清貴さんというシンガーソングライターをご存知ですか?
清貴さんは2001年に「The Only One」で40万枚のヒット曲を生み出し、男性版宇多田ヒカルと言われる程の衝撃のデビューを果たしました。
清貴さんは、「The Only One」の後に続く新曲がなかなか出ずにメディアから自然に姿を消してしまいましたので、清貴さんを知らない人も多いかもしれませんね。
そんな衝撃なデビューから程なくしてメディアから姿を消していった清貴さんに、ある衝撃の事実が隠されていたようです。
衝撃の事実をカミングアウトしたのは、2015年4月。
清貴さんのカミングアウトの内容とは、ゲイであることでした。
今回は、清貴さんのカミングアウトして明らかになったゲイであることに関していつからだったのか、また天才歌手と言われるまでの経歴や学歴を追ってみたいと思います。
清貴のプロヒール

出典:instagram
天才歌手と言われた清貴さんのプロフィールです。
本名:栗原 清貴
生年月日:1982年11月22日(36歳)
出身地:宮城県仙台市
出身高校:宮城県仙台第二高等学校
職業:シンガーソングライター
所属事務所:2019年現在はフリー
出身地は宮城県仙台市ですが、父親の仕事の関係で宮城県内や新潟県などを転々とされたようです。
幼少期の頃の夢はサッカー選手になることだったそうですが、小学2年生と中学1年生の時に大手術をしてふさぎ込んでいた時に音楽が支えとなった経験から、音楽への興味を抱くようになったそうです。
もともと幼少期にクラシックピアノを習っていたこともあり、音楽は常に身近な存在だったそうですよ。
小学生の時に影響を受けたのが、マライアキャリーさん、セリーヌ・ディオンさん、そしてスティービーワンダーさんやホイットニーヒューストンさんということですから、幼少期にして特別に音楽の才能が備わっていたように感じられますね。
デビューのきっかけ
清貴さんは大病を経験して音楽の世界に目覚めていったそうですが、高校生の時には自分で曲を作るほど本格的に取り組んでおり、その頃からヒップポップダンスも始めているようです。
1999年12月の高校生の時にデモテープを中崎英也さんに送ったことがきっかけで、そのままデビューに至ったそうです。
清貴が消えた理由
男性版宇多田ヒカルと言われるほど衝撃的なデビューを果たした清貴さん。
なぜヒット曲「The Only One」から新曲のリリースが徐々に途絶えると同時にメディアから姿を消して行ったのでしょうか?
衝撃のデビュー当時は無我夢中でプロ意識も希薄な状態でメディアにも登場していたという清貴さん。
実はデビューした頃には、既に自分がゲイであることを自覚していたそうです。
テレビで歌うことに無我夢中だった時にミュージックステーションに出演された際に「タモリさんを見る上目使いは絶対にゲイだ。」と視聴者からのネットの書き込みがあり、無防備にしていたことで一番触れて欲しくないところに触れられてしまい、だんだんにメディアに出ることが怖くなっていったそうです。
視聴者からの心ない書き込みにショックを受けた清貴さんは、ゲイであることを必死で隠そうと努力したそうですが、音楽者という表現者でありながら本当の自分を隠すことに違和感を感じつつオープンに出来ない心苦しさから次第に歌う事が出来なくなっていたそうです。
そしてそのままヒット曲「The Only One」を残してメディアから姿を消していったということです。
デビューから一気に売れてしまったことも「こんな自分でいいのかな?」と常に疑心杏義に追い込まれ苦しかったと振り返っています。
売れることだけが成功とは限らないんですね。
やはり下積みがあっての成功の方が理想なのかもしれません。
清貴のゲイはいつ清貴から?
天才歌手と言われた清貴さんの音楽生活を奪っていた悩みであるゲイについて、一体いつから清貴さんは自信がゲイであることを自覚したのでしょうか?
清貴さんが自分で違和感を感じ始めたのは小学生の頃からだったそうです。
気がつけばいつも男の子を目で追ったり、サッカーをした後の放課後に一緒に帰るだけでドキドキしていたそうです。
なんとラブレターを男の子に書いたこともあるそうですが、その子のお兄さんに見つかってしまい「ホモだ!」と言われたのが、自分が普通とは違うんだと感じた瞬間だったそうです。
中学や高校になってからは必死で本当の自分を隠そうとして、気になる男子がいたら出来るだけ近づかないようにして自分の本性を知られないように懸命にこらえているうちに、だんだんと現実から逃げるように音楽に没頭していったということです。
音楽に没頭している時間が清貴さんの至福の一時だったようですし、この悩んだ経験があったからこそ清貴さんの素晴らしい音楽が出来上がっていったのかもしれませんね。
自分が普通の男の子とは違うんだと違和感を感じ始めた小学生の時からカミングアウトするまで、清貴さんは素の自分を隠すことに懸命だったことが逆に清貴さんを追いこんでしまったようですね。
衝撃のカミングアウト
自分がゲイであることを必死で隠していた清貴さんは、高校生の時から付き合っていた彼女と上京しますが、このまま本当の自分を隠し通すことは出来ないと思い、彼女に思い切って打ち明けたそうです。
彼女はショックを受け泣き叫んだそうですが、清貴さんもこの時に人生で一番泣いたというくらい大泣きをしたそうです。
帰り道には罪悪感で死ぬことも脳裏に浮かんだというのですから、相当苦しんだことと思います。
彼女に衝撃のカミングアウトをしてからしばらく自暴自棄に陥っており、次第にこのままじゃいけないと徐々に本当の自分をさらけ出し心を開いていったそうです。
清貴とアメリカ
清貴さんはデビュー以来アメリカに行って音楽をすることを望んでおり、単身でアメリカに渡っています。
清貴さんは、差別という黒人と自分の共通点のような物を感じ、特に黒人の音楽に興味があり、聞いていると自然に涙がこぼれてくるそうです。
アメリカに渡ってからの清貴さんは色々な意味で成長することが出来たようで、自分がゲイであることも自然に受け入れられていったようです。
そして2015年に帰国してカミングアウトする決心が出来て、公の場でカミングアウトしました。
清貴さんは、自分がゲイであることを自身を持って生きていくことで、日本の社会ももっとオープンになること、また社会が変わっていくことに貢献したいとしています。
アメリカに渡ったことで一回りも二回りも成長された清貴さんの今後の活躍が期待できますね。
まとめ
2001年に男性版宇多田ヒカルとの出現と言われるほど注目されたシンガーソングライターの清貴さんの、カミングアウトや学歴、経歴に関してお伝えしてきました。
ゲイが原因で心を閉ざしていた清貴さんにとって自分の居場所さえない状態で、よくここまで自分の素手で人生を切り開いてきたことと思います。
辛い経験によってつ作り出された作品は、聞く人の心に何かきっと届くはずです。
今後の清貴さんの活躍を期待しております。
最後までお読み下さりありがとうございます。
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