2011年の東日本大震災やコロナの感染病など予知夢が的中したとして話題の漫画家たつき諒先生。
たつき諒先生が1999年に出版した「私が見た未来」の表紙には「2011年3月大震災」の文字が書かれていました。
そして今たつき諒先生の最新の予知夢が話題となっています。
たつき諒先生の予知夢は2025年7月5日に東日本大震災よりも大きな大災害が起こるというもの。
たつき諒先生の2025年7月の大災害の起こる場所がどこなのか気になるところです。
この記事では、たつき諒先生の2025年7月に起こる大災害の場所についてまとめてあります。
たつき諒先生の2025年7月5日の予知夢とは?
まずは、たつき諒先生の「私が見た未来」の漫画本について説明しておきます。
たつき諒先生が「私が見た未来」を出版されたのは1999年のこと。
そして、たつき諒先生は1999年で漫画家を引退されています。
引退の理由に関しては、先生はストーリー制の漫画を描く事に苦手意識を持っていたことと、体力の限界を感じたことで引退をされています。
また、たつき諒先生は1980年頃から予知夢を見るようになったと言います。
1980年から1999年の間に大震災が起こったり、人が亡くなる夢を頻繁に見るようになたとのこと。
たつき諒先生は元々霊感は全くなかったそうです。
しかし、不気味な夢を頻繁に見るようになったことで、実際に見た夢を日記に記すように。
その夢の日記を元に漫画化にしたのが「私が見た未来」だったのです。
「私が見た未来」の初版は1999年に出版。
初版の「私が見た未来」にはダイアナ妃や尾崎豊の死、阪神淡路大震災、疫病(コロナ)、そして東日本大震災の予知夢が書かれていたのです。
偶然が重なった結果論と言ってしまえばそれまでですが、1999年初版の私が見た未来の表紙に「2011年3月大震災」の文字を見た時は、ゾッとしてしまいました。
たつき諒先生の「私が見た未来」の初版は、現在は10万円以上の値段で取り引きがされるほどの価値が付いているそうです。
そして今、たつき諒先生の新たな予知夢が話題となっているのです。
その予知夢が2025年7月5日に東日本大震災よりも大きな災害が起こると言うもの。
余談ですが、7月5日と言えば、メジャーリーガーで大活躍中の大谷翔平選手の誕生日でもあります。
たつき諒先生がこの新たな予知夢を見たのは、2021年7月5日AM4:18分に見たそうです。
正確には一番最初に見たのは、たつき諒先生がインド旅行に行った際に大震災が起こる夢を見たそうです。
そして2021年7月5日にまた同じ夢を見たとのこと。
そして、この時に見た夢のは日付けもしっかりと現れたというもの。
少し前後してしまうのですが、たつき諒先生が見た東日本大震災の夢に関しては、津波の夢を10代の頃に見たそうですが、映画のシーンのように夢から覚めてもハッキリと覚えていたそうです。
後にこの津波の夢の漫画は「私が見た未来」を出版する15年以上前の1981年の27歳の時に書いています。
そしてその夢の中のたつき諒先生は、半袖を着ていたとのこと。
このことから、たつき諒先が見た津波の夢は東日本大震災の予知夢ではなく、この後の2025年7月5日の予知夢ではないかと、ご自身では解釈されているとのことです。
2021年7月5日に見た夢では、たつき諒先生は空からの目線で地球を見ていたそうです。
たつき諒先生の最新の予知夢の大震災が起こる場所は何処なのでしょうか?
次項より、たつき諒先生の2025年7月5日の予知夢の大災害の場所を詳しく見ていきましょう。
2025年7月5日の大災害の場所はどこ?
たつき諒先生がインドで見た津波の夢は、日本列島の南に位置する太平洋がいきなりポッコリと盛り上がる夢を見たそうです。
海底火山なのか爆弾なのかは分からなかったとのこと。
そして2021年7月5日の夢では、日付と場所が夢の中でハッキリと現れたそうです。
その日付が2025年7月5日。
場所は、日本とフィリピンの中間あたりの海底がボコンと破裂をしたそうです。
その破裂によって海面では大きな波が四方八方に広がっていき、太平洋の周辺の国に大津波が押し寄せて行ったと言うもの。
その津波の大きさは東日本大震災の3倍にもなっていたとのこと。
その津波の衝撃で陸が押されて盛り上がり、香港から台湾、フィリピンが陸続きになって見えるようだったと。
たつき諒先生の予知夢の大津波の夢の場所はフィリピン海が中心となているようです。
フィリピン海を中心に北は日本、西は台湾、南はインドネシアのモロタイ島、東はマリアナ諸島を結ぶひし形に津波が押し寄せたように見えたとのこと。
たつき諒先生はこの津波の夢を見た時に速記で日記に記しました。
その夢の詳しい内容は、南海トラフ地震の想定をはるかに超える壊滅的な大津波が日本の太平洋側を襲う映像が見えたというものです。
それと同時に、事前に災害に備えておいたことで多くの人の命が助かり、速やかに復興を目指して人々が活き活きと暮らしている明るい未来の映像も映っていたそうです。
つまり、たつき諒先生の2025年7月5日の予知夢が情報となり、あらかじめ災害が起こることを事前に分かっていたことで、たくさんの人の命が助かったというストーリーになるようです。
たつき諒先生の2025年7月5日の大震災の予知夢は、「完全版・私の見た未来」に詳しく書かれています。
例えば1999年の漫画に描いた震災が東日本大震災の予知夢だったとすれば、それは間に合わなかったと。
なぜなら、たつき諒先生の「私の見た未来」はそれほど、沢山の人の目に触れることがなかったため、災害を防ぐことに間に合わなかったと言います。
しかし、「私の見た未来」が注目を集めるようになった現在は、沢山の人が注目していることで事前の対策を立てることが出来るのではないかと先生は述べています。
日付けまで明確になっているので、みんなが同じゴールに向かっていけるのではないかいと考えているとのこと。
たつき諒先生は、「大切なことは準備すること。災難雄のあとの生き方を考えて、今から準備・行動しておくことの重要さを改めて認識して欲しい。」と述べています。
たつき諒先生の予知夢が的中するという証拠はどこにもありません。
しかし、地震大国の日本に住んでいる限り、震災を常に意識する必要はあるかと思います。
災難はないに越したことはありませんが、日頃の準備は大切だなと改めて認識しました。
たつき諒先生の2025年7月の予知夢に関しては、必要以上に不安を仰ぐように感じる方もいると思います。
また、必要以上に神経質になる方もいるかもしれません。
あくまでもたつき諒先生の夢に基づいて、書かれた漫画です。
そして、たつき諒先生は2011年3月の大震災を的中させたと話題ですが、実は外している予知夢もあるのです。
その一つが富士山の噴火なのですが、1991年8月20日に見た夢では、富士山から黒い煙が立ち上り噴火する予知夢を見ています。
富士山の噴火は15年後の2006年と想定されていましたが、実際には何も起こらず。
そして予知夢から30年後となった2021年にも何も起こりませんでした。
このように夢で終わっている予知夢も沢山あるようです。
あまり神経質にならずに、日頃から災害の備えておくことを意識していけばいいのではと個人的には考えています。
まとめ
たつき諒先生の2025年7月5日の予知夢の大津波の場所につていまとめました。
最後までお読み下さりありがとうございます。
たつき諒先生の年齢をはじめ詳しいプロフィールはこちらに書かれています。
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