【和歌山毒物カレー事件】林真須美の生い立ちは?現在は死刑に怯える日々

事件事故
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1998年7月25日に起こった和歌山毒物カレー事件。

殺人と殺人未遂の容疑で逮捕されたのが林真須美容疑者、当時37歳。

連日押し寄せるマスコミに対して、笑いながらホースで水を掛けたり攻撃的な行動が印象に残っています。

テレビの画面越しに見た林真須美容疑者に対して「凄い女だな~」とつくづく感じました。

そんな林真須美容疑者の生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。

この記事では、和歌山毒物カレー事件の林真須美容疑者の生い立ちについてまとめています。

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林真須美の生い立ち

林真須美容疑者は1961年(昭和36年)和歌山県有田市で育っています。

林真須美容疑者の出生地に関しては、和歌山県説や富山県、または韓国や北朝鮮説が浮上していますが、出生地に関しては明らかではありません。

ただ育ちは和歌山県有田市の小さな漁村で育っています。

林真須美容疑者の生い立ちは比較的裕福な家庭環境だったようです。

林真須美容疑者の家族は父親、母親と2人の兄と林真須美容疑者の5人家族。

林真須美容疑者は3人兄弟の末っ子でしかも一人娘と言うことで、とても可愛がられて育ったようです。

父親は、地味な性格で仕事も真面目だったようです。

そして母親は保険の外交員として働いていました。

林真須美容疑者の母親は地味な父親とは正反対に社交的な性格で、保険の契約も持ち前の明るい性格を活かし順調に成績を上げていたようです。

林真須美容疑者は小さい頃からピアノを習っており、自宅にもピアノがあったそうです。

当時の小さな田舎の街でピアノが家にあるという家は、かなり金銭的にも余裕があったことでしょう。

母親が保険の外交で相当の稼ぎがあったのかもしれません。

林真須美容疑者はピアノを買ってもらったり、小遣いも十分に与えられていたとのこと。

ただ、両親が仕事で忙しかったため両親にはあまり構ってもらえなかったことで、淋しい思いをしていたようです。

小学校時代にクラスメイトの前でピアノの演奏を披露する機会がありました。

しかし、この時林真須美容疑者は緊張のためか上手く弾くことが出来ませんでした。

ピアノの失敗をクラスメイトに笑われた林真須美容疑者は、ピアノの鍵盤を激しく叩いて激怒したと言います。

その頃からヒステリックな性格を持ち合わせていたようです。

普段は、内向的で恥ずかしがり屋な性格で通っていたようですが、同時にヒステリックな一面も持ち合わせていたと言うことです。

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林真須美の結婚

林真須美容疑者は高校を卒業すると同時に大学付属の看護学校に進学します。

この看護学校は寮生活で規律の厳しい学校だったとのこと。

林真須美容疑者にとって看護学校での生活は耐え難いものだったようです。

小さい頃から末っ子の一人娘と言うことで両親からは甘やかされて育ったことで、規律に則った生活は林真須美容疑者にとっては窮屈で早く自由になりたいと言う気持ちが強かったようです。

