テレサテンの死の原因は喘息?最後に一緒にいたのは14年下の恋人?

ミュージシャン
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「アジアの歌姫」として多くの人から愛された歌手のテレサテンさん。

テレサテンさんが残した曲は今もカラオケで歌われるなど、テレサテンさんの日本での人気は劣ることがありません。

そんなテレサテンさんですが42歳という若さで急逝しています。

あまりにも早すぎるテレサテンさんに何が起こっていたのでしょうか?

この記事ではテレサテンさんの死の原因について迫ってみたいと思います。

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テレサテンの死

透き通るような優しい歌声がとても素敵だったテレサテンさん。

テレサテンさんは台湾出身の歌手でしたが、日本でも大人気を誇っていました。

そんなテレサテンさんですが、1995年5月8日に42歳の若さで亡くなっています。

テレサテンさんの両親は中国の出身で、テレサてんさんは中国に強い思いを抱いていたそうです。

1990年には長年の夢だった中国本土でのコンサートが予定されていましたが、天安門事件により中止に。

テレサテンさんは失意の中、アジアを離れてフランス、パリに単身で移り住みましたが、中国への思いは更に強まって行ったと言います。

そんな背景のなかで、1992年には中国で大ヒットした「夜来香(イェライシャン)」を発売。

この頃から持病だった喘息が悪化していったと言われています。

1990年以降は徐々に表舞台から離れていったテレサテンさん。

日本に来日する機会も減っていきました。

テレサテンさんの日本での最後のテレビ出演は、1994年11月放送のNHKの「歌謡チャリティーコンサート」でした。

喘息の悪化によりテレサテンさんは、より空気の良いところにとタイのチェンマイのホテルで静養することいを選択します。

タイのチェンマイでテレサテンさんが滞在したホテルは、メイピンホテル。

テレサテンさんが亡くなる一ヵ月前から滞在していたと言います。

メイピンホテルには恋人のステファン・ピエールさんと共に最上階のプライベートルームに滞在。

一泊1200ドル(当時の日本円で10万2000円)の部屋に滞在していたそうです。

そして、テレサテンさんの恋人とされていたステファン・ピエールさんはテレサテンさんよりも14歳も年下のフランス人で専属のカメラマンだったとのこと。

テレサテンさんは、恋人に1000万円もするカメラ機材を買い与えていたとも言われています。

恋人のステファン・ピエールさんとは7年らいのお付き合いだったとのことで、テレサテンさんがフランスに単身移住した際には同棲をされていたと言うことです。

チェンマイのメイピンホテルに静養のため滞在していたテレサテンさんは、部屋の外で倒れた状態でいたところをホテルのスタッフが発見。

すぐに救急搬送されるも、病院に辿り着く前に救急車の中で息を引き取ったそうです。

なんでも、道路が渋滞しており通常だったら10程度で病院に到着するところ、30分もかかったと言われています。

当時、テレサテンさんは42歳。

恋人のステファン・ピエールさんは28歳でした。

テレサテンさんが救急搬送され駆け付けた恋人のステファン・ピエールさんはテレサテンさんから片時も離れなかったと言います。

あまりにも、突然のテレサテンさんの若すぎる死に関しては、色々な死亡説が浮上しました。

次項より、テレサテンさんの死亡説について紹介します。

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テレサテンの死亡説

テレサテンさんが亡くなったのは1995年5月8日。

偶然にもテレサテンさんの父親の命日と同じ日でした。

実は、1995年にテレサテンさんが亡くなる以前にも二度ほどアジア各国でテレサテンさんの死亡説が浮上していました。

一度目の死亡説

一度目のテレサテンさんの死亡説は、1990年5月~6月。

テレサテンさんの父親の葬儀に姿を見せなかったテレサテンさんに対して、死亡説が浮上しました。

二度目の死亡説

二度目の死亡説が浮上したのは、1991年4月~5月のこと。

テレサテンさんの病死説と暗殺説が浮上したのです。

後に、テレサテンさん本人により、病死説と暗殺説は否定するコメントが新聞などに掲載されました。

喘息の持病を患っていたテレサテンさん。

フランスパリに移住するなど徐々に表舞台から姿を見せなくなったことで、このような死亡説浮上に繋がったようです。

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テレサテンの死の原因

テレサテンさんは前述の通り、喘息による発作で亡くなっています。

しかし、テレサテンの死に関しては暗殺説や、エイズ説、薬物説など色々な憶測が浮上しています。

暗殺説に関しては、テレサテンさんがスパイで、台湾に他国の軍事事情を提供させていたとの噂も飛び出す始末でした。

また、エイズ説も浮上しており、これはテレサテンさんが香港の女性映画監督と同性愛者だったと言われていたことも。

この香港の女性映画監督と同性愛者であると囁かれたことに関しては、テレサテンさんは否定も肯定もしなかったとのこと。

薬物を使用していたと噂が出たのは、当時のフランス人のカメラマンの恋人の行動が怪し気だと言われたことから浮上したようです。

なんでも恋人のステファン・ピエールさんが、滞在先のメイピンホテルの近くのナイトバザールの屋台に足しげく通っており、その行動が怪しいと見られていたようです。

テレサテンさんは亡くなる前の1995年2月上旬に風邪で体調を崩しています。

その時の担当医師である、スメット・ハンタクン医師によると、テレサテンさんの死の原因は100%気管支喘息の発作と断定しています。

また、テレサテンさんのお兄さんんはテレサテンさんが9歳の頃から喘息を患っていたことを公表。

テレサテンさんが42歳で急逝した際に司法解剖を行わなかったのは、テレサテンさんの家族からテレサテンさんの体にメスを入れて傷つけたくないとの要望があったからだと言うことです。

テレサテンさんの死の原因に関しては気管支喘息の発作と言うことですが、それは表向きで謎があるのでは?と現在も水面下ではそのような不信感な見方もあるようです。

あまりにも早すぎたテレサテンさんの死に納得がいかないことの現れかしれません。

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テレサテンのお墓

テレサテンさんの葬儀は1995年5月28日に台北市で国葬並みの葬儀で執り行われました。

またテレサテンさんは火葬ではなく、エンバーミングが施され土葬となりました。

土地面積の狭い台湾で土葬にすることは非常に難しく、資金もかかるとのこと。

しかし、台湾では国民的英雄だったテレサテンさんの対してはエンバーミングを施し埋葬されました。

エンバーミングにより、死後50年はそのままの状態が保たれると言われています。

テレサテンさんはの公園のように整備された台北の金宝山の新北市金山区金宝山墓園内に土葬されています。

無念の死を遂げたテレサテンさんの晩年は孤独のような切なさを残しましたが、テレサテンさんのお墓には現在も沢山のファンがお参りに足を運び、常にきれいなお花が供えられているようです。

それだけ、テレサテンさんが残した功績は偉大ですね。

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まとめ

42歳の若さで亡くなったアジアの歌姫ことテレサテンさんの死の原因について紹介しました。

最後までお読み下さりありがとうございます。

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