トリルダイナスティの高校や大学はどこ?現在も茨城の田舎で活動?

ミュージシャン
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茨城在住の音楽プロテューサー、トリルダイナスティさんの活躍が話題となっています。

トリルダイナスティさんは全米ビルボードR&Bヒップホップ部門で1位を獲得。

全米NO1という偉業を成し遂げたトリルダイナスティさんは茨城県の田舎を拠点に活動されていますが、高校や大学がどこなのか気になりますね。

この記事ではトリルダイナスティさんの高校や大学についてまとめてあります。

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トリルダイナスティのプロフィール

まずはトリルダイナスティさんについて。

トリルダイナスティさんという名前を聞いた時に、外国人またはハーフかな?と思ってしまいますね。

また見た目のファッションや髪型など全体の雰囲気も日本人離れしてる感じで、ハーフにも見て取れます。

トリルダイナスティさんは日本人で、自分の作った曲をアーティストに提供することを仕事に活動されている音楽プロデューサーです。

下の画像はトリルダイナスティさんのインスタグラムから引用させていただいたものです。

一番左側がトリルダイナスティさんです。

それではトリルダイナスティさんのプロフィールを紹介します。

トリルダイナスティ

  • 本名: 石井大樹(いしいだいき)
  • 生年月日: 1992年
  • 出身地: 茨城県北茨城市中郷町

トリルダイナスティさんは茨城県北茨城市の出身。

北茨城市の出身者では野口雨情さんをはじめ、米米クラブのボーカルの石井竜也さんがいます。

そして全米NO1のトリルダイナスティさん。

全米NO1という称号を獲得して有名になった現在も北茨城市を拠点に音楽活動に勤しんでいる地元愛の強い方です。

トリルダイナスティさんは2022年の誕生日で30歳となります。

トリルダイナスティさんが音楽に目覚めたのは21歳の頃のこと。

意外にも遅咲きでしたね。

しかしトリルダイナスティさんは音楽に目覚めるまで、音楽の知識や技術は全く持ち合わせておらず、独学で音楽を学び習得したと言う異例の経歴の持ち主でもあります。

トリルダイナスティさんの作り出した音楽が全米で認められるようになるまでは、サラリーマンを本業に工場で働きながら、地道に音楽を作り続けていました。

トリルダイナスティさんが勤めていた会社は電車の部品などを製造する中村自工深川製作所だと言われています。

トリルダイナスティさんは音楽活動が本格的に軌道に乗り出したところで、2021年7月にこちらの工場は退職されているようです。

トリルダイナスティさんは、工場の仕事が終わって帰宅してから音楽作りを明け方の3時、4時まで続け、そこから少し睡眠をとり再び工場に出勤すると言う生活を送っていたそうです。

制作した楽曲は2000曲以上にも及ぶそう。

トリルダイナスティさん曰く、「気合と根性でここまでやってきた。」とのこと。

本当に凄いの一言です。

地元北茨城市大使や茨城県の観光大使にも任命されています。

トリルダイナスティさん、とてもイケメンで素敵な方ですね。!

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トリルダイナスティの学歴

トリルダイナスティさんの学歴です。

  • 私立茨城キリスト高等学校
  • 私立常盤大学

トリルダイナスティさんが通っていたのは、日立市にある私立の茨城キリスト教高等学校。

茨城キリスト教高等学校の偏差値は50~61で、私立の難関校として地元では有名です。

トリルダイナスティさんは学生時代は野球一筋だったそうです。

ポジションはピッチャー。

高校を卒業後はスポーツ特待生で水戸市ある常磐大学に進学。

スポーツと特待生と言うことですので、かなりの腕前だったようですね。

しかし、トリルダイナスティさんはピッチャーの生命線でもある肩の故障で野球を諦めざるを得ない状態になってしまいます。

最終的には野球の特待生での進学でしたので、野球を続けられない状態では授業料の免除なども打ち切られることから大学2年生で中退されています。

大学を中退してからのトリルダイナスティさんは水戸市の洋服屋さんで働き始めます。

そのお店で音楽と運命的な出会いをするんですね。

お店のBGMで流れていたヒップホップにハマり、水戸市のクラブでDJの仕事を始めます。

トリルダイナスティさん23歳の頃のこと。

それと同時にファッションもヒッピーな感じのものを好むようになったと言います。

クラブDJの仕事に夢中になって行くうちに、東京に進出してみたいと思うようになり東京に進出するも、東京はレベルの高い人ばかりで勝負にならないと諦め、地元に戻った経緯があるようです。

そこで気づいたのが、音楽を作る側になってみたいということでした。

地元に戻ってからは、工場で働きながら独学で音楽を学び始めます。

自宅から5分のピアノ教室のおばあちゃん先生からピアノを習い、小学一年生の子と一緒にレッスンを受けたそうですよ。

また、トリルダイナスティさんは英語もままならないそうですが、グーグルの翻訳機能を駆使しながらアメリカにダイレクトメールを送り続けたそうです。

工場勤務を6年間続けながら、音楽を作り続けたトリルダイナスティさん。

ドレミの音さえも分からず、英語も堪能ではなく、住んでいるのは周りが田んぼと山だけの茨城の田舎。

異例づくめですがトリルダイナスティさんから伝わってくるのは、スタート地点は決して関係ないということ。

そして住む場所も関係ないということ。

そんな素晴らしいに尽きるダイナスティさんの活動は、多くの人に夢と勇気と希望を与えてくれるものだと思います。

そして忘れてはならないのが、人が想像する以上にトリルダイナスティさんが陰で努力をされているということ。

本当に素晴らしいです!

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まとめ

今回は工場で働きながら音楽を作り続け、アメリカでも認められる音楽プロデューサーとなった茨城県北茨城市在住のトリルダイナスティさんについて出身高校や大学を中心に紹介しました。

とても素晴らしい活動をありがとうございます!

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