フィギュアスケートの男子に待望の新たな新生が現れましたね。
鍵山優真選手。
まだあどけない雰囲気が可愛らしいですが、鍵山優真選手のしなやかな滑りに魅了されているファンも多いのでは?
そんな鍵山優真選手を育てたのは、コーチーでもあり父親でもある鍵山正和さんです。
フィギュアスケートとは他のスポーツよりもかなりお金がかかることでも有名ですが、そんなお金のかかるフィギュアスケートを子供にさせてあげている鍵山優真選手の父親の職業など気になるところです。
この記事では鍵山優真選手のコーチでもある父親について、また母親など家族構成について紹介しています。
鍵山優真選手の父親が車椅子の理由
鍵山優真選手のコーチあり父親でもある鍵山正和さん。
鍵山正和さんは元々フィギュアスケート選手でした。
現在は鍵山優真選手のコーチをさていますが、鍵山優真選手の試合の際には車椅子で移動する姿などが捉えられています。
鍵山優真選手の父親が車椅子の理由に関して脳梗塞の後遺症と憶測されているようですが、鍵山優真選手の父親が車椅子の生活を送らなければならなくなた原因は脳梗塞ではなく、脳出血が直接の原因のようです。
脳梗塞と脳出血は同じような病気と思われますが、脳梗塞は脳の中の血管が詰まったり狭まったりすることが脳梗塞。
一方、脳出血は脳の中の血管が破れて出血することを脳出血と言うそうです。
どちらにしても想像しただけで恐ろしい病気です。
鍵山優真選手の父親の正和さんは脳出血の後遺症で左半身に麻痺が残ってしまたとのこと。
正和さんが脳出血を発症したのは2018年6月23日のことで、当時46歳でした。
鍵山優真選手は当時14歳。
ジュニアグランプリシリーズの派遣選考会という大事な試合の最中のことだったそうです。
鍵山優真選手は演技を終えた直後に父親が脳出血で倒れたことを知ったそうですよ。
14歳の鍵山優真選手にとって、父親が脳出血で倒れたことはそうとうのショックだったことと思います。
子供にとって親はいつまでも元気でいることが当然という思いは誰でも持っていることと思います。
ましてや、まだ中学生14歳です。
不安だったことでしょう。
また父親の正和さんにとっても、これかこの体でコーチとしてだけでなく父親としての役目を果たすことが出来るのかと不安だったそう。
正和さんは懸命にリハビリに取り組み、脳出血を発症してから半年後には優真選手のコーチに戻ることが出来たのです。
現在は短い距離は杖を使用して歩行するまでに回復、しかし長い距離の歩行は車椅子を使用しての移動でなのだそう。
鍵山優真選手と父親は練習の時も試合の時もずっと一緒。
二人三脚で日々スケートに取り組んでこられたこの努力が実りつつあるようで、今後の優真選手の活躍がとても楽しみです。
鍵山優真の父親の現役時代
鍵山優真選手の父親の正和さんは元フィギュアスケーターだったということですが、現役時代はどんな選手だったのか気になりますね。
鍵山優真選手の父親の正和さんは日本選手で初めて4回転ジャンプ成功させた選手なんですね。
鍵山様一さんの簡単なプロフィールがこちら。
- 鍵山正和
- 生年月日: 1971年4月12日
- 出身地: 愛知県名古屋市
- 出身校: 愛知工業大学名電高等学校
- 愛知工業大学中退
- 職業: フィギュアスケートコーチ
鍵山優真選手の父親の正和さんは2022年の誕生日を迎えると51歳になります。
日本人として初めて4回転ジャンプに成功した鍵山正和さんは、2度のオリンピック出場の実績をお持ちです。
本田武史選手が登場するまでフィギュアスケートの男子界を牽引してきた実力者です。
鍵山正和さんの主な成績がこちら。
- 1992年: アルベールビル五輪 13位
- 1994年: リレハンメル五輪 12位
- 1991年~1993年: 全日本選手権連続3年優勝
- 1994年: 世界選手権 6位入賞
- 1994年:引退
アルベールビルオリンピックは伊藤みどり選手がトリプルアクセルを成功させ銀メダルを獲得した大会で記憶に残っている方も多いのでは?
鍵山優真選手の父親は伊藤みどり選手と同世代で活躍されていた選手なんですね。
正和さんは現役時代は「膝と足首が柔らかい選手」と高い評価をされていたそうですが、この柔らかい膝と足首は息子さんである鍵山優真選手もしっかりと遺伝子を受け継がれているように感じますね。
ジャンプを降りた後のきれいな流れとか柔らかさは父親譲りの技術のようです。
現役を引退された後の正和さんはプロフィギュアスケーターとして活動され、長野県の軽井沢や富山県のスケートセンターでインストラクターとしてフィギュアスケーターの育成に尽力されています。
2016年4月からは横浜銀行アイスアリーナの専属のインストラクターとして活躍されています。
鍵山優真選手は生まれは横浜市となっていますが、父親の仕事の関係で長野県や富山県に住んでいたこともありました。
父親の背中を追うように鍵山優真選手も5歳からスケートを始めています。
正和さんはフィギュアスケートの厳しさを知っていたので、息子にはあまり積極的にはスケートをやってほしくなかったと言うのが正直のところでした。
確かにフィギュアスケートは採点競技ということで、素人では理解しがたいような結果に思えることも多々ありますよね。
しかし、鍵山優真選手は立派に成長されスケートの技術も身に付けて、2021年3月の世界選手権に日本代表選手として初めて父親を国際大会に帯同させることに成功。
これ以上ない親孝行ができたのではないでしょうか。
鍵山優真の母親
試合ではコーチでもある父親の存在は多く知られていますが、鍵山優真選手の母親はどのような方なのでしょうか?
実は鍵山優真選手のご両親は優真選手が幼い頃に離婚をされているようです。
兄弟は優真さんの上にお姉さん、下に弟がいて3人兄弟。
優真選手のお姉さんと弟は母親に引き取られ、優真さんは幼い頃から父親と二人の父子家庭で育っていました。
家事は全て父親の正和さんが担っていたそうです。
鍵山優真選手の母親は一般人であったことから詳細は不明、また離婚の理由に関しても詳細は不明です。
また兄弟に関しては一時は3人ともフィギュアスケートをやっていましたが、現在は優真選手だけがスケートを続けているそうです。
鍵山優真選手と正和さんは本当にずっと二人三脚で歩まれてこられたことがわかりますね。
そして父と子の深い絆のようなものも自然と溢れているように感じます。
まとめ
鍵山優真選手の父親、正和さんについて現役時代の頃の実績や現在車椅子となっている原因などについて紹介しました。
鍵山優真選手が父子家庭で育ったことなどの背景を知ると、フィギュアスケートの試合はまた違った角度から見ることが出来て、ますます鍵山優真選手を応援したい気持ちが強くなりますね!
今後、ますます活躍されることを期待しております!
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