京セラの創業者の稲盛和夫氏。
日本航空の立て直しに携わるなど経営の神様とも言われました。
心に響く数々の本も出版されるなど、働くことの素晴らしさに共感した方も多いのではないでしょうか。
そんな仕事一直線だった稲盛和夫氏の子供は何人なのでしょうか。
この記事では稲盛和夫氏の子供についてまとめています。
稲盛和夫の子供は何人?
稲盛和夫氏は1958年に当時、松風工業の同僚だった須永朝子夫人と結婚されています。
稲盛和夫氏と朝子夫人の間には3人の娘さんに恵まれています。
長女: しのぶさん
次女: 千晴さん
三女: 瑞穂さん
稲盛和夫氏の3人の娘さんの年齢は不明なのですが、稲盛和夫氏の年齢を考慮すると、60代前後ではないかと思われます。
3人の娘さん全員が結婚して家を離れているとのこと。
長女のしのぶさんは稲盛財団の副理事長として長年に渡り稲盛和夫氏の右腕となって父親を支えてきたとのこと。
2019年には稲盛和夫氏の後を継ぎ稲盛財団の理事長に就任されています。
長女のしのぶさんは結婚されて「金澤」という姓になっています。
稲盛和夫氏の長女のしのぶさんの画像がこちら。
しのぶさんは2022年で61歳となるようです。
堅実そうなお人柄が伺えます。
三女の瑞穂さんも稲盛財団の役員として父親を支えています。
三女の瑞穂さんの姓は「稲盛」のままです。
この背景には、離婚して「稲盛」に戻ったのか、婿養子を迎い入れたのかは定かではありません。
おそらく長女さんはお嫁に行って「金澤」の姓になっていますので、婿養子をとったと思われます。
京セラの創業者でもある「稲盛」の姓は残したいのはやまやまです。
次女の晴子さんについての情報は特にありませんでした。
稲盛和夫氏は3人の娘さんとお孫さんにも恵まれています。
娘さんの教育に関しては朝子夫人に任せきりで、ほとんど口出しをしなかったそうです。
授業参観にも行ったことがなかったとのこと。
娘さんたちには、寂しい思いをさせてきたといいますが、稲盛和夫氏は「親のうしろ姿を見て育ってほしいと思っていた。」と述べています。
娘たちにつらい思いをさせているのだけれども、お父さんは会社のみんなのために頑張らなければならない。
だから勘弁してほしいと。
本当に仕事一筋で、家庭よりも仕事、特に従業員とその家族を大切にされてきたようです。
従業員とその家族を大切にしてきたからこそ、京セラは大きな企業に成長されたことと思います。
そいう訳で、稲盛和夫氏はお孫さんの教育にも一切口出しはせず、たまに「勉強しているか?」と聞くくらいだそうです。
そして、「お寿司を食べに行こう。」とお孫さんたちを連れ出すことが楽しみだということです。
稲盛和夫が京セラを世襲しなかった理由は?
稲盛和夫氏は京セラを世襲しませんでした。
「世襲」とは、その家に属した格式・仕事・財産などを、子々孫々うけついでゆくことを言います。
つまり、京セラを家族に継がせなかったと。
稲盛和夫氏が世襲しなかった理由がとても奥深いというか、世襲しなかった部分に稲盛和夫氏の人柄、人格、人間味、全てが詰まっているように感じました。
稲盛和夫氏が世襲しなかった理由は週刊朝日のインタビューによると次のとおり。
一つ目の理由は、子どもが娘だけだったからです。
二つ目の理由は、京セラは全従業員の幸福を追求するための会社で、稲盛家のものではないからです。
三つ目の理由は、世襲してもうまくいくわけがないと思ったからです。
引用元:週刊朝日
稲盛和夫氏は経営をしていくなかで、経営の才能が元々あったというよりも厳しい環境の中でその力は培われたと述べています。
そして、「苦労していない人間が、世襲制で後を継いだとしても、それは私のDNAを引き継いでいるだけのことです。」との述べています。
「苦労していない人間が世襲制で後を継いでも、、、、」、まさに名言ともとれる言葉。
経営者にとっては先天的な能力より、人生の辛酸をなめる中で開花していく後天的な能力のほうが重要だと私は思っています。
会社がもうできあがっている以上、自分の子どもであれば、厳しい経験をさせることはなかなかできない。
これでは経営がうまくいくわけがないし、道理に合わないと思ったので、世襲にしなかったのです。
引用元:主観朝日
身内に甘くなりがちな経営者も多くいるなかで、逆に厳しくする稲盛和夫氏の姿勢にも感銘を受ける方も多いのではないでしょうか。
本当に従業員、働く人の気持ちに寄り添った経営者であったことが頷けます。
正に真の経営の神様と言ってもいいでしょう。
稲盛和夫氏は沢山の本も出版されています。
中でも、「生き方」は多くの人の心に響く稲盛和夫氏の代表作と言ってもいいでしょう。
稲盛和夫のプロフィール
稲盛和夫氏のプロフィールです。
生年月日: 1932年1月21日
死没年月日: 2022年8月30日(享年90歳)
出身地: 鹿児島県鹿児島市
最終学歴: 鹿児島県立大学工学部卒業
稲盛和夫氏は鹿児島県に7人兄弟の次男として誕生しています。
父親は「稲盛調進堂」と言う印刷屋さんを営んでいました。
稲盛和夫氏は父親から経営のイロハを学んだと言います。
鹿児島高等学校第三部に進学した際に当時、不治の病と言われていた結核を患ってしまいます。
幸いにして命を取り留めましたが、この経験から医学部に進学しようと大阪大学医学部を受験するも失敗に終わります。
そのため、当時新設された鹿児島県立大学工学部に進学。
大学卒業後に大学の教授に紹介された松風工業に入社します。
ここで朝子夫人で出会い、社内結婚に至っています。
しかし、この松風工業は倒産寸前の会社で、1958年(昭和33年)に退社し、1959年に社員8人で京都セラミックを設立。
このれ京セラの前身となります。
京セラは順調に稼働し、1969年には創業12年で大阪証券取引所に株式上場を果たしています。
2010年2月には日本航空会長に無報酬で就任するなど、経営の立て直しのいも尽力をされてきました。
まとめ
京セラの創業者、稲盛和夫氏の子供について紹介しました。
最後までお読み下さりありがとうございます。
稲盛和夫氏の前向きになれる名言についてはこちらの記事に詳しく書かれています。
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