甲子園に3度の出場、ドラフト2位指名など甲子園のアイドルと言われた小川博。
現役時代は投手として活躍するも派手な生活を送った先に残ったのは多額の借金でした。
小川博はお金を求め続け最終的には強盗殺人事件を起こし逮捕となりました。
小川博の現在はどうなったのでしょうか?
小川博の結婚歴や子供は何人いたのでしょうか?
この記事では小川博の現役時代から逮捕され現在までの様子をまとめています。
小川博の生い立ち
まずは小川博の生い立ちから見ていきましょう。
小川博は栃木県足利市に1962年4月2日に誕生しています。
小川博は2022年2月現在、59歳になっているようです。
小川博は生まれて間もなく1歳の時に群馬県の子供のいなかった夫婦の元に養子に入っています。
この夫婦は大工と妻は清掃員として働いていたそうです。
特別に小川博の産みの親と親族関係ではなかったようですね。
何らかの事情により、1歳の時に養子に出さなくてはならない事情があったように伺えます。
このあたりからして、生い立ちが複雑ですね。
しかし、養子に迎え入れてくれた夫婦は小川博のことを本当の子供のように育ててくれたようです。
小川博は群馬県の前橋工業高校に進学。
野球部のエースとして活躍し、甲子園には春夏合わせて3回の出場を果たしています。
持ち前の手腕と甘いマスクに人気が火が付き、「群馬の玉三郎」と言われ甲子園のアイドルとして注目をされました。
小川博は前橋工業高校を卒業すると青山学院大学に進学。
青山学院大学時代も野球で活躍し、1984年のドラフト会議でロッテから2位の指名を受けました。
しかし、群馬の両親はプロ野球選手になることを猛反対されてたと言います。
もしかしたら、小川博の内に秘める派手な性格の危うさを見抜いていたのかもしれませんね。
小川博は両親の猛反対を押しきり、ロッテに入団。
プロ野球の世界と、豪遊の世界に入り込んでいくのでした。
小川博の経歴
1985年にロッテに入団した小川博は、開幕戦3戦を先発するなど、ルーキーイヤーを華々しいデビューを飾ります。
1987年には40試合登板、3勝5敗、防護率3.28の実績を残しています。
翌年1988年にはオールスターゲームでパリーグ代表にも選出。
しかし、1988年頃をピークに徐々に試合の登板も少なくなり1992年に引退となりました。
引退後の小川博はロッテの2軍のいトレーニングコーチを経て、1995年~1998年の3年間は1軍のトレーニングコーチを務めています。
2002年1月に小川博は、消費者金融からの多額の借金が発覚したことでロッテ球団から解雇を言い渡されます。
この頃、現役時代に結婚離婚した元妻への慰謝料のは、群馬の両親が預かっていたロッテ入団時の契約金と両親の働いて溜めた貯金で賄われたと言います。
群馬のご両親は息子がプロ野球選手になっても決して有頂天になることもなく、契約金にも手を付けずに地道な生活を送られていたようです。
小川博の強盗殺人事件
球団から解雇を言い渡された小川博は、運送会社のバイトをするなど何とか食いつないで行きます。
そして2003年1月に新聞の求人広告を見て、埼玉県上尾市小敷谷の産業廃棄物処理会社に就職します。
元プロ野球選手という経歴があったことも有利に働いたようで、この会社では営業部長のポジションが与えられています。
小川博は産業廃棄物処理会社に就職をしてもずっとお金には困っていたようです。
小川博は2004年11月18日、夕方6時ごろに産業廃棄物処理会社の会長宅にお金の工面を申し込みに伺いますが、会長は不在で家政婦さんに懇願しますが、きっぱりと断られたため家政婦さんを突き倒し、会長宅にあった現金175万円を強奪。
気を失った家政婦さんを車に連れ込み3キロ離れた埼玉県桶川市の旧荒川に投げ込み溺死させたのです。
2004年12月21日に小川博は逮捕。
逮捕の前日2004年12月20日に小川博は産業廃棄物処理会社から解雇されていました。
小川博の結婚歴と子供
