子さんは「卒親宣言」をされており、現在は高須克弥さんと入籍はせずに事実婚状態で親しくされているようです。
まとめ
人気漫画家の西原理恵子さんの夫の鴨志田穣さんについて、死因などをも合わせて紹介しました。
最後までお読み下さりありがとうございます。
西原理恵子さんの娘さんのブログの内容について詳しくはこちらの記事に書かれています。
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