大谷翔平の生い立ちは普通の一般家庭!努力と才能で二刀流完成に!

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アメリカ、メジャーリーグで連日素晴らしい活躍をされている大谷翔平選手。

大谷翔平選手の二刀流も素晴らしいですが、何より一番惹かれるのは大谷翔平選手の人柄ではないでしょうか。

どうやったらあんなに素晴らしい子に育つのか?

ついつい疑問に感じてしまうところです。

そこでこの記事では大谷翔平選手の生い立ちに迫ってみたいと思います。

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大谷翔平の生い立ち

メジャーリーグで連日大活躍の大谷翔平選手。

二刀流の活躍に加えイケメンであることや、何より控えめで誠実な人柄に最大の魅力を感じます。

どうやったらあんなに素晴らしい息子さんが育つのか?

そう思う方も多いはず。

大谷翔平選手はどんな家庭に生まれ育っているのか、生い立ちに迫ってみました。

大谷翔平選手は、昼夜交代の工場勤務の父親と飲食店のパート勤務の母親のごく普通の一般家庭に育っていました。

大谷翔平選手の生い立ちを詳しく見ていきましょう。

まずは、大谷翔平選手のプロフィールからです。

生年月日: 1994年7月5日

出身地: 岩手県奥州市(旧水沢市)

身長: 193センチ

体重: 102・1キロ

出身小学校: 奥州市立姉体小学校

出身中学校: 奥州市立水沢南中学校

出身高校: 私立花巻東高等学校

家族構成: 父親、母親、兄、姉

大谷翔平選手は岩手県奥州市(旧水沢市)出身で2022年で28歳です。

大谷翔平選手は岩手県生まれですが、お兄さんとお姉さんは横浜市で生まれ幼少期は横浜で育っています。

3人兄弟で末っ子の大谷翔平選手だけが岩手県で生まれています。

大谷翔は平選手の「翔平」の名前の由来は、奥州平泉にゆかりのある源義経から由来されているとのこと。

源義経は戦う時に飛んだとされているところから、飛ぶ姿をイメージして「翔」。

「平」は平泉の「平」からとって「翔平」と名付けたそうです。

「翔平」とても素敵な名前ですね。

大谷翔平選手の父親は大谷徹(とおる)さん。

岩手県の出身で元社会人野球選手でした。

徹さんの身長は182センチ。

大谷翔平選手の父親は高校球児で当時、野球の強豪校であった岩手県立黒沢尻高等学校に進学。

残念ながら甲子園出場は叶いませんでしたが、三菱重工の横浜製作所の社会人野球団からスカウトされ、実業団の選手として活躍。

チームは社会人であろうが、プロ野球団であろうがスカウトされると言うことは、それだけ実力がある証拠です。

大谷翔平選手の父親の徹さんも野球の実力は相当であったことが伺えます。

しかし、腰を痛めて24歳の時に実業団で野球することを断念。

野球から引退しています。

そして、ここ三菱重工横浜製作所で大谷翔平選手の母親の加代子さんと出会い職場結婚に至っています。

大谷翔平選手の母親の加代子さんは神奈川県横浜市の出身で生まれも育ちも横浜です。

身長も170センチ。

大谷翔平選手の身長の高さや優れた運動神経は両親譲りですね。

加代子さんはバトミントンの元国体選手でインターハイ出場経験もあります。

高校はバトミントンの強豪校の神奈川県立横浜立野高等学校に進学し、バトミントンに打ち込みます。

そして、三菱重工横浜製作所の実業団に入団と共に就職します。

ここで父親の徹さんと出会い、結婚します。

1987年に長男が誕生。

1992年には第二子となる長女が誕生しています。

そして、1993年7月に大谷一家は横浜市から岩手県に移住を決断。

※大谷翔平選手が生まれる丁度一年前に移住

移住のきっかけは、岩手県に自動車ボディーメーカーの工場が新設されたこと。

また、母親の可代子さん曰く、「子供たちをのびのび育てるには狭い家で暮らすよりも自然に囲まれた広い環境の方がいいと思った。」からと述べています。

工場が新設されたことと、子育てを第一に考えての岩手県移住だったようです。

そして、岩手県に移住して一年後に第三子となる大谷翔平選手が誕生しています。

岩手県に移住してからの父親の徹さんは、昼夜交代制の工場勤務で働き出します。

母親の加代子さんは、移住当初は内職をしながら子育てに専念されていたとのこと。

そして、末っ子の大谷翔平選手が小学校に入学すると、焼肉チェーンでパートタイマーとして働きに出ています。

母親の加代子さんは、家庭では食事は楽しくをモットーに、

●夕食は必ず父親が帰ってきてから家族揃って食事をする

●休日はホットプレートで楽しく食事をする

など家族揃って楽しく食事をすることを心掛けていたそうです。

横浜生まれの横浜育ちの加代子さんにとって、慣れない田舎暮らしはどんなだったのでしょうか?

