俳優の松村雄基さんと言えば不良役が板についた印象が強いですね。
そんな松村雄基さんですが、私生活は謎に包まれた部分が多いでしょうか。
調べてみると松村雄基さんの生い立ちがかなり壮絶であったことがわかりました。
この記事では松村雄基さんの生い立ちについてまとめています。
松村雄基の生い立ち
まずは松村雄基さんのプロフィールからご覧ください。
松村雄基
- 本名: 松村憲幸(まつむら のりゆき)
- 生年月日: 1963年11月7日(2022年で59歳)
- 出身地: 東京都文京区
- 身長: 178センチ
- 血液型: B型
- 学歴: 東京都立板橋高等学校
- 趣味: ジョギング、茶道、長唄三味線
- 特技: 剣舞、詩吟、書道
松村雄基さんは2022年で59歳。
松村雄基さんの生い立ちです。
松村雄基さんは物心がつくころには、両親はおらずに父方の祖母との二人暮らしだったそうです。
住まいは東京都文京区大塚のお風呂のついてない都営アパート。
松村雄基さんは後に俳優になってからも、祖母とこのお風呂なしのアパートに住んでおり、お風呂付のマンションに引っ越ししたのは、松村雄基さんがデビューから約4年後の21歳の時でした。
話を戻しましょう。
松村雄基さんの両親は松村さんが生まれて間もなく離婚をしており、この時点で一家はバラバラに。
松村雄基さんは父方の祖母に引き取られました。
祖母からは「両親は遠くで仕事をしている」と聞かされていたそうです。
父親とは数回会ったことがあるそうですが、その時に女性も一緒にいて当初はこの女性を母親だと思い込んで「ママ」と呼んでいたそうです。
しかし、この「ママ」と呼んでいた女性が自分の本当の母親ではないことが分かったのは後からでした。
母親とは一度も会うことはなかったと言います。
松村雄基さんの祖母は大正生まれで士族の家系だったとのこと。
そのため礼儀正しく躾には厳しい人だったそうで、松村雄基さんも言葉使いや礼儀などは厳しく育てられたそうです。
食事は小さなちゃぶ台で正座をして頂いていたそうですよ。
そんな両親のいない祖母との暮らしについて、松村雄基さんは少しも淋しいとは思わなかったとのこと。
松村雄基さんは祖母が大好きで、お風呂も寝る時もいつも祖母にベッタリだったそうです。
松村雄基さんの祖母は詩吟の先生をしており、生活費は詩吟の月謝代と叔父が援助をしていてくれたそうです。
祖母との暮らしは質素ではあったようですが、それでも食べものがなく空腹感を感じることはなかったとのこと。
松村雄基さんの学生時代はバイクやケンカ、校内暴力の全盛期でもありましたが、松村雄基さんは両親がいないことでグレたり不良グループに加わるようなことはありませんでした。
松村雄基さんは祖母に心配や迷惑をかけたくなかったと、後にこの当時のことを振り返っています。
反抗期の時は祖母と会話をしなかったことくらいだったそうです。
松村雄基さんは中学2年生から3年生の時に生徒会長を務めています。
学生時代の松村雄基さんは人見知りで大人しい性格で、意外にも運動音痴だったと言います。
中学生時代の松村雄基さんの夢は中国語の通訳か外交官が夢だったそうです。
そんな松村雄基さんは中学2年生の時に、現在の事務所の社長さんにスカウトをされています。
松村雄基さんが芸能界入りを決めたのは、祖母が社長さんの人柄の良さを感じていたことと、「嫌だったら辞めればいい。」との後押しで芸能界に入る決心を固めます。
そして松村雄基さんは劇団でのレッスンを経て高校2年生の時にテレビドラマ「生徒諸君」で俳優デビューを果たしています。
松村雄基さんの生い立ちは、生まれて間もなく両親の離婚で一家バラバラになり、父方の祖母に引き取られ、お風呂なしの都営アパートで祖母との二人暮らしと言う生い立ちで育っていました。
幸いにも祖母の人柄もあってのことでしょうが、松村雄基さんは両親がいないという複雑な家庭環境に置かれながらも、グレることなく真っすぐにそして優しい人に成長されて行くのでした。
