【京アニ放火事件】青葉真司の生い立ちが壮絶過ぎ!両親は不倫で結婚

事件事故
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2019年7月18日に起こった京アニ放火殺人事件。

36人の犠牲者と33人の重軽傷者を出した京アニ放火事件は、日本国内の事件では過去に例を見ないほどの大惨事となりました。

このような大惨事を起こした犯人の青葉真司容疑者。

青葉真司容疑者はどのような生い立ちを辿ってきたのでしょうか。

この記事では

  • 京アニ放火事件の概要
  • 青葉真司の生い立ち
  • 青葉真司の父親
  • 青葉真司の妹
  • 青葉真司の前科

上記の内容についてまとめています。

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京アニ放火事件の概要

2019年7月18日昼前に京都アニメーションスタジオに男が侵入し、建物の1階にガソリンを撒いてライターで着火。

炎はみるみるうちに燃え広がり、スタジオは全焼。

京都アニメーションの社員36人が犠牲になりました。

また33人が重軽傷を負っています。

逮捕されたのは青葉真司容疑者、当時41歳。

幸か不幸か、容疑者の青葉真司は全身にやけどを負うも一命をとりとめたのです。

青葉真司容疑者が京アニメーションのビルに放火をした際は、自身の衣類にも引火した状態で逃走。

放火現場から100メートル離れた場所の路上で追いかけてきた京都アニメーションの2人の男性社員によって取り押さえられました。

この時、青葉真司容疑者の右足からは小さな炎が出ていたと言います。

火事の被害者だと勘違いした住民は青葉真司容疑者にホースで水をかけて救済しようとしたそうです。

青葉真司容疑者にとっては幸か不幸だったのか、住民の救済もあり一命を取り留めました。

今、振り返ってみると、青葉真司容疑者の命が助かったことは事件の解明や動機について説明責任を果たすために繋がる大きなポイントとなったことは言うまでもありません。

青葉真司容疑者にとっては、命拾いしたことで奪った命の尊さを罪の重さを思い知らされることになり、ある意味、死ぬ苦しみよりも生き抜いたことの苦しみの方が勝るのではないでしょうか?

一言で言うなら、「生き地獄」です。

それほど、犠牲者の思い、遺族の虚しさ、やるせなさ、怒り、これらの思いを背負っていくことになるのです。

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青葉真司の事件からの経緯と現在

青葉真司被告が逮捕されてから現在までの経緯をまとめてみました。

  • 2019年7月18日: 京アニ放火事件発生
  •             青葉真司被告も大やけどを負う
  • 2019年7月20日: 青葉真司被告、近畿大学病院にヘリで搬送される
  • 2019年8月(事件から約一か月後): 意識を取り戻す
  • 2019年9月: 声を出せるようになる
  • 2019年10月: 会話が出来るようになる
  • 2019年11月8日: 京都府警から初めて聴取を受ける
  • 2019年11月14日: 京都市内の病院に転院
  • 2020年5月27日京都府警に殺人容疑で逮捕される
  • 2020年12月16日: 京都地検に殺人罪で起訴される
  • 2923年9月5日: 初公判

青葉真司被告は事件後、自身も大やけどを負っていたことから近畿大学病院にヘリコプターで搬送されています。

当時、青葉真司容疑者の主治医として治療に当たったは、鳥取大病院高度救命救急センター教授の上田敬博医師。

上田敬博医師はやけど治療のスペシャリストとして名をはせていました。

事件の翌日、上田敬博医師は京都の病院関係者から「看てほしい患者がいる。」と打診をされたそうです。

上田敬博医師は直感で青葉真司被告だと感じたとのこと。

上田敬博医師は、

「青葉被告を法廷に届けるのが医師の職務。その一心だった。」

引用元:読売新聞

と述べており、平成以降最悪の犠牲者を出した殺人容疑者を法廷に届けるために、死なせてはならないとの重圧を背負いながら、青葉真司被告の治療に臨み、述べ12回の手術を行ったそうです。

