2000年~2010年代前半に近畿地方で起きた関西連続青酸殺人事件。
お金持ちの高齢者を遺産や保険金目当てに近づき、夫や交際相手を次々に殺害したとして逮捕された筧千佐子死刑囚が逮捕されました。
筧千佐子死刑囚は巧みに嘘を繰り返し、資産家に近づいては青酸化合物で彼らを死に追いやり、多額の遺産や保険金をだまし取る手口から、「毒女」や「後妻業の女」のあだ名が付きました。
このような歴史に残る極悪な事件を起こした筧千佐子死刑囚の生い立ちはどのようだったのでしょうか?
この記事では、関西連続青酸殺人事件で逮捕された筧千佐子死刑囚の生い立ちを中心にまとめています。
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筧千佐子のプロフィール
筧千佐子死刑囚のプロフィールです。
筧千佐子(かけひ ちさこ)
●旧姓: 山下千佐子
●生年月日: 1946年11月28日
●出身地: 長崎県(生まれ)
北九州市(育ち)
●身長: 154センチ
●学歴: 福岡県立東筑高等学校
筧千佐子死刑囚は1946年生まれで、2023年の誕生日を迎えると77歳になります。
こちらが筧千佐子死刑囚の画像です。
見た目的には、普通のおばさんって感じの人だね!
殺人事件を起こすような悪女には見えませんね。
何か事件が起こると、「あの人はいい人だったのに、、、。」「事件を起こすような人ではないのに、、、。」なんて、近所の方のコメントあるあるですね。
筧千佐子死刑囚が金銭目的で高齢者に近づき、次々に事件を起こして行った背景には、生い立ちは関係していたのでしょうか?
筧千佐子の生い立ち
筧千佐子は前述のプロフィーの通り出身は長崎県ですが、育ちは福岡県北九州市です。
実は筧千佐子死刑囚の母親は未婚の状態で筧千佐子死刑囚を出産しています。
筧千佐子死刑囚の実母は未婚の状態で子供を育てることが難しかったようで、養子に出すことを選択。
筧千佐子死刑囚を養子として迎い入れたのは、北九州市の山下家でした。
筧千佐子死刑囚の養母となった母親は長男を出産しましたが、その後は子宮の病気で子供が産めない体になってしまった経緯から筧千佐子死刑囚を養子に迎い入れた経緯があるようです。
筧千佐子死刑囚は自分が山下家の養子である事実を知ったのは成人してからだったそう。
ある日突然に産みの親と名のる女性から手紙が届き、自分が山下家の両親と血の繋がりがないことを知ったのです。
この事実を知ったのが筧千佐子死刑囚が成人してからだったためか、養子であることが発覚したことで特別家族との関係が悪化したことはなかったようです。
筧千佐子死刑囚は逮捕後も育ての両親の子育ては模範になるように完璧であったことと、両親に対してはずっと尊敬していることを述べています。
筧千佐子の親の職業
筧千佐子死刑囚の育ての親は厳格な両親であったようです。
筧千佐子死刑囚の育ての父親は大手製鉄所に勤務するサラリーマンで母親は専業主婦でした。
育ての母親の旧姓は筧千佐子死刑囚の旧姓と同じだったそうで、何か特別にご縁を感じていたようです。
筧千佐子の高校
厳格な家庭に育てられた筧千佐子死刑囚の学生時代は、とても頭が良く成績優秀でした。
高校は福岡県内でも名門校として知られる福岡県立東筑高等学校に進学しています。
福岡県立東筑高等学校の偏差値は70で、東京大学や京都大学など難関の大学に沢山の進学者を輩出している高校で有名です。
進学校として有名な県立東筑高等学校に進学した筧千佐子死刑囚は高校でも成績優秀で、先生からは九州大学は絶対に合格、その上を狙っても合格できるとお墨付きをもらっていたほどだったそう。
また、高校時代の筧千佐子死刑囚は落ち着いた印象が強く、成績優秀で容姿も可愛らしいかったため、男子からもモテていたと言うことです。
筧千佐子死刑囚は、将来は大学に進学して教師になることを考えていたそうです。
しかし、当時の北九州の田舎では女性が大学に進学するなんてとんでもないと言う常識があり、筧千佐子死刑囚の父親は大学進学に反対でした。
養子先には兄がいたようですが、兄でさえ大学は進学していないことから、結局は筧千佐子死刑囚は大学進学を断念。
この選択が人生の大きな分かれ目になったと筧千佐子死刑囚は後に述べています。
筧千佐子死刑囚に生い立ちは、実母が未婚の状態で出産し養子に出され、養子先では何不自由なく大切に育てられていました。
筧千佐子死刑囚の人生は養子に入り、ここまで順調。どこで狂ってしまったのかな~?
