令和の怪物こと千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手。
プロ入り3年目となる2022年佐々木朗希投手の活躍が期待されます。
そして佐々木朗希投手と言えば母親がとても美人だと話題にもなっています。
そこで今回は佐々木朗希投手の母親について再婚説なども含めて紹介しています。
佐々木朗希投手の母親について
まずは佐々木朗希投手の簡単なプロフィールからご覧ください。
佐々木朗希(ささき ろうき)
- 生年月日: 2001年11月3日(2022年で21歳)
- 出身地: 岩手県陸前高田市
- 出身高校: 岩手県立大船渡高等学校
- 身長: 190センチ
佐々木朗希投手は岩手県陸前高田市の出身。
2011年の東日本大震災で壊滅的な被害を受けた地域です。
佐々木朗希投手は祖父母と両親、兄と弟の7人家族で暮らしていましたが、震災によって父親と祖父母、そして家を失うという絶望を経験されています。
佐々木朗希投手が9歳で小学3年生の時でした。
震災後は一時的に老人ホームに避難生活を送っていたそうですが、母親の親戚を頼りに大船渡市に移住。
そこから生活を立て直しています。
震災で夫を失った佐々木朗希投手の母親は女手一つで3人の息子さんを育てられました。
自ずと強くならなければならない状況であったことでしょうけれど、それでも何もない状態から女手一つで生活を立て直していったということは、強い母親像が垣間見えます。
そんな佐々木朗希投手の母親は佐々木陽子さん。
2019年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから1位指名された時の陽子さんの年齢は46歳でした。
2022年で49歳となるようです。
佐々木朗希投手には3歳年上のお兄さん琉希さんがいるのですが、49歳にして24歳の息子さんがいるとなると結婚は早かったようですね。
若いお母さんなので、息子さんからしたら自慢の母親でしょうね。
気になる佐々木朗希投手の母親陽子さんの画像がこちら。
横顔ですが、鼻筋のスーッと通った綺麗な母親ですね。
長い髪にも若さを感じます。
佐々木朗希投手の母親の陽子さんは2011年の震災の時は仕事で家にはいなかったそうです。
大船渡に引っ越してからも懸命に働いで子供たちを育ててきたと言いますが、そんな中で子供たちが野球をやる姿を見て励まされてきたそうです。
野球の試合の応援の時は、他のお父さんたちがビデオカメラを回す姿を見て寂しい思いも抱いたこともあったようですが、それでも息子のプレイする姿を肉眼でしっかりと見つめていたとのこと。
肉眼に焼き付けた息子の姿は決して色褪せることなく、鮮明にいつでも思い浮かべることができることでしょう。
女手一つでしっかりと子供を育ててきた母親に対しては、佐々木朗希投手も幼い頃から母親に対して信頼や思いやりの気持ちが絶えなかったようです。
佐々木朗希投手が小学4年生の時に母の日には100均でハンカチをプレゼント。
最初は100均のハンカチで陽子さんが喜ばないだろうと思いながら渡したそうです。
しかし陽子さんは大喜び。
佐々木朗希投手はプロ野球選手になった現在、このように述べています。
プレゼントはあげるにしても値段ではない。
気持ちをつたえればわかってくれると思うので
何かしてあげたらいいと思います。
また小学5年生時の母の日のプレゼントはロールケーキを用意しました。
サプライズでロールケーキはガレージに隠しておいて、夕食の後にこっそりと渡してみんなで食べたそうです。
現在も定期的に実家に連絡を入れるなど家族想いの佐々木朗希投手です。
佐々木朗希投手がプロ入り初勝利を上げたのは2021年5月27日に甲子園球場で行われたセパ交流戦の阪神タイガース戦でした。
この時のヒーローインタビューでウィニングボールを誰に捧げたいか問われた佐々木朗希投手は「両親」と答えています。
これをテレビ中継で見ていた母親の陽子さんは涙が止まらなかったと言います。
「母親」だけじゃなく、今は亡き父親の分も含めて「両親」と答えてくれたことがとても嬉しかったそうです。
佐々木朗希投手に於いてもこのヒーローインタビューでは事前に用意されていた言葉ではなく自然に出てきた言葉に周囲も感動。
負けた阪神タイガースファンからも「頑張れ!」とねぎらいの言葉が送られました。
佐々木朗希投手のプロ入り初勝利のウィニングボールは、お仏壇に飾られているそうです。
佐々木朗希投手の母親の再婚説について
佐々木朗希投手の母親を検索すると、「再婚」のキーワードが出てきます。
再婚?
思わず気になってしまいますね。
まぁ、あれだけ綺麗な方ですから再婚の話が持ち上がってもおかしくはないかと思います。
結論からすると佐々木朗希投手の母親は再婚はされていません。
美人であるがゆえに、再婚説が浮上したと思われます。
佐々木朗希投手の兄弟について
ささ佐々木朗希投手の兄弟について紹介します。
佐々木朗希投手は男三人兄弟の真ん中。
佐々木朗希投手の兄弟図がこちら。
- 長男: 琉希(るき) (2022年で24歳)
- 次男: 朗希 (2022年で21歳)
- 三男: 怜希(れいき)(2022年17歳)
お兄さんの琉希さんも高校球児でした。
4番も務めたことがあるそうですよ。
高校卒業後は東北学院大学に進学。
現在は社会人となっているようです。
ちなみに、お兄さんの琉希さんは震災で父親を失ってから、琉希さんが父親代わりになって母親の陽子さんの支えになったり弟たちの面倒も見てきた誇らしいお兄さんです。
弟の怜希さんは2021年で高校一年生のようです。
朗希投手よりも4歳年下になるでしょうか。
朗希投手と同じ岩手県立大船渡高校に進学して、野球をやっているようです。
2021年の秋季岩手県大会に出場しており、2回戦で敗退していますが2塁打を打っているようです。
ピッチャーとしてではなく打者として活躍されているようですね。
また中学時代には岩手県中学生KB野球の選抜メンバーに抜擢もされており、かなりの実力者のようです。
佐々木朗希投手の父親について
最後に佐々木朗希投手の父親について少し触れておきます。
前述した通り佐々木朗希投手の父親は2011年の東日本大震災で犠牲になっています。
佐々木朗希投手の父親は功太さん。
37歳という若さで無念の死でした。
佐々木朗希投手の父親はサラリーマンで葬儀関係の仕事に従事されていたそうです。
佐々木朗希投手の父親は野球の経験はありませんでした。
バスケットボールをされていたとのこと。
ただ息子たちとはよくキャッチボールをしており、子煩悩な父親で周囲からは評判だったそうですよ。
お金を貯めて子供たちをディズニーランドに連れていくなど、家族を大切にする父親だったようです。
残念ながら朗希投手の晴れの姿は見ることは出来ませんでしたが、それでも佐々木朗希投手の中ではいつも父親がそばにいるようです。
その証拠があのヒーローインタビュー、「ウィニングボールは両親に。」。
いつも心のどこかで父親のことを思っているから自然に出てきた言葉だと思います。
まとめ
佐々木朗希投手の母親が美人なことと再婚説について、またお兄さん弟について紹介しました。
佐々木朗希投手の今後の活躍を楽しみにしております!
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