上田敬博医師の懸命な治療により、青葉真司被告は事件から一か月後に意識を取り戻しました。

意識を取り戻し、「ああ」と声も出せるようになった際に、青葉真司被告は涙を流していたとのこと。

その涙に関して、上田敬博医師は、「死にたくないという思いと生き延びたことのうれしさだったのではないか。」と推測しています。

出典:ヤフーニュース

2019年11月に京都市内の病院に転院する際は、上田医師も付き添ったそうです。

その際に青葉真司被告に、「少しは自分の考えが変わったか」と問いかけると、「変わらざるを得ない。」と言う言葉が返ってきたと言うことです。

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青葉真司容疑者の生い立ち

前置きが大変長くなりました。

青葉真司容疑者の生い立ちです。

青葉真司容疑者は1978年5月16日に埼玉県さいたま市(旧浦和市)に誕生しています。

父親はタクシーの運転手で母親は幼稚園の教諭をしていました。

兄弟は兄と妹の3人。

父親はタクシー運転手として稼ぎも多かったようで、羽振りは良かったと言います。

実は青葉真司容疑者の父親には別の家庭があったのです。

青葉真司容疑者の父親は茨城県常総市の出身。

当初は常総市の実家で妻と6人の子供と暮らしていたと言います。

青葉真司容疑者の父親は兼業農家で、農業を営みながら幼稚園のバスの運転手をしていましたが、6人の子供を養っていくにはかなり厳しい生活だったようです。

青葉真司容疑者の父親は突然に妻と6人の子供を残して家を出て行ってしまいます。

幼稚園のバスの運転手をしていた青葉真司容疑者の父親は、この幼稚園で働く教諭と不倫関係に陥り、本妻と6人の子供を置いて、家を出て行ったのです。

言うまでもなく、青葉真司容疑者の父親と不倫関係になった幼稚園の教諭は後に青葉真司容疑者の母親となった女性です。

青葉真司容疑者の父親は茨城の実家の土地を勝手に売却。

残した妻と6人の子供は立ち退きを余儀なくされました。

それ以降、残された妻と6人の子供たちは青葉真司容疑者の父親とは会うことは一切なかったと言います。

また、青葉真司容疑者の父親の実家があった場所は、現在はアパートが建っているとのことです。

青葉真司容疑者の父親と母親は不倫関係からそのまま駆け落ちし結婚。

埼玉県さいたま市緑区で新しい生活を始めます。

ここで誕生したのが、青葉真司容疑者と兄と妹です。

青葉真司容疑者にとって、腹違いの6人の兄弟がいることになりますね。

当時の青葉真司容疑者と息子が同級生だったという主婦によると、青葉真司容疑者は元気で明るい少年だったと言います。

やがて青葉真司容疑者の一家は別のアパートに引っ越し。

青葉真司容疑者が中学生の頃になると両親は離婚。

両親の離婚によって一家はバラバラになります。

母親はお兄さんを引き取り、青葉真司容疑者と妹は父親に引き取られました。

両親の離婚を引き金に青葉真司容疑者の人生は狂い出していきます。

1991年、青葉真司容疑者が13歳の頃に父親がタクシーの運転中に人身事故を起こしてしまいます。

この事故により父親はタクシー会社を回顧され、収入が途絶えてしまいます。

青葉真司容疑者の父親は事故を起こしてしまったことに相当なショックを受け、働く力も生きる気力も失ってしまったのです。

毎日ふらふらする生活を送るようになります。

と同時に家の中はケンカが絶えなくなり、いつも怒鳴り声が響いていたそうです。

次第に青葉真司容疑者は学校でも暗くなり、孤立した状態に。

両親の離婚から父親の事故で会社を解雇されてから、青葉真司容疑者は殺伐とした人生を歩み始めています。

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青葉真司容疑者の父親の自殺

タクシーの運転中に事故を起こしてしまい、会社を解雇された青葉真司容疑者の父親。

次第に生きる気力も失い、最終的に自殺によりこの世を去っています。

青葉真司容疑者の父親の身勝手な生き様が浮き彫りになる感じですね。

6人の子供と妻を捨て、愛人と駆け落ち。

最初の家族も父親に見放され、土地も奪われどんなに辛い思いをしたことでしょうか。

青葉真司容疑者が重大な事件を起こした背景には、「この父親が原点になっているのではないか?」そんな風に考えてしまいます。

青葉真司容疑者は埼玉県内の定時制高校を卒業してから定職にはつかずコンビニでアルバイトをしていました。

高校の時は埼玉県庁の文書集配のバイトをしており、ここのバイト仲間とは上手く行っていたようで、当時の上司からも仕事に真面目だったと、特別なにか問題があるような様子ではなかったと言います。

