2019年3月8日の爆報フライデーに元ロックバンドT-Bolanのボーカルを担当していた森友嵐士さんが出演されるようですね。
森友嵐士さんは、現在は山梨県の片田舎で超庶民派の暮らしをしているところが取り上げられるようです。
山梨の片田舎で超庶民派の暮らしをしているとのことですが、、のんびりゆったりとした平穏な暮らしとは裏腹に、森友嵐士さんの過去に触れて行くうちに、マリアさんという一人の女性が浮かび上がってきました。
マリアさんは森友嵐士さんの元のお嫁さんで、後々に男女7人集団変死事件の首謀となった方なんですね。
振り返れば、そんな事件があったなと薄っすらと思い出される事件。
この男女7人集団変死事件に至るまでには、マリアさんの父による壮絶な過去が影響されていたことがはっきり分かる証拠も残っていました。
今回は森友嵐士さんのお嫁さんだったマリアさんの結婚の詳細や、過去の父から受けた想像を絶するような事実、また衝撃だった男女7人集団変死事件について調べてみました。
森友嵐士さんのお嫁さんだったマリアさんの過去を振り返ってみましょう。
森友嵐士と嫁のマリアの結婚
森友嵐士さんとマリアさんが結婚されたのは1994年で、周囲には公表せずに極秘結婚だったようです。
当時、森友嵐士さんが29歳、マリアさんは24歳の頃のようですね。
ちなみにマリアさんは1970年生まれ、森友嵐士さんは1965年生まれですね。
お二人が結婚ししてからすぐに女の子が生まれたようです。
しかし、子供が生まれてからすぐに離婚をされています。
結婚後わずか5カ月でのスピード離婚でした。
この離婚の原因は、マリアさんの壮絶な過去の家族関係が原因だったようです。
マリアさんは、幼いころから父親に暴力と性的虐待を受けていたのがトラウマとなり、多重人格という精神障害を持っていたのでした。
医師からの診断でマリアさんの中には12人の人がいると診断されたようです。
多重人格と言えば、「24人のビリー・ミリガン」という本が一時話題になりました。
マリアさんは、結婚当初、森友嵐士さんに多重人格であることを隠していたようですが、子供を虐待したり、家に火をつけるなどして他の人格が出てしまい森友さんもマリアさんの病気に気づき、病院での治療を始めました。
しかし、結果的に森友嵐士さんとマリアさんは離婚という道を選びました。
このとき、娘の親権は森友嵐士さんが持ちました。
離婚後、マリアさんはメリーメリーマリーのボーカルとして「マタアイマショウ」で1998年9月9日にデビューしています。
森友嵐士さんとマリアさんの結婚生活はわずか、5カ月で終わってしまったのでした。
森友嵐士の嫁マリアの日記
森友嵐士さんとマリアさんは、お互いに嫌いになったわけではない別れ。
お二人の別れの原因となったのが、マリアさんの幼いころに父から受けた暴力と性的虐待だった訳ですが、マリアさんは父からの虐待に相当苦しんでいたようです。
性的虐待はマリアさんが8歳のころから受けていたようですね。
虐待を受けていた時の様子を綴ったマリアさんの日記があります。
日記は、僕というフレーズが出てきており、マリアさんの中に男がいたこともわかります。
そんな衝撃な内容が記されているマリアさんの日記がこちら。
以前、天童荒太さんの「永遠の仔」という小説は、テレビドラマ化もされましたが、まさにこの小説の中の世界ですね。
このような壮絶な経験をすれば、誰でも精神的に壊れてしまうでしょう。
マリアの再婚
森友嵐士さんと離婚をされてからのマリアさんは、多重人格の治療を受けており、徐々に克服していったようです。
2003年には再婚もされています。
再婚した時は、すでに多重人格も完全に克服していたようです。
再婚相手との間には男の子も授かっています。
しかし、、、幸せは長続きしませんでした。
なんと再婚相手の夫はDV夫で、暴力を振るわれ幸せな結婚とはいかなかったようです。
何故もこのように、不幸な男を引き寄せてしまったのか、、、、。
マリアさんは、当時5カ月の息子を連れて別居し、新たな生活をスタートさせるも多重人格が再発してしまいます。
マリアさんは、再婚するもDV夫が原因でやっと克服した多重人格も残念ながら再発してしまったのでした。
衝撃の男女7人集団変死事件
衝撃の男女7人集団変死事件が起こったのは、2004年10月12日、AM6時29分。
場所は、埼玉県皆野町の「美の山公園」の展望台付近の駐車場でした。
ワゴン車の中に10代から20代の男4人、女3人が変死しているのが発見されました。
ワゴン車はレンタカーで、ワゴン車の窓ガラスは中からガムテープで覆われており、車内には練炭を燃やした七輪が4台あり、複数の遺書も見つかったようです。
記憶の片隅に埼玉県で集団自殺があったニュース報道は覚えていましたが、まさかこの自殺の首謀が森友嵐士さんの元妻だったとは、今更ながら衝撃です。
マリアさんはインターネットで自殺願望のある人を募っていたようですが、マリアさんの息子はこの事件の寸前に施設に預けられたようです。
息子と森友さんの間に生まれた娘さんに対してこのような言葉を残しています。
ごめんね。私は母として死んでしまうけれど、母としてあなたたちを産んだことは幸せでした。
無念ですね。
マリアさんにとって母親になれたことは、心からの幸せだったのだと思います。
事件の後、この息子さんは森友嵐士さんが引き取っているようですね
新聞などでは、マリアさんのことを「文京区の無職女性」と書いていたようです。
衝撃の集団変死事件は、マリアさんの呼びかけがきっかけとなってしまった悲しい出来事でした。
この時、マリアさん34歳でした。
マリアさんのご冥福をお祈りいたします。
T-BOLANについて
最後に森友嵐士さんが組んでいたバンドT-BOLANについてお伝えしておきます。
森友嵐士さんが組んでいた人気バンド「T-BOLAN」は、1991年にデビュー。
当時はT-BOLANもそれなりに名の知れたグループでしたが、GLAYやミスターチルドレンが全盛期でしたので、少し隠れた人気だったように思います。
それでも「離したくはない」や「BYE FOR NOW」や「マリア」は、今聞いても全然色あせてない新鮮ですね!
今でもカラオケで歌う人も多いですね。
とくに「マリア」という曲は、森友嵐士さんの元嫁のマリアさんに思いを込めて作られたと言われているようです。
T-BOLANの曲は聞いてい心にしんみりくる曲が多いですよね。
色々と大変な思いを乗り越えてきた人だから作れる曲なのかもしれません。
まとめ
今回は、森友嵐士さんの元お嫁さんのマリアさんの結婚から離婚までと、マリアさんの壮絶すぎる家族関係を探ってみました。
マリアさんの日記は、マリアさんの実体験が赤々と綴られており、読むのも気が引けるような内容に衝撃を受けざるを得ませんでした。
残念ながらマリアさんは、お二人の子供と森友さんを残して逝ってしまいました。
マリアさんの短くも濃厚な人生に悔いはないのだと思います。
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