松山ホステス殺害事件の犯人、福田和子容疑者。
時効寸前まで警察の捜査をすり抜けた逃亡劇は衝撃的で記憶に残る事件となりました。
福田和子の次々に男を手玉にとる様は「稀代の悪女」とも言われましたが、我が子に注ぐ愛情だけは本物であったよう。
福田和子容疑者は服役中に既に亡くなっていますが、福田和子容姿者の息子の現在はどのように暮らしているのでしょうか?
この記事では福田和子容疑者の息子の現在の様子についてまとめています。
松山ホステス殺人害件の概要
1982年8月18日に起こった松山ホステス殺人事件。
福田和子容疑者は1968年に元ヤクザの男と結婚し、一男一女をもうけるも1973年に離婚。
1974年26歳の時に2度目の結婚をし、二人目の旦那との間にも一男一女をもうけています。
2度目の結婚ではサラ金に追われる暮らしで、福田和子容疑者はスナックのホステスで稼ぐことになります。
やがてスナックに来る男性と不倫関係に。
不倫相手の男に自分は、「裕福な家庭の出身」だと嘘をつきます。
少しでも自分を裕福に見せるため、福田和子容疑者は同僚のNO1ホステスの高級な家財や宝石などに目を付けました。
同僚のNO1ホステスの部屋で一緒にお酒を飲んだ後に福田和子容疑者は犯行に及びます。
着物の帯締めで同僚のホステスの首を絞めて殺害。
その後、夫を呼び出し現金や家財など334点951万円分相当を運び出します。
何も知らない夫には、同僚のホステスが襲い掛かってきたと正当防衛を主張。
夫と福田和子容疑者は遺体を車に乗せ、山の中に遺棄します。
その後、夫は自主を勧めるも福田和子容疑者は拒否し、自分だけ逃亡に出ます。
夫は警察に出頭し、強盗の共犯容疑で逮捕されています。
当時、14歳だった福田和子容疑者の長男には、「当分の間帰ってこれないから、ばあちゃんのところに行っておいで。」と言い残して逃亡します。
祖母の家ではテレビが禁止でした。
異変を感じた長男は夜中にこっそりとテレビを付けると、そこには手錠を掛けられた父親の姿が映っており、母親は殺人容疑で指名手配されている事実を知ることになります。
テレビで事実を知った長男は、「体の奥から叫びたい気持ちがこみ上げてきた。」と回想しています。
そして、妹や弟たちのために自分がしなかればいけないと、自分に言い聞かせたそうです。
事件後、福田和子容疑者は東京で整形手術を受け、名前を変えながら逃亡劇を繰り広げます。
事件後に福田和子の逃亡と息子
福田和子容疑者は別人になりすまし、全国を転々と逃亡。
事件から4年後には石川県の能美市の和菓子屋の店主と不倫関係になり、和菓子屋の店主は福田和子容疑者にのめり込んでしまい、正妻と離婚に至るまでに。
和菓子屋の店主と一緒に暮らすことになった福田和子容疑者は、結婚を迫られますが上手く交わし内縁の妻として和菓子屋を切り盛りするようになりました。
そして、四国に残してきた長男に連絡を取り、長男を和菓子屋に呼び寄せ親戚の甥っ子として一緒に暮らし始めています。
当時、長男は18歳になっていました。
事件当時、14歳で中学生だった長男は夏休み明け登校することを憂鬱に感じていましたが、いざ登校してみると周囲の方が長男に対して気を使ってくれて、逆に励ましてくれたとのこと。
中学卒業後は定時制の高校に通っていましたが、福田和子容疑者からの誘いで卒業後は石川県能美市の和菓子屋で一年半ほど暮らしています。
福田和子容疑者は内縁の妻として切り盛りをしていた和菓子屋は、石川県能美市の松村松栄堂で、元プロ野球選手の松井秀喜選手が小学生の頃に住んでいた近所だそう。
松井秀喜選手は何度も松山松栄堂に買い物に行っており、福田和子容疑者が逮捕された際には、「感じのいいおばさんだった。」と述べています。
また、福田和子容疑者が和菓子屋に入ってから、お店も繁盛し始めたということです。
福田和子容疑者は、和菓子屋に長男を呼び寄せ幸せに暮らしていましたが、そう長くは続きませんでした。
和菓子屋の店主が正式に結婚を迫るも拒否し続ける福田和子容疑者の様子を不信に思ったのが和菓子屋の親戚でした。
和菓子屋の親戚は隙を見計らい、福田和子容疑者の長男の荷物を点検。
免許証から愛媛県の住所が記載されていることで、福田和子容疑者の本性がバレることになります。
当時、福田和子容疑者は実家は金沢市の裕福な家庭と嘘をついていたのです。
親戚は直ぐに警察に通報。