父親が自殺を遂げた当時は青葉真司容疑者は春日部市内で一人暮らしをしており、父親とは離れて暮らしていました。

1999年12月、父親は自殺を遂げていますが、当時の様子を知る近所住民によると、窓から見えた自殺現場となったアパートの一室の畳が血で真っ赤に染まっていたとのこと。

このことから首つり自殺ではなく、刃物による自殺ではないかと言われていたそうです。

青葉真司容疑者の父親は昭和8年生まれ。

自殺をした当時は66歳前後だったようです。

当時、喪主は青葉真司容疑者ではなく母親に引き取られたお兄さんが務めたそうです。

親族の参列はなく、淋しい葬儀だったとのこと。

また、青葉真司容疑者の父方の祖父も実は自殺によってこの世を去っているとのこと。

青葉真司容疑者の祖父は荷馬車で荷物を運ぶ仕事をしていたそうですが、やはり生活は貧困だったようです。

癌を患った祖父は、お金がなかったため治療を断念したのでしょう。

自殺を遂げて亡くなっていたのです。

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青葉真司の妹

青葉真司容疑やの父親と祖父による、親子二代による自殺。

何か因縁のようなものを感じてしまいますが、実はこれだけでは収まりませんでした。

父親の死後、妹はしばらくお弁当屋で働きながら父親と住んでいたアパートで独り暮らしをしていたと言います。

しかし、父親が亡くなってからアパート家賃の滞納が続き、妹は突然に姿を消しました。

そして父親の自殺から5年後の2004年に妹も自殺によりこの世を去っています。

青葉真司容疑者の妹は自殺をする前日に茨城県常総市のお寺に除霊をして欲しいと足を運んでいます。

住職によると、「GACKTの霊がいる。」と叫び、尋常な様子ではなかったとのこと。

そして翌日に付近の学校の部活用の倉庫の中で首つり自殺をしていたということです。

この倉庫は既に取り壊されているとのこと。

青葉真司容疑者の祖父と父親、妹までが自殺でこの世を去っていたのです。

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青葉真司容疑者の前科

父親と妹の自死。

青葉真司容疑者は精神的に病んでいったと思われます。

妹の自殺から2年後の2006年9月、青葉真司容疑者は春日部市内で女性の下着を盗み逮捕されています。

この件では青葉真司容疑者は執行猶予つきの判決を受けています。

しかし、執行猶予中の2012年6月に茨城県の坂東市内のコンビニに包丁を持って押し入り、現金2万円を奪う強奪事件で逮捕。

この強奪事件により、懲役3年6カ月の実刑判決が下されました。

2016年1月に出所した青葉真司容疑者は生活保護を受けながらさいたま市内のアパートで暮らしていましたが、夜中に大量音量で音楽をかけるなど、近所住民とトラブルが尽きなかったようです。

その後、薬物療法を受けながらさいたま市内の更生保護施設で社会復帰を目指していましたが、残念なことに2019年7月18日の京アニ放火事件が起こってしまいました。

青葉真司容疑者は殺人や殺人未遂などの5つの罪で起訴されていますが、重度のやけどを負ったことで体調の具合により、争点を整理する公判前整理手続きの期日は決まっておらず、初公判の時期も見通せないのが現状だそうです。

青葉真司容疑者の公判では刑事責任能力の有無が最大の争点になると見込まれていることから、これまでに2度の精神鑑定が行われていると言うことです。

青葉真司容疑者の今後の体調が注目されるところです。

【追記】

青葉真司容疑者の容態は回復し、2023年9月5日に初公判が行われました。

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まとめ

京アニ放火事件の青葉真司容疑者の生い立ちについて紹介しました。

最後までお読み下さりありがとうございます。

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