最初は田舎暮らし特有の不便さなども感じたでしょうか?

そして、加代子さんは大谷翔平選手が日本ハムに入団してからも焼き肉店のパートは継続していたとのこと。

2018年にロサンゼルス・エンゼルスに移籍されたことをきかっけに飲食店は退職されたそうです。

一方、父親の徹さんは2016年の年末に自動車ボディーメーカーを退職。

現在は、金ケ崎リトルシニアの地元野球チームの監督をされているとのことです。

大谷翔平選手の生い立ちは、工場勤務の父親と飲食店のパート務めの母親のごくごく普通の一般家庭に育っていました。

大谷翔平選手の生い立ちはごく普通の一般家庭ということで、ちょっとだけ親近感を感じられるところが嬉しいですね。

ただ、深掘りしていくと大谷翔平選手がここまで立派に成長されたのは親子関係が大きかったことと、本人の努力であったことが伝わってきます。

次項より、もう少し詳しく大谷翔平選手の子供の頃について見ていきましょう。

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大谷翔平の野球経歴

大谷翔平選手は7歳年上のお兄さんの龍太さんの影響で小学校2年生の時に野球を始めています。

大谷翔平選手はすぐに野球にのめり込みます。

そして自ら希望して水沢リトルへの入団を希望します。

しかし、水沢リトルの入団規定は小学3年生でした。

それでも、大谷翔平選手は諦めきれずに水沢リトルへの入団を希望。

大谷翔平選手の熱意に負けた父親の徹さんが水沢リトルに交渉をして、特別に水沢リトルへの入団を果たしたのです。

大谷翔平選手の父親は特例をのみ込んでくれた水沢リトルに対して、貢献する形でコーチに就任。

子供たちの野球の指導を買ってでました。

大谷翔平選手の父親の徹さんは、普段の工場の勤務に加えて水沢リトルのコーチの兼任と多忙の中、子供たちの野球の指導にも励みました。

大谷翔平選手が所属していた水沢リトルは岩手県内でもリトルリーグの強豪チームとして有名でした。

比較的、野球の強い子ども達が集まる水沢リトルの中でも、大谷翔平選手の実力は郡を抜いてたと言います。

また覚えの早さも断トツで、他の子供たちが数時間かけてマスターする動作も大谷翔平選手はすぐに覚えていったと言います。

大谷翔平選手が小学3年生のときには水沢リトルは全国大会に出場を果たしています。

そんな強豪の子供たちが集まる水沢リトルのチームの中で、大谷翔平選手は小学5年生になるとエースを任されるようになります。

そして、小学校5年生の時にMAX110キロを投げるようになっていました。

当時のリトルリーグの平均は90キロですから、大谷翔平選手の実力が際立っていたことが伺えます。

小学6年生の東北大会決勝では17奪三振を奪っています。

そして、地元の公立の奥州私立水沢南中学校に進学した大谷翔平選手。

大谷翔平選手は中学の野球部には所属せずに、中学1年の夏まで引き続き水沢リトルに所属し野球を継続。

その後、一関リトルシニアに所属します。

父親の徹さんもこれに伴って一関リトルシニアのコーチに就任。

引き続き二交代制の工場勤務をしながら一関リトルシニアで週4日大谷翔平選手の練習に付き添いました。

一関リトルシニアでの大谷翔平選手は更に才能を開花させます。

この頃は120キロのボールを投げ、打力も特大のホームランを続出。

一関リトルシニアのチームは河川敷のグランドを練習場にしていましたが、大谷翔平選手の打つボールが川に入ってしまうほどの特大さで、ボールの紛失が相次ぎボール代もバカにならない程に。