逃亡から5年6カ月経った1988年2月12日、ついに警察は福田和子容疑者を逮捕寸前までこぎつけました。
しかし福田和子容疑者は察知しており、警察が到着した時には既に逃亡。
結局、長男は四国の祖母の家に戻り、バイトで生計を立てます。
福田和子容疑者はその後も逃亡を続けます。
1991年、長男は23歳で結婚。
結婚を母親の福田和子容疑者に報告、そして実際に対面で紹介もしています。
福田和子容疑者は福井県に潜伏。
行きつけのおでん屋さんにいるところを、店主がテレビで福田和子容疑者の声を聞いたのをきっかけに、福田和子容疑者であることに気づき、警察に通報。
時効まで21日を残して、1997年7月29日に潜伏先の福井県で福田和子容疑者は逮捕に至りました。
14年11ヵ月、5459日の逃亡劇に終止符が打たれました。
福田和子容疑者49歳。
長男は29歳になっていました。
福田和子容疑者は2003年に無期懲役が確定。
2005年3月10日に収容先の刑務所内で倒れ、緊急搬送されるも脳梗塞で57歳の生涯を閉じました。
刑務所から病院に緊急搬送された際には長男も駆けつけ、福田和子容疑者の手を握り「ママは強いけん大丈夫や。」、「ママ、ありがとうね。」と声をかけるなか、福田和子容疑者は静かに息を引き取ったということです。
福田和子の息子の現在
福田和子容疑者は2度の結婚で2男2女の4人の子供に恵まれています。
福田和子容疑者は殺人を犯しておきながら、子供に対する愛情は深かったようです。
逃亡先に長男を呼び寄せるなど、特に長男に対しては深い愛情を注いでいたことが伺えます。
長男に限っては、福田和子容疑者にとって初めての子供と言う点からも特に深い愛情を感じていたのかもしれません。
また、長福田和子容疑者の長男も殺人犯である母親に対しては、尊敬の念を抱いています。
時効寸前まで警察の目をかいくぐり逃亡を繰り返してきた福田和子容疑。
松山ホステス殺害事件は過去に何度かドキュメンタリー形式で再現ドラマが放送されています。
2011年には「仰天ニュース」で取り上がられ、2018年年には「直撃!シンソウ坂上」でも取り上げられています。
再び2023年1月31日に「仰天ニュース」でも再現ドラマとして放送されています。
福田和子事件がこれほどまでに繰り返しテレビで取り上げられる背景には、それだけ多くの人の記憶に深く残っており、衝撃の大きさを物語っているかのようです。
2018年の「直撃!シンソウ坂上」では福田和子容疑者の長男に直接取材を行っています。
取材の中で長男は母親、福田和子容疑者に対しての思いを語っています。
●母親を恨む気持ちは欠片もない
●母親を尊敬している
●母親に感謝の思いと、自分の子供にも同じように愛情を注ぎこんでいる
福田和子容疑者の長男は母親が起こした事件では、人生が狂ったと言ってもいいでしょう。
いかし、罪を犯した母親に対しては恨む気持ちは微塵も無いこと。
むしろ尊敬しているとのこと。
福田和子容疑者と長男の間には親子の深い愛情が行きかっていたようです。
2011年放送の「仰天ニュース」では、福田和子容疑者の長男は結婚して子供が誕生していることも公表しています。
また、小さな鉄工所の社長として懸命に働いていると紹介されています。
福田和子容疑者が2005年に収容先の刑務所で体調を崩し亡くなった歳には、四国に住む息子が遺骨を引き取ったこと。
息子は四国で父親が経営していた鉄工所を継いで、ひっそりと生活していると紹介されています。
福田和子容疑者が亡くなってから18年が経とうとしています。
福田和子容疑者の長男は55歳くらいになるようです。
お子さんも大きくなったことでしょう。
四国で父親の経営していた鉄工所を継いで、ひっそりと暮らしているとのこと。
福田和子容疑者が自分に注いでくれたように、自分の子供にも精一杯の愛情を込めて育て、何気ないごく普通の日常に幸せを噛みしめながら、日々を送られていることと思います。
まとめ
松山ホステス殺害事件の福田和子容疑者の息子の現在について紹介しました。
時効寸前まで別人になりすまし、逃亡を繰り広げた福田和子容疑者。
「見事」という一言に尽きるでしょうか。
しかし、福田和子容疑者が本当に手に入れたかった幸せは最後まで掴むことが出来なかったのではないでしょか?
福田和子容疑者の生い立ちについてはこちらの記事をご覧ください。↓
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