松村雄基さんの優し人柄については、次項でじっくりと紹介します。
松村雄基の祖母の介護生活
父方の祖母との二人暮らしで育った松村雄基さん。
高校2年生の時に俳優デビューを果たしています。
そしてデビューから一年後、最愛の祖母が脳梗塞で倒れてしまいました。
祖母68歳の時でした。
祖母は半身麻痺と言語障害の後遺症が残ってしまいます。
18歳だった当時の松村雄基さんはこの時から祖母の介護が始まりました。
この当時、松村雄基さんは俳優としても軌道に乗り出したところで、代表作「スクールウォーズ」を撮影していた頃のことでした。
この頃は松村雄基さんはまだ都営のお風呂なしのアパートに住んでおり、介護が必要となった祖母を4階の部屋からおんぶして銭湯に連れて行ったこともあるそうです。
松村雄基さんは祖母の介護のため、撮影終了後の会食などは行くことなく、真っ先に自宅に戻っていたと言います。
このことについて、松村雄基さんは、
「遊びに行くことや、やりたいことが出来なくても出来るようになる時が必ず来る。」
「その瞬間に出来る事を精一杯やっていれば、気持ちの持ちよう次第で人生はバラ色にも灰色にもなる。」
と述べています。
デビューから4年後にお風呂付のマンションに引っ越しますが、祖母の介護のこともあり叔父夫婦とその娘さん(松村さんにとって従弟)も一緒に住むことになったそうです。
やがて、祖母に痴ほう症が現れ始めますが、特養老人ホームに入居させることを決断。
老人ホームに入居する旨を祖母に伝えたところ「いいよ。おばあちゃん、行くよ。」とすんなり納得してくれたとのこと。
松村雄基さんは時間がある時は頻繁に使節に足を運んで、祖母に会いに行っており、休みの日でも殆ど遊びに行くこともなかったそうです。
松村雄基さんにとって介護で一番辛いと思うことは、オムツ交換など排泄物の処理ではなく、怒ってしまうことだったと述べています。
ある時は便秘がちな祖母の肛門に指を入れて排泄物をかき出したりと、大変な思いも経験されてきたようですがそんなことよりも、祖母に対して怒りの気持ちを持ってしまったことが一番辛かったと。
特養老人ホームに入居してから10年目に松村雄基さんの祖母は静かに眠るように息を引き取ったそうです。
88歳でした。
松村雄基さんは高校3年生の18歳の時から祖母の介護を担ってきました。
俳優として売れるようになってからも出来る範囲の限界まで祖母の介護を続けてきた松村雄基さん。
老人ホームに入居されてからも時間の許す限りを祖母のために施設に通い、祖母のために尽くしてきました。
不良役がすっかり板についていた松村雄基さんですが、陰ではこんな大変な思いをされていたなんて知る由もありませんんでした。
そんな松村雄基さんは、介護のストレスなどを不良役の役柄に成りきることで発散出来ていたと言います。
おもいっきいりケンカするシーンなどで発散できていたそうですよ。
祖母の介護から松村雄基さんの優しさが本当に伝わってくるようで、改めて松村雄基さんの魅力を感じた次第です。
松村雄基の特技
松村雄基さんは、詩吟と書道、剣舞を特技としています。
詩吟は祖母の影響で、祖母から教えられていました。
また書道に関しては30歳の時に、書家の五月女玉環に弟子入りしており、第17回東京書道作展で内閣総理大臣賞を受賞するなど、なかなかの腕前です。
茶道に関しても自ら教室を調べて習い始めるなど、日本文化に強い関心を持ってきたようです。
これらも祖母の影響は大きいようです。
松村雄基さんと言えば「不良役」のイメージが強く、自然とそんな不良の雰囲気を持っているかのように錯覚してしまいがちですが、実は日本文化を愛し、祖母の介護を10代か20年間も続けるなど優しい人柄でありました。
まとめ
松村雄基さんの生い立ちについて紹介しました。
最後までお読み下さりありがとうございます。
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