筧千佐子の就職先
福岡県内でも屈指の進学校、県立東筑高等学校でも生成優秀で先生からも信頼されていた筧千佐子死刑囚。
本人は大学に進学し教師になることを望んでいましたが、両親の反対で大学進学は断念。
筧千佐子死刑囚が高卒で就職したのは、高卒では入れないと言われていた大手都市銀行でした。
筧千佐子死刑囚が就職した銀行は住友銀行(現在の三井住友銀行)で、八幡支店の預金係を担当していたそうです。
銀行で働いていた時に、友人と桜島に観光に行った際に最初の夫となるトラック運転手をしていた男性と出会い交際に発展します。
当時、双方の両親から結婚は反対されたのですが、それを押し切り筧千佐子死刑囚24歳で結婚。
これが筧千佐子死刑囚の最初の結婚で、この結婚から人生の歯車が狂い出して行くのでした。
筧千佐子の結婚歴
筧千佐子死刑囚は4回の結婚歴があります。
- 1回目:1969年・夫死亡1994年9月
- 2回目:2006年・夫死亡2006年8月28日
- 3回目:2007年・夫死亡2008年5月17日
- 4回目:2013年11月1・夫死亡2013年12月28日
1回目の結婚
一回目の結婚は1969年、筧千佐子死刑囚が24歳の頃です。
同僚との旅行先で知り合い結婚。
最初の夫となった男性は、トラックの運転手をしていた男性でした。
結婚を機に二人は大阪府貝塚市に移り住み、夫は印刷業を開業します。
そして最初の夫との間に一男一女が誕生。
1970年に長男、1971年に長女が誕生しています。
筧千佐子死刑囚の子供は2023年で、息子さんが53歳、娘さんが52歳の年齢になるようです。
筧千佐子死刑囚が逮捕され、収容されてからは息子さんと娘さんとの面会や手紙のやり取りは一切なく絶縁状態だと言うことです。
話は戻って、最初の夫は印刷業を営んでいましたがバブル崩壊と共に業績も悪化して行く中で1994年に54歳で病死してしまいます。
筧千佐子死刑囚は48歳で未亡人となります。
結婚当初は社長夫人となり玉の輿にのった形でしたが、夫が病死した後に残ったのは2000万円の借金でした。
筧千佐子死刑囚は実家の親や夫の親族からお金を借りて印刷業の経営を続けるも借金を返済することが出来ずに土地と建物を差し押さえられ2001年に廃業となりました。
それからの筧千佐子死刑囚はヘルパーなどの仕事をしながら食い繋いでいったようです。
筧千佐子死刑囚は最初の夫の病死で、借金を背負ったことでお金に対する執着心が強くなっていったのかもしれません。
2回目の結婚
筧千佐子死刑囚の2回目の結婚は2006年、筧千佐子死刑囚が60歳の頃です。
夫となったのは兵庫県西宮市で薬局経営、医薬品卸の資産家の社長さんでした。
2人目の夫は結婚後間もなく脳梗塞で死亡しています。
2番目の夫が亡くなったことで筧千佐子死刑囚は莫大な遺産を相続することに成功したのです。
この頃から後妻業をビジネスとして本格的に稼働させていったと言われています。
3回目の結婚
3回目の結婚は2007年。
3人目の夫となったのは兵庫県伊丹市で農業を営む資産家の高齢男性でした。
3人目の夫も結婚からほどなくして2008年5月17日に病死しています。
4回目の結婚
4回目の結婚は2013年11月1日。
4人目の夫となったのは京都府日向市で大手電気機械メーカーの管理職をしている男性でした。
この男性は結婚からわずか2か月もしないうちに死亡しています。
そして4人目の夫の死がきっかけで、筧千佐子死刑囚の犯行が明るみになっています。
当初は病死として捉えられていましたが、結婚後すぐの死亡であることから変死の疑いがかけられました。
司法解剖の結果、4人目の夫から青酸化合物が検出され、筧千佐子死刑囚の犯行が明るみに出たのです。