あまりにもボール代がかさんでしまうため、大谷翔平選手には飛距離の出る引っ張り打法禁止令が出されてしまいます。

それから大谷翔平選手は流し打ちに打法を変えたそうですが、流し打ちでも川まで飛距離が出てしまうほどだったと言います。

また、中学時代に福島県に合宿試合に行った際には、場外ホームランを放ち歩行者用の信号機を破壊したとのエピソードも。

大谷翔平選手は高校は、菊池雄星選手に憧れて花巻東高等学校に進学されています。

花巻東高等学校では佐々木洋監督のもと、野球の技術や人間性を学び更なる進化を遂げます。

佐々木洋監督の勧めで大谷翔平選手は目標達成シートを作成しています。

現在、大谷翔平選手がメジャーリーグで大活躍を遂げているのは、この目標達成シートがあったことは大きかったと思います。

大谷翔平選手の高校時代は2度の甲子園出場を果たしています。

一度目は、高校2年生の夏。

1回戦に帝京高校と対戦し、7-8で初戦敗退。

2度目の出場は高校3年生の春の選抜でした。

1回戦で優勝チームとなった大阪桐蔭高校と当たり、2-9で初戦敗退されています。

高校3年の夏は岩手県大会で決勝で一関学院に敗れ、最後の夏は甲子園出場は叶いませんでした。

それでも、高校時代の大谷翔平選手の活躍は日本の球団だけでなく、アメリカメの球団も注目し、本人も高校卒業後にメジャーリーグに行くことを望んでいましたが、2012年のドラフト会議で日本ハムに1位指名され、日本ハムの強い説得で日本ハムに入団することを決断した経緯があります。

大谷翔平選手の高校時代の球速がこちら。

高校1年生: 147キロ

高校2年生: 151キロ

高校3年生: 160キロ

小学校2年生から野球を始めた大谷翔平選手ですが、元アマチュアアスリートの両親の運動神経の良さをそのまま引き継いで最初から備わっていた運動神経の良さも勿論大きいと思いますが、それ以上に大谷翔平選手の努力にも目を向けたいところです。

大谷翔平選手は小学生の頃い「野球ノート」を通じて父親の徹さんと野球の交換日記をしていました。

翔平選手は試合での反省や今後の課題などを書き留め、父親の徹さんはその日の評価やアドバイスを書いたそうです。

また、「野球ノート」には

●大きな声を出して元気良くプレイする

●キャッチボールを一生懸命練習する

●一生懸命走る

と、基礎的なことが記されてあったそうです。

大谷翔平選手はこの野球日記の基礎的な部分に関しては、今でもハッキリ覚えているそうで、いつどのステージに行っても言えることは「全力疾走やそれらを取り組む姿勢は大きな意味を持っている。」と述べています。

大谷翔平選手はステージがどんどん上がっていっても、ブレない人柄やプレイスタイルはこの「野球ノート」の基礎が生きているのかもしれませんね。

少し長くなりましたが、大谷翔平選手の現在の大活躍の根本的な部分は基礎を大切にして、たゆまぬ努力を継続してきたからこそ、素晴らしいパーフォーマンスが披露されていることでしょう。

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大谷翔平の家族構成

最後に大谷翔平選手の家族構成を紹介します。

大谷翔平選手は父親と母親、お兄さん、お姉さん、そして大谷翔平選手の5人家族です。

父親の徹さんと母親の加代子さんは、前述した通り。

お兄さんは大谷龍太さん。

大谷翔平選手の7歳年上です。

2022年で35歳となるようです。

龍太さんの身長は187センチと兄弟揃って高身長です。

大谷翔平選手のお兄さんの龍太さんの画像がこちら。

出典:web sportiva

あまり翔平選手とは似ていないでしょうか。

お兄さんの龍太さんもずっと幼い頃から野球をしており、高校は岩手県立前沢高等学校に進学し野球を継続していますが、甲子園出場は叶いませんでした。

高校を卒業後は、東北を代表する名門の社会人野球クラブ「永沢駒形野球クラブ」に入団。

その後、独立リーグ位置付の四国のアイランドリーグPlusの高地ファイティングドックスからドラフト2位指名され入団し、2年間四国でプレイしています。

独立リーグではありますが、スカウトされたということで大谷翔平選手のお兄さんの龍太さんの野球の実力もかなり高い選手であったようです。

その後はトヨタ自動車東日本へ入社。

トヨタ自動車東日本の実業団チームの選手兼コーチに就任。

2013年12月には高知時代に知り合った女性と結婚されています。

龍太さんのお嫁さんは元ミス高知で英語が堪能な方で、ローカルタレントとして高知放送局でキャスターなどをして活躍されていた方だそうです。

大谷翔平選手のお姉さんは翔平選手よりも2歳年上の結香さん。

結香さんは高校時代はバレーボールに励んでいたそうです。

高校卒業後は岩手看護大学に進学。

横浜市で看護師として働いていたようですが、2020年1月に結婚されています。

結香さんの夫となった方は、花巻東高等学校の野球部の部長さんである流石裕之氏。

1981年生まれの流石裕之氏は2022年で41歳です。

結果さんは30歳ですので年の差11歳もあるんですね。

流石裕之氏は2004年から花巻東高等学校の野球部のコーチに就任されていますので、大谷翔平選手が花巻東高等学校に在籍されていた時は既に野球部の部長に就任されていました。

みんな野球繋がりということで、大谷家は野球との結びつきがかなり強いようです。

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まとめ

大谷翔平選手の生い立ちを紹介しました。

最後までお読み下さりありがとうございます。

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