長嶋一茂さんと言えば巨人の終身名誉監督の長嶋茂雄さんの長男であることは有名ですね。
しかし長嶋茂雄さんの他の子供についてはあまり知られていませんね。
そもそも長嶋茂雄さんに子供は何人いるのでしょうか?
この記事では長嶋茂雄さんの子供について何人いるのか、年齢の順番に紹介しています。
長嶋茂雄の子供は何人?
長嶋茂雄さんには4人の子供がいます。
長嶋茂雄さんの4人の子供がこちら。
- 長男: 一茂(1966年1月26日)
- 長女: 有希(1967年)
- 次女: 三奈(1968年6月8日)
- 次男: 正興(1970年9月26日)
長男の一茂さんから次女の三奈さんまでは年子なんですね。
幼い頃は家の中が賑やかだったことでしょう。
噂では長嶋茂雄さんは現役で活躍していた頃は野球一筋だったこと。
家庭をあまり顧みなかったことなどが囁かれています。
夫人の亜希子さんにしたら育児に奮闘していたことと思います。
それでは長嶋茂雄さんの子供を年齢の順番で詳しく見ていきましょう。
長男 一茂
まずは言わずともしれた長嶋家の長男、長嶋一茂さん。
茂雄さんの「茂」の一文字をとって「一茂」と名付けています。
長男ということもあり、並みならぬ思い入れを持って長男一茂さんの誕生を望んでいたことが伝わってきますね。
そんな父親の思い入れに応えるように、一茂さんも父親の背中を追ってプロ野球界入りを果たします。
偉大な父親を持っただけに、一茂さんにのしかかったプレッシャーは相当なものだったと推測します。
ミスターの息子だからと言う理由だけでプロ野球選手になれるような甘い世界ではないことは誰もが百も承知です。
そんなプレッシャーの中、一茂さんは父親の背中を追うように野球の道を歩んで行きます。
実際にプロ野球選手になるまでには、あまりにも偉大な父親の影響で大変な苦労も背負っていた一茂さん。
東京の田園調布に生まれた長嶋一茂さんは小学5年生のころにリトルリーグに入ります。
しかし、周囲からは「長嶋茂雄の息子が入ってきた。」と話題になり、テレビカメラが来たこともあったそう。
また一茂さんに引き寄せられて当時、300人から400人の小学生がリトルリーグに入団したとのですから、長嶋茂雄さんの影響がいかに偉大だったか計り知れます。
そんなこともあり、一茂さんは一旦野球から離れます。
中学は親の勧めで全寮制のある群馬県吾妻郡六郷村(現在の中之条市)の白根開善学校中等部に進学。
この中学では陸上部に所属していたそうです。
中学2年生から実家のある田園調布の田園調布中学校に転入。
高校進学に於いては桐蔭学園高等学校に合格していましたが、一茂さんは父親と同じ立教で野球がやりたいと、立教高校(現在の立教新座高校)に進学。
野球部に入部しますが、長いブランクがあったため当初はキャッチボールもままならなかったと言います。
しかし、努力の甲斐あって高校2年生になる頃には4番打者になるほど成長。
立教高校では甲子園出場こそ叶いませんでしたが、東京都大会ではチームに貢献する活躍をされています。
父親の背中を追うように同じ立教で野球がやりたいと立教高校に進学するなど、一茂さんが偉大な父親を尊敬していたことが伝わってきます。
残念ながら現在は親子関係が絶縁状態と報道されていますが、一茂さんは茂雄さんに対してこのように胸の内を打ち明けています。
「日本中の長嶋茂雄ファンの中で僕こそが一番の茂雄ファンだということを。」
やはり長嶋一茂さんは父親の茂雄さんのことを今でも大好きなことが見て取れますね。
幼い頃、テレビで父親が野球で活躍姿が流れていたら、それはもう子供にしたら誇らしい気持ちで一杯だったでしょうし、自慢の父親だったことでしょう。
そんな父親の姿を見て成長した一茂さんにしたら野球をやることが自然なことでもあったようです。
現在は毒舌キャラがすっかり板についた長嶋一茂さん。
ここに辿り着くまでには、世間が羨むような長嶋ファミリーの陰では人知れぬ苦労をされていたようです。
長女 有希
長嶋茂雄さんの第二子となる長女は有希さん。
1967年生まれと言うことで、2022年で55歳になるようです。
有希さんは一般人とのことで、詳細は明らかになっていません。
最小限明らかになっていることは、茂雄さんの夫人の亜希子さんが経営されていた株式会社オフィスエヌの役員になっていたことです。
株式会社オフィスエヌは長嶋茂雄さんの商標登録を管理しておりグッズ販売などの事業をされています。
株式会社オフィスエヌは茂雄夫人の亜希子さんが2007年に急性してから、次女の三奈さんが代表取締役に就任。
このオフィスエヌは長男の一茂さんといざこざがあったのですが、有希さんは2010年にオフィスエヌの役人を解任となっているようです。
