高校野球界にまたもや岩手県から注目の選手が現れました!
今、最も注目をされている高校野球児が佐々木麟太郎選手です。
佐々木麟太郎選手の父親はなんと大谷翔平選手や菊池雄星選手を育てた花巻東高校の野球部の監督であることで更に大きな注目を集めています。
この記事では佐々木麟太郎選手の父親の佐々木洋監督について経歴などを中心にまとめています。
佐々木麟太郎選手の父親について
佐々木麟太郎選手の父親は花巻東高校の野球部の監督をされている佐々木洋監督です。
佐々木麟太郎選手の父親の佐々木洋監督は菊池雄星選手や大谷翔平選手を育てた名監督としても有名な監督です。
佐々木麟太郎選手の佐々木洋監督のプロフィールがこちら。
- 生年月日: 1975年7月27日(2022年で47歳)
- 出身地: 岩手県北上市
- 出身高校: 岩手県立黒沢尻北高等学校
- 出身大学: 国士舘大学
佐々木麟太郎選手の父親の佐々木洋監督は岩手県北上市の出身で、2022年で47歳となります。
佐々木洋監督は農家の次男として生まれていますが、幼い頃から野球に打ち込む野球少年でした。
ずっとプロ野球選手になることを夢にみており、甲子園出場を目指していたそうです。
高校は岩手県立黒沢尻北高等学校に進学していますが、甲子園出場は叶いませんでした。
高校卒業後は国士舘大学に進学。
国士舘大学ではキャッチャーを担当していたそうです。
大学在学中に大学の先輩だった水谷哲也監督の紹介で横浜隼人高等学校で教育実習に参加し、教員資格を取得。
そのまま横浜隼人高等学校の野球部のコーチを務めます。
2000年に地元岩手県に戻り、地歴公民の教師として花巻東高校の教壇に立つことになります。
最初はバトミントン部や女子バレーボール部の顧問に就任。
2002年に念願の野球部の監督に就任しています。
佐々木洋監督が花巻東高校の野球部の監督に就任してから3年目の2005年に佐々木監督自身初の甲子園出場を果たしました。
花巻東高校の野球部は佐々木洋監督が就任する前は、2度の甲子園出場をしており野球の強豪校として有名ではありました。
2009年には菊池雄星選手と共に春の選抜大会で準優勝。
2009年の夏の大会ではベスト4入りを果たしています。
そして2011年2012年と2年連続で大谷翔平選手と共に甲子園出場を果たしていますが、どちらの年も一回戦で敗退でした。
佐々木洋監督が花巻東高校の野球部の監督に就任してからは、2022年の春までに春4回、夏8回の甲子園出場を果たすなど、指導者としての実力を発揮されています。
佐々木麟太郎選手の父親は大谷翔平選手や菊池雄星選手を育てた花巻東高校の野球部の監督でした。
佐々木洋監督の指導法
花巻東高校の野球部の監督の佐々木麟太郎選手の父親は、大谷翔平選手や菊池雄星選手を育てたことで更に注目を集めていますが、その指導法にも注目が集まっています。
佐々木洋監督は、野球 = 人生 と言う考え方を持っています。
そんな野球は人生という考え方の元に、「野球選手を育てるのではなく野球が出来る立派な人間を育てる」という指導を行っています。
メジャーリーグに行った大谷翔平選手はプレイだけでなく、グランドのゴミをさりげなく拾う姿なども海外では高く評価されていますが、そんな部分も佐々木洋監督の指導が原点にあるのかもしれませんね。
佐々木洋監督はいかに時間をかけずに結果を出すかにも焦点を当てて指導に当たっていますが、そのためには失敗を多く経験することと述べています。
選手には「積極的に失敗しろ!」と教えているそうです。
失敗を経験した時に現在の自分に力がないことを自覚してそして修正していくことの大切だと述べています。
失敗することを積極的に進められたら、選手は委縮せずにのびのびと練習や試合に臨むことが出来ますね。
佐々木洋監督が大谷翔平選手を一番最初に見た時は、それほど速いボールを投げられるわけではなかったと言います。
またドラフト1位指名を受けるよになることはすぐにはイメージ出来なかったとも。