警察の捜査で筧千佐子死刑囚には当時1000万円の借金を抱えていることが判明。
そして筧千佐子死刑囚の周辺で1994年以降10人の男性が死亡していることも判明したのです。
男性の死亡により、筧千佐子死刑囚は総額で数億円の遺産を受け取っていたことも明るみになりました。
筧千佐子死刑囚は2014年11月に3件の殺人と1件の強盗殺人未遂の疑いで逮捕に至っています。
筧千佐子死刑囚は手に入れた多額の遺産を株取引や先物取引、FXなどの投資で殆どを溶かしてしまい、逮捕時には1000万円以上の借金が残っていたそうです。
もし、4人目の夫の死が変死であることを見過ごされていたら、被害者や犠牲者はもっと増えていたかもしれませんね。
4人目の夫の死亡で、遺産を目的とした連続殺人事件の疑いが浮上するきっかけとなったのです。
なんとも空恐ろしい女やな~
筧千佐子死刑囚の犯行の手口
筧千佐子死刑囚の犯行は資産家の高齢者に近づくために結婚相談所に登録。
結婚相談所には10カ所も20カ所も登録していたと言います。
こちらが結婚相談所に登録された筧千佐子死刑囚の画像です。
条件も
●年収1000万円以上
●経営者か資産家
●子供いない
●持ち家
と抜け目なく条件を揃え、獲物を物色するように資産家の高齢者を狙っていたようです。
筧千佐子死刑囚は結婚相談所で知り合った男性に、健康食品のカプセルに青酸化合物を含ませ殺害したとされています。
そして、被害者となった男性の生前には遺産を筧千佐子死刑囚に相続させる旨を記した遺言公正証書を作成しており、死亡保険金などを手にしていました。
それで驚くばかりでなく、何と筧千佐子死刑囚は結婚を前提に資産家と交際しながら、同時に他の資産家との結婚準備を進めるなど、複数人の男性と同時進行で交際と犯行に及んでいたということですから驚きです。
筧千佐子の魅力
次々に男たちを虜にしていった筧千佐子死刑囚。
なぜ男たちは筧千佐子死刑囚の虜になっていったのでしょうか?
筧千佐子死刑囚の画像からはギラギラした感じのケバさや派手さは一切感じられません。
どちらかと言えば賢い女性といった雰囲気たっぷりで、むしろ恐妻にさえ捉えがちに見えます。
結婚相談所のスタッフによると、筧千佐子死刑囚は男心をくすぐる演出がとても上手かったと。
最初はおしとやかで控えめで貞淑な感じを演出していたそうです。
実際に家事や料理は完璧にこなしていたと言います。
また、相手が喜んだり気分を良くする言葉をかけることも上手だったと。
そして、筧千佐子死刑囚本人曰く「健康であったから夜の相手もバッチリ出来ていた。」と述べています。
筧千佐子死刑囚は資産家の高齢男性を手の平で転がせながら、金銭目的で殺害を計画し実行していたのです。
筧千佐子死刑囚は逮捕され、公判中も判決の際も被害者や遺族への心からの謝罪はなかったそうです。
筧千佐子死刑囚は男たちをお金としか見ていなかったんだね
恐ろしや~
筧千佐子の現在
筧千佐子死刑囚は2021年7月17日に死刑が確定されました。
筧千佐子死刑囚は現在、大阪拘置所に死刑囚として収監されているとのこと。
週刊誌などの報道では認知症を発症しているとの噂もあるようです。
筧千佐子死刑囚は、京都新聞の記者の取材で「死刑を受け入れる覚悟はあるが、死刑判決には不満がある。」として、一つの事件に対して2022年9月30日付けで京都地裁に再審請求をしているということです。
まとめ
関西連続青酸殺人事件で死刑が確定している筧千佐子死刑囚の生い立ちを中心に紹介しました。
資産を狙って孤独な高齢者を次々に手玉に取っていった筧千佐子死刑囚のお金に執着した背景がよく伝わってきました。
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