有希さん自らいざこざから逃れたくて退任していったのかまでは分かりませんが、現在は長嶋兄弟とは疎遠となっているようです。
次女 三奈
長嶋茂雄さんの第3子となる次女は三奈さん。
三奈さんは第3子で3番目であったことや、長嶋茂雄さんの背番号が3番であったことから「三奈」と名付けられたそうです。
1968年生まれですので2022年に54歳となります。
三奈さんは現在は結婚はしておらず独身のようです。
また過去に結婚歴もないようですね。
長嶋三奈さんは日本大学文理学部哲学科を卒業後の1998年にテレビ朝日に入社。
ちょっと親の七光りを感じさせる感じではありますが、テレビ朝日ではスポーツキャスターとして活躍されました。
1998年から2013年までニュースステーションのスポーツコナーを担当していますが、2000年にテレビ朝日は退職しており、2001年から2013年まで契約キャスターとして勤めています。
契約が終わった2014年からはフリーのアナウンサーとして活動されているようです。
それと同時に現在は株式会社オフィスエヌの代表を務めています。
長嶋一茂さんの兄弟の中では一番茂雄さんの近くにいるのが三奈さんのようです。
過去には徹子の部屋の茂雄さんと一緒に出演したこともありました。
長嶋茂雄さんにとても一番頼りにしているのが三奈さんなのかもしれません。
次男 正興(まさおき)
長島茂雄さんの第4子となるのが次男の正興さん。(まさおきさん)
正興さんは1970年生まれですので、2022年に52歳となります。
正興さんはアメリカ留学を経験し、暁星国際学園高等学校に進学。
駒澤大学経済学部経済学科に進学し、大学在学中だった1992年にレーシングドライバーとして活躍。
アメリカでのレース参戦など経験し、2001年10月28日に鈴鹿サーキットで行われた全日本GT選手権第6戦で優勝を飾るなど、モータースポーツ界では一定の評価を受けています。
正興さんは現在はレーシングドライバーは引退しています。
引退後は環境管理士の資格を取得し、環境に関する仕事に従事されているとのこと。
長嶋茂雄さんの次男の正興さんの画像がこちら。
とても優しそうな雰囲気をお持ちの方ですね。
次男の正興さんは長嶋家の騒動に巻き込まれたくないとの意志が強いようで、一歩引いた立場にいるようです。
一茂さんは弟の正興さんについて、「連絡もとっていなければそもそも居場所も分からない。」と述べています。
男同士の兄弟ということもあり、シビアな関係のようですね。
また名前ですが、次女の三奈さんと次男の正興さんは公式で使う苗字を「長嶋」ではなく「長島」の表記を使用しています。
茂雄さん、亜希子夫人、一茂さんは「長嶋」の苗字をそのまま使用しています。
亜希子夫人について
最後に長嶋茂雄さんの亜希子夫人について少し紹介しておきます。
長嶋茂雄さんの亜希子夫人は1943年1月5日生まれ。
出身地は東京都渋谷区で生粋の都会っ子です。
アメリカのミネソタ州の聖テレサ大学を卒業しており、語学に堪能で英語、フランス語、スペイン語を話せます。
そんな語学力を活かして1964年に行われた東京オリンピックでコンパニオンを務めます。
この時、読売ジャイアンツで活躍していた長嶋茂雄さんと出会い、長嶋茂雄さんは亜希子夫人に一目惚れ。
1965年1月26日に挙式。
出会ってから4か月でのスピード婚でした。
本来は亜希子夫人は外務省で働くことを望んでいましたが、長嶋茂雄さんの猛アタックに観念し結婚。
亜希子夫人に一目惚れした長嶋茂雄さんですが、後に愛人の存在も明らかになってきます。
亜希子夫人は茂雄さんの愛人の存在に悩んでいたとも言われています。
また、長嶋茂雄さんが2004年3月に脳梗塞で倒れた際は、倒れた場所が愛人宅だったとも言われています。
そんな中、亜希子夫人は2007年9月18日に急性心不全のため64歳の若さでこの世を去っています。
亜希子夫人のお墓は大好きだったハワイにあるようです。
国民的大スターを夫に持ち、羨望の眼差しで見られる陰では愛人の存在に悩み気苦労が絶えなかったかもしれませんね。
長嶋家の内情が明らかになってくればくるほど、偉大だからこそ悩みも多く深いものだと。
そしてスーパースターだから必ずしも幸せかと言えばそうでないことにも気づかされるような思いです。
やはり幸せの原点は家族かな?とも改めて実感した次第です。
まとめ
長嶋茂雄さんの子供は何人かにつてい紹介しました。
最後までお読み下さりありがとうございます。
長嶋一茂さんの絶縁と言われる理由いついてはこちらの記事に詳しく書かれています。
長嶋一茂さんの母親の死因についてはこちらの記事に詳しく書かれています。
長嶋茂雄氏の名言
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