しかし佐々木洋監督が高校3年間で大谷翔平選手を指導して行く中で、メキメキと実力をつけていた背景には佐々木洋監督の指導が大きな影響を及ぼしたことは間違いないようです。
佐々木洋監督は大谷翔平選手に球速は何キロを目指すのかを問うた時に、大谷選手は「150キロ」と答えたそうです。
その返答に対して佐々木洋監督は「160キロを目指せ」と返したそうです。
そのやり取りの中で大谷翔平選手は「最初から出来ないと決めつけるのはやめよう。」と気持ちを入れ替え練習に励むようになったところ160キロが投げられるようになったそうです。
佐々木洋監督は自分は指導者である前に教育者であることを自覚されています。
また、佐々木洋監督はプロ野球選手になることの夢は叶いませんでしたが、指導者としての才能を開花させたことは素晴らしい成功者ですね。
このような佐々木洋監督の指導法は野球だけでなく、他のスポーツであったり仕事であったり学業など様々なものに置き替えて実践できる指導法であるようです。
まさしく 野球 = 人生 のように、全ては人生に繋がって行くということになるでしょうか。
佐々木麟太郎選手について
佐々木麟太郎選手について紹介します。
まずは佐々木麟太郎選手の簡単なプロフィールです。
佐々木麟太郎(ささきりんたろう)
- 生年月日: 2005年4月18日(2022年で17歳)
- 出身地: 岩手県
- 高校: 花巻東高校
- 身長: 183センチ
- 体重: 117キロ
- 趣味: 食べること、睡眠、読書
- 好きな教科: 社会
- 家族構成: 父親、母親、妹(1歳下)
佐々木麟太郎選手は2022年で17歳、高校2年生です。
小さい頃から父親の姿を見て育った麟太郎選手は、物心ついた頃から花巻東高校で野球をやることを夢にしてきたそうです。
佐々木麟太郎背選手が6歳の時に、父親の洋監督は大谷翔平選手を率いて甲子園出場を果たしています。
そんなことからも、佐々木麟太郎選手は幼い頃から甲子園に何度も駆けつけているんですね。
佐々木麟太郎選手は中学生になると金崎リトルシニアに所属して練習をしています。
この金崎リトルシニアのチームはあの大谷翔平選手の父親の徹さんが監督を務めているチームです。
佐々木麟太郎選手にとっては大谷翔平選手と近い関係ですね。
中学を卒業するときに、父親は花巻東高校ではなく全寮制のある別の高校への進学を勧めたそうです。
しかし、佐々木麟太郎選手の決心は強く、自らの意志を貫いて花巻東高校への進学を決断。
花巻東高校で野球をやって行く上では、親と子としてやりずらい一面もあるように思えてしまいますが、佐々木麟太郎選手からするとグランドでは指揮官との親子に対する意識はないとのこと。
一方で、佐々木洋監督からするとちょっとやりずらさはあるでしょうか。
たくさんいる野球部員の中から選抜メンバーを決める時などに、ちょと父兄の目が気になってしまうことはないのでしょうか?
しかし、佐々木麟太郎選手の実力と活躍を見たら、そんな心配は無用であったことに気づかされます。
学年も父親が監督だろうが何であれ、あれだけの実力を見たら誰も不満はないでしょう。
本当に佐々木麟太郎選手の活躍に期待と注目が集まりますね。
花巻東高校に入学してからの佐々木麟太郎選手の本塁打の数は、清宮幸太郎選手の持つ高校通算記録を塗り替えそうな勢いで本塁打を放っています。
花巻東高校の3年間でどんなプレイを見せてくれるのか、どこまで成長して行くのかとても楽しみな選手です。
まとめ
花巻東高校の佐々木麟太郎選手の父親の佐々木洋監督を中心に紹介しました。
今後の佐々木麟太郎選手と佐々木洋監督の親子の野球がどんなドラマになって行くのか楽しみです!
佐々木麟太郎選手のプロフィールや家族構成についてはこちらの記事で詳しく紹介しています。
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