長嶋茂雄の嫁の亜希子夫人はクワドリンガルの才女!別居説の真相は?

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読売ジャイアンツの終身名誉会長の長嶋茂雄氏。

長嶋茂雄氏が現役で活躍されている頃の人気は絶大した。

現在もその人気は衰えることなく何か特別な存在のような感じがいたします。

そんな偉大な長嶋茂雄氏と結婚されたお嫁さんがどんな女性だったのか気になります。

この記事では長嶋茂雄氏のお嫁さんについてまとめています。

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長嶋茂雄の嫁は亜希子夫人

長嶋茂雄氏のお嫁さんは亜希子夫人。

出典:環の会暮らしのメンバー

亜希子夫人のプロフィールがこちら。

旧姓: 西村亜希子

生年月日: 1943年1月5日

死没年月日: 2007年9月18日(享年64歳)

出身地: 東京都渋谷区

学歴: 田園調布雙葉中学校

    田園調布雙葉高等学校

    聖テレサ大学卒業

長嶋茂雄氏のお嫁さん亜希子夫人は、東京都渋谷区の出身。

亜希子夫人の祖父は村辰五郎氏で、出版社「東雲堂書店」を経営されていた実業家です。

亜希子夫人の祖父の西村辰五郎氏は、石川啄木の「一握りの砂」や「悲しき玩具」、斎藤茂吉の「赤光」、北原白秋の「桐の花」など日本の文学史に残る歌集を出版されています。

そんな文学一家に誕生した亜希子夫人は教育もしっかりと受けています。

田園調布雙葉中学校高等学校は私立の女子高です。

田園調布雙葉高等学校は皇太子妃雅子様の母校でもあるんですね。

亜希子夫人は田園調布雙葉高等学校の在学中に渡米。

アメリカの高校に留学し、そのまま卒業しています。

その後、ミネソタ州の聖テレサ大学に進学し卒業されています。

アメリカの留学経験のある亜希子夫人は英語、フランス語、スペイン語が堪能だそうです。

当時、亜希子夫人は外務省に入省することを望んでおられたとのこと。

そんな経緯は皇太子妃雅子様のキャリアにとても似ていますね。

おそらく、長嶋茂雄氏と結婚していなければバリバリのキャリアウーマンとして世界を舞台に活躍されていたのではないかなと思います。

長嶋茂雄氏と結婚されてからの亜希子夫人は夫の長嶋茂雄氏の商標を管理する株式会社オフィスエヌの代表取締役に就任。

実業家としての顔もお持ちでした。

亜希子夫人が長嶋茂雄氏と出会うきっかけとなったのは、1964年に行われた東京オリンピックでした。

語学が堪能な亜希子夫人は東京オリンピックのコンパニオンに採用されます。

スポーツ新聞の企画で長嶋茂雄氏と対談する機会がありました。

ここで長嶋茂雄氏は亜希子夫人に一目惚れ。

長嶋茂雄氏の方から亜希子夫人に猛アタックをかけ、毎日のように電話をしたそうです。

そして、出会ってから40日で婚約発表をしたのです。

1965年1月26日に渋谷区南平台のカトリック教会渋谷教会で結婚式を挙げています。

後にホテルニューオータニで盛大な披露宴が行われました。

当時の長嶋茂雄氏と結婚するということは、現在で言えば大谷翔平選手と結婚するようなものでしょうか?

それだけ偉大な方との結婚ということで、亜希子夫人には羨望の眼差しも多かったと思います。

結婚後、長嶋茂雄氏と亜希子夫人との間には二男二女の4人の子供が誕生しています。

長嶋茂雄氏の4人の子供についてはこちらの記事に詳しく書かれています。

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誰もが羨むような旦那様が結婚相手となった亜希子夫人。

当時の日本のスーパースターを陰ながら支えるということは想像するよりも大変なことが多かったようです。

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長嶋茂雄と嫁の別居

2004年3月4日に長嶋茂雄氏は脳梗塞で倒れ入院しています。

一命は取り留めたものの、右半身に麻痺と言語障害が少し残ってしまいました。

長嶋茂雄氏は懸命はリハビリを行い、歩けるまでに回復。

亜希子夫人は長嶋茂雄氏のリハビリを懸命に支えたと言います。

長嶋茂雄氏が脳梗塞で倒れた場所について、愛人宅ではないかとの噂もあります。

長嶋茂雄氏が脳梗塞を発症した際に愛人から長嶋家に連絡が入り、一茂さんは愛人宅から病院に緊急搬送させるのはまずいと思い、一旦長嶋茂雄氏を自宅に戻してから救急車を呼んだという説が浮上しています。

愛人宅から自宅に移動した時間のロスが長嶋茂雄氏が後遺症が残ってしまった原因ではないかと言われていたのです。

2004年に長嶋茂雄氏が倒れてからと言うもの懸命に茂雄氏のリハビリを支えてきた亜希子夫人ですが、2007年9月18日に亜希子夫人は64歳の若さで亡くなります。

亜希子夫人は前日の9月17日に長嶋一茂家族と食事を楽しんだそうです。

会食後、一茂さんが亜希子夫人を車で送ろうとしたところ、急に体調不良を訴えたため病院に緊急搬送しました。

病院には長嶋茂雄氏や次女の三奈さんも駆けつけましたが病院に搬送されてからの亜希子夫人は一度も意識が戻らなかったと言います。

そのまま2007年9月18日の午前4時33分に息を引き取ったとのこと。

亜希子夫人の死因は「心不全」。

また告別式は近親者のみで密葬という形で執り行われました。

死因が心不全、そこに密葬ということも相まって亜希子夫人の死因は自殺説が浮上しました。

また、当時亜希子夫人は長嶋茂雄氏の愛人の存在に悩んでいたとの情報もあったようです。

心不全に関しては亜希子夫人は20年近く膠原病を患っていたとのことで、膠原病が引き金となってしまったとも言われていたようです。

また当時、長嶋茂雄氏と亜希子夫人には別居説が浮上していました。

この別居説に関しては事実であったようで、後に長男の長嶋一茂さんが告白しています。

それは、長嶋茂雄氏が倒れてからは、亜希子夫人も膠原病を患っていたことでお互いに健康状態が良好でなかったため別々の家で暮らすこともあったと述べています。

長嶋一茂さんから見た母親の亜希子夫人は、家庭ではいつも茂雄氏を支え気丈な母親であったこと。

不満、愚痴は一切言わなかったこと。

トラブルも沢山あったと思うが最後まで聞くことが出来なかったと。

誰もが憧れる長嶋茂雄氏と結婚した亜希子夫人は陰ではそれなりに気苦労も多かったようですね。

亜希子夫人はハワイのお墓で安らかに眠っているとのことです。

亜希子夫人が日本の長嶋家のお墓に入らなかったことが、全てを物語っているかのように感じてしまいました。

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まとめ

長嶋茂雄氏のお嫁さん亜希子夫人について紹介しました。

最後までお読み下さりありがとうございます。

長嶋茂雄氏の名言や迷言についてはこちらの記事をご覧下さい。

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