西原理恵子さんは日本でも有名な漫画家の一人として活躍中です。
そんな人気漫画家の西原理恵子さんの娘さんのブログ内容が炎上しているようです。
西原理恵子さんの娘のブログ内容とは一体どのような内容なのでしょうか?
この記事では西原理恵子さんの娘さんのブログの内容についてまとめています。
西原理恵子の娘
漫画家の西原理恵子さんの娘さんは鴨志田ひよさん。
西原理恵子さんの娘さんのひよさんは2000年6月8日生まれで、2022年で22歳です。
ひよさんの父親はフリージャーナリストやカメラマン、エッセイストとして活躍された鴨志田穣さん。
ひよさんの父親の鴨志田穣さんは残念ながら2007年3月20日に腎臓がんのため42歳の若さでこの世を去っています。
ひよさんの母親の西原理恵子さんと鴨志田穣さんは2003年に離婚をされています。
ひよさんが3歳の頃に離婚に至っているようですが、離婚の原因は父親の穣さんのアルコール依存症による器物破壊や家庭内暴力が背景となっていたようです。
ひよさんの父親の穣さんは、西原理恵子さんの漫画「毎日かあさん」では「アブナイお父さん」として登場していました。
生前に鴨志田穣さんは、「今は何の不自由もない。都内に高級マンションも手に入れベンツも持っている。」と述べた上で「彼女(西原理恵子)の本のネタにされるのだけは耐えられない。」語っていました。
この「毎日かあさん」と言う漫画は、毎日新聞の朝刊に週一で掲載されていた西原理恵子さんによる漫画です。
「毎日かあさん」は、2002年10月から2017年6月26日まで掲載が続いていました。
後にこの「毎日かあさん」は、娘さんから西原理恵子さんの母親としての素顔を暴露される原因となっています。
西原理恵子の娘のブログ内容とは?
西原理恵子さんの「毎日かあさん」では、家族のネタを漫画にしていますが、一見すると家族間のことをさらけ出せる家庭像とは、明るく幸せな家庭環境のお手本のような家族を想像してしまいます。
しかし、西原理恵子さんの娘さんがブログで暴露された内容を知ると、そこには明るく幸せな家庭環境とは程遠い闇が伺えます。
西原理恵子さんの娘さんのひよさんのブログ内容は、母親の作品は娘の個人情報を書いて出版したことについて言及。
ひよさんは、母親の作品によって精神的に傷ついたことを公表されています。
母親の作品に関して「子供を傷つけること、それは未来を傷つけること。」と述べています。
また、「書かないで欲しい」とお願いしたことを西原理恵子さんはSNSで投稿していたこと。
ひよさんの本名や病気に触れて、母親は金儲けをしたとの見解を示しています。
母と娘の親子関係は、実の親子であることで更に溝も深まる傾向にありますが、どこかで愛情の受け止め方の違いやすれ違いが生じてしまったのでしょうか?
西原理恵子さんの娘さんのブログの内容をざっとまとめるとこのような感じです。
●「毎日かあさん」では個人情報をバラされ心を病む原因となったこと
●高校生の時に精神科に通院するようになったこと
●医者から児童相談所に連絡をすると言われたこと
●母親から「あばずれ、くそ女、やり〇ん、ゴミ」呼ばわりされたこと
●12歳の時にブスだからと二重瞼にする整形手術を受けさせられたこと
●兄は留学したのに自分は私立を希望したが拒否されたこと
●リストカットを繰り返したこと
●18歳までストレスでおねしょをしたこと
●離人症状があること
上記のような内容がひよさんのブログには綴られていました。
現在は削除されて読めなくなっているようです。
娘さんのひよさん側から見ると、西原理恵子さんの母親として娘に愛情は感じられずにむしろ娘に対して憎しみのような感情を持っているかのように受け取れます。
ひよさんにはお兄さんが一人いるようですが、母親の西原理恵子さんはお兄さんに対しては優しかったとされています。
12歳の娘に対してブスだからと瞼を二重にする整形手術を受けさせるのは、親としてどうかと思ってしまうところです。
また、お医者さんから児童相談所に連絡をすると言われたときは、そんなことをしたら母親に殺されると思い、それだけはやめて欲しいと懇願したことなどがブログで綴られていたようです。
「くそ女、あばずれ」呼ばわりもにわかに信じられませんが、本当のことでしたら相当ショックを受けて当然ですね。
西原理恵子さんは2017年に「卒母宣言」をしています。
2017年と言えばひよさんが17歳の時です。
娘17歳にして母親業を卒業することを宣言していますので、西原理恵子さんにとって子育ては嫌いなことだと受け取れます。
そして卒親宣言をしてからの西原理恵子さんは高須クリニックの高須克弥氏と親しい間柄となっているようです。
西原理恵子の生い立ち
娘のひよさんが17歳の時に卒親宣言をされた西原理恵子さん。
母親としてでなく一人の女性として生きる道を選択されたでしょうか?
西原理恵子さんが子供に依存しなく、むしろ子供から離れたい、子供は自分で勝手に生きてね、のようなスタンスになったのは、もしかしたら遺伝による部分も少しあるかもしれません。
西原理恵子さんの生い立ちを少し紹介しておきます。
西原理恵子さんは1964年高知県高知市に誕生しています。
西原理恵子さんの実の父親は入退院を繰り返すほどのアルコール依存症だったことから、理恵子さんの母親は理恵子さんを妊娠中び離婚。
母親の実家に戻って母子家庭で西原理恵子さんと兄を育てました。
理恵子さんが3歳の時に実の父親がドブに落ちで死亡しており、実の父親とは一度も会うことがありませんでした。
しばらくして西原理恵子さんが6歳殻7歳の時に母親は再婚。
しかし再婚相手の継父はギャンブル依存症でした。
そんなギャンブル依存症の継父でしたが、理恵子さんに対しては本当の子供のように可愛がってくれ、理恵子さんを信頼してくれたと言います。
ギャンブル依存症の継父は一週間に一度しか帰宅しなかったため、母親といる時は母親の愚痴を聞いており、「あんたがいるから離婚しないんだよ。」と聞かされてていたそうです。
西原理恵子さんが美術大学を目指して上京していた時に継父は借金苦により自殺を図り亡くなっています。
このように、西原理恵子さんの生い立ちはかなり荒んだ家庭に育っています。
そのような背景、両親の遺伝などで、西原理恵子さん自身も子育てに関しては苦手な部分となってしまているのかもしれません。
まとめ
西原理恵子さんの娘さんのブログの内容について紹介しました。
最後までお読み下さりありがとうございます。
西原理恵子の元夫についてはこちらの記事で詳しく紹介しています。
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