そんな時に出会ったのが後に夫となる林健治でした。

林真須美容疑者はと健治が出会ったのは、林真須美容疑者が看護学校2年生の時で19歳。

一方、林健治は35歳で16歳も年が離れていたのです。

しかもこの時林健治は既婚者だったのです。

当時、林健治はシロアリ駆除の会社を経営しており、羽振りも良かったのです。

高級外車で林真須美容疑者を迎えに行き、20万円ものネックレスをプレゼントしたり、林真須美容疑者はすぐに健治に惹かれます。

1983年、看護学校を卒業するとすぐに二人は結婚。

林健治は元妻を離婚し林真須美容疑者と結婚しますが、健治にとってこの結婚は3度目だったのです。

実は林真須美容疑者と健治の新婚生活は波乱からのスタートでした。

結婚式で何かの手違いにより、トラブルが発生。

そのトラブルで健治が激怒。

「てめぇ、俺をコケにする気か!恥をかかせやがって!」と平手で林真須美容疑者の顔を殴ったと言います。

こうして林真須美容疑者と健治の新婚生活は家賃3万円の3部屋のアパートからスタート。

林真須美容疑者も結婚当初はウェイトレスや化粧品販売などをして働きます。

そして1984年に新築の一戸建てを3500万円で購入。

この年に長女が誕生。

翌年1985年には次女が誕生。

1987年には長男が誕生しています。

お金持ちの夫と結婚し3人の子供にも恵まれ、何もかも手に入れたかのように見えた林真須美容疑者の結婚生活。

しかし、元々ギャンブル好きだった健治は、どんどんギャンブルにのめり込むようになり、本業は疎かに。

次第に仕事も減り、最終的に廃業を余儀なくされました。

この頃から林真須美容疑者の夫に対する態度は変わってゆくのでした。

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林真須美と生命保険

林真須美容疑者は保険外員の仕事に従事していた時期があります。

実は林真須美容疑者は保険金詐欺で大金を手に入れていたのです。

1995年に園部地区に120坪の家を7000万円で購入。

1995年10月には林真須美容疑者の母親が急性白血病による脳出血で他界。

母親の死亡によって林真須美容疑者は1億4000万円の保険金を手にしています。

1億4000万円の保険金が母親に掛けられていたことに驚きですが、より多くの大金を手にしたいと望んだ林真須美容疑者は保険の知識を高めていったのです。

林真須美容疑者の母親の死は事件性はなく偶然に重なったようです。

林真須美容疑者は母親の死後、1998年2月に高級リゾートマンションの最上階の購入の契約を結んでいます。

その一か月後の1998年3月に知人にヒ素入りのうどんを食べさせたとして殺人未遂を起こしています。

そしてその4か月後の1998年7月25日に和歌山毒物カレー事件が起きてしまいました。

ヒ素による食中毒で4人が死亡、63人が食中毒を起こしています。

林真須美容疑者は健治と結婚してから変わったと言われています。

結婚当時は健治の会社も潤っており、贅沢な暮らしが送れていました。

林真須美容疑者は「身に付いた贅沢は直らない。どんどん買っちゃって。」と周囲」に話していたそうです。

また、ヒアリ駆除の会社を廃業し、無収入になった夫の健治に対しては、「はよ死んだらいのに。」と周囲に漏らしていました。

そして、カレー事件で林真須美容疑者が逮捕された時は、なんと40件を超す生命保険の契約があったそうです。

その掛け金は年間で2000万円にも及んでいたということです。

林真須美容疑者にとっては、全てはお金だったでしょうか。

大金にしか幸せを見いだせないほど、人格が歪んでしまったかのようです。

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林真須美の現在は

1998年10月26日に殺人の容疑で林真須美容疑者は逮捕されました。

そして2009年5月18日に最高裁で死刑判決が下されています。

林真須美容疑者は現在大阪拘置所に収監されています。

林真須美容疑者は無罪を主張する再審請求を求めていましたが、2017年3月29日に再審は棄却。

林真須美容疑者の主張では自宅にあったヒ素と事件現場で検出されたヒ素が違うものであると主張。

しかし、再鑑定は行われず再審は棄されました。

現在の林真須美容疑者の様子は髪は白髪で頬がやせこけ、歯が抜け落ちているため、食事は減塩のおかゆを食べているとのこと。

また、2020年9月に面会した弁護士の話によると、

「毎日毎日、死刑になるんじゃないかと怯え、生きているのが限界です。」

と涙ながら訴えているとのこと。

2021年に行われた東京オリンピックについては、コロナ禍で中止か延期が最後までどっちつかずの状況でした。

その件についても、「もし、オリンピックが中止になれば話題をそらすため、死刑が執行されるかもしれない。」と焦った様子だったと言います。

また、車椅子生活になった夫健治については面会に来ないことを不満に思っているとのこと。

林真須美容疑者の自宅は2000年に何者かによって放火され全焼。

現在は更地になっているそうです。

また、林真須美容疑者の長男は母親の無罪を信じて活動されているようです。

長男は母親の事件で、自分の身柄が明らかになることで仕事を回顧同然の仕打ちを受けたり、婚約者とは結婚が破断になるなど、苦しい生活を余儀なくされているようです。

そんな苦しい状況に置かれながらも、長男は母親の無罪を信じて「死ぬまで戦う」と母親に伝えているそうです。

和歌山毒物カレー事件の被害者が報われる日はくるのでしょうか?

長男の思いが伝わる日は来るのでしょうか?

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まとめ

和歌山毒物カレー事件の林真須美容疑者の生い立ちと現在の様子についてまとめました。

最後までお読み下さりありがとうございます。

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