小川博は2度の結婚歴と離婚歴があります。
一度目はプロ野球選手になりたてのころのこと。
小川博はプロ入り1年目、1985年5月の夏に一人目の奥さんと出会い、翌年の1986年4月に入籍しています。
この時の結婚は群馬の親には内緒で進めていたと言います。
小川博は挙式はしないことを希望していましたが、群馬の両親の強い要望で1987年に結婚式を挙げています。
こもエピソードからも群馬の両親の律儀な人柄が伝わってきます。
1987年には長男が誕生。
しかし、この頃から小川博の浮気や金使いの荒さに耐えられず、最初の奥さんとは離婚に至っています。
小川博の2度目の結婚は現役引退後の1994年頃のこと。
ロッテのトレーニングコーチをしていた頃のこと。
2度目の結婚した妻との間には2人の子供が生まれています。
球団から解雇された小川博一家はさいたま市の賃貸マンションに引っ越します。
そして小川博は2004年12月21日に強盗殺人で逮捕。
2度目の妻とは2005年1月に離婚となっています。
小川博は2度の結婚歴と離婚歴、そして3人の子供がいました。
小川博の現在
2004年12月21日に逮捕された小川博は、2005年1月11日に起訴。
2006年2月23日に東京最高裁判所で無期懲役の判決が下されています。
2006年に千葉刑務所に収監。
小川博は、現在も千葉刑務所で服役中とのことです。
千葉刑務所で同じく無期懲役受刑者の手記によると、収監後の小川博は体格も小さくなり、現役時代の面影はまったくないとのこと。
また刑務所内で行われたソフトボール大会では、周囲は元プロ野球選手と言うことで小川博のプレイに期待をしていたが、ピッチャーはやらず遊撃手としてプレイし打撃もノーヒットに終わったそうで、周囲の受刑者は落胆していたとのこと。
野球によって導かれた贅沢な生活、そして借金。
最後に辿り着いたのは殺人によって収監された千葉刑務所。
ここで小川博は何を思って、日々刑務所の作業に取り組んでいるのでしょうか。
群馬の両親も殺されてしまった家政婦さんも何も悪くはありません。
小川博の獄中からの手紙
2022年2月現在、刑務所で服役中の小川博。
2022年2月22日放送の仰天ニュースでも大きく取り上げられました。
番組の最後には、小川博が親友宛てに書いた手紙が公開されました。
達筆な文字で綴られていた手紙。
手紙の文字からは小川博の教養の高さを感じました。
その手紙の内容は後悔の念と、被害者に対する謝罪の気持ちと母親に対する謝罪の気持ちでした。
小川博の育ての母親は高齢になった現在も定期的に獄中の息子に面会に行っているとのこと。
小川博の母親は本当に自分の子供としてずっと育ててきたんだなと、
そして最後まで小川博を見捨てずに、親であることを全うする覚悟であることが伝わってきます。
なんて素晴らしい親であることでしょう。
小川博は、面会に行った母親は気丈に振舞っているが皺も増え痩せてしまった、と親友宛ての手紙に綴られています。
今、自分の帰る場所は父親が建てた家しかないとも。
1歳半の時に養子として迎えられた小川博。
1歳半という年齢では物心がついた時には、養子として迎えてくれた親が既に自分の産みの親であると当然に思っていたことでしょう。
いつ何のきっかっけで自分が養子であることを知ったかは、分かりません。
しかし養子である現実をわかっても、グレることなく野球一筋に大学まで卒業した小川博。
そこには、育ての親の愛情や育て方が良かったことは言うまでもありません。
それだけに、お金と欲に惑わされた小川博が残念で仕方ありません。
最後に小川博は獄中で毎日被害者の女性に対して謝罪と冥福を祈っているとのことでした。
まとめ
元プレイの小川博が起こした強盗殺人事件を中心に小川博の現在と結婚歴や子供につていて紹介しました。
最後までお読み下さりありがとうございました。
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