最近の女子アナの傾向として、若くてきれいな女性アナウンサーの入れ替わりのスピードがもの凄く早いように感じています。
長くこの世界に君臨していくことの難しさがよくわかりますね。
そんな中、大下容子アナは30年近くもアナウンサーとして活躍されており、次々に若手の女子アナが現れても、好感度も高く揺るぎもしない人気を誇っています。
今ではベテランの域に達した大下容子アナ。
大下容子アナのほっこりとした人柄に好感を持つ方も多いはず。
そんなほっこりしたイメージの大下容子アナの学歴が気になりますね。
今回は、大下容子アナの学歴や実家がお金持ちな話題と一緒に、結婚しているのかについて深掘りしていきたいと思います。
contents
大下容子の学歴
大下容子アナの学歴です。
広島大学付属小学校・中学校
大下容子さんの出身校は広島大学の付属小学校で国立の小学校です。
小学校時代は陸上部に所属しており、この頃からスポーツが得意だったようです。
中学校ではバレーボール部に所属しています。
広島大学付属中学校の偏差値は73となっています。
勉学にスポーツ、文武両道で大下容子アナのアグレッシブな性格が見えてきますね。
広島大学付属高等学校
エスカレーター式に広島大学付属高等学校まで進学された大下容子アナ。
高校時代は更に充実した学生時代を送られたようです。
部活では中学に続きバレーボール部に所属しながら、ガールズバンドも結成。
「ドルチェ」というバンドを組み、キーボードを担当しレベッカや渡辺美里やプリンセスプリンセスの曲を学園祭で披露していたようです。
ヤマハの大会にも出場するなど、趣味の範囲を超えて本格的に取り組んでいたのだとか。
広島大学付属高等学校の偏差値は75と超難関の高校ですが、周囲も優秀な生徒ばかりかと思いますが、その中で部活にバンドに取り組んでいた大下容子アナは、行動的で活発な女子高生だったと想像がつきます。
時代が昭和から平成に変わる直前の頃の、レベッカや渡辺美里がなんだかとても懐かしいです。
慶応義塾大学
広島大学の付属の学校を高校までエスカレーター式に進学してきた大下容子アナが進んだ大学は、広島大学ではなく慶応義塾大学法律学部でした。
こちらの偏差値は70となっています。
大学では22時門限の女子寮に住んでいたそうですよ。
また、テニスのサークルに所属し、4年間すっと続けたそうです。
根っからのスポーツ好きのようですね。
就職活動ではアナウンサーを目指していた訳ではなく、金融業やメーカーを視野に入れながら、テレビ朝日のプレ採用を受けたところ最終選考で落ちてしまったことが、アナウンサーを目指すきっかけとなったそうです。
その後、アナウンサー試験に力を入れたところ、アナウンサーとして見事に合格。
テレビ朝日の同期には、現在参議院議員の丸川珠代さんや坪井直樹さんらがいたようです。
大下容子アナの実家
大下容子アナの実家の父親は内科の病院を経営されているそうです。
大下容子アナはお兄さんがいるようですが、現在はお兄さんが医師として病院を引き継いでおられるそう。
母親は専業主婦のようですね。
父親の影響で、一時は大下容子アナも医師を目指していた時期もあったようですが、理数系が苦手だったため高校の時に医師になることは断念したそうです。
実家が病院を経営されているという恵まれた環境に育った大下容子アナ。
それでも、実家に頼らずにしっかりと自分の足で自立の道を歩んでいる大下アナが更に好感度が増すようです。
大下容子アナは結婚している?
生い立ちからして恵まれており、学業もスポーツも万能で全てに於いて完璧な人生を歩んでおられる大下容子アナ。
プライベートでは、結婚はされておらず独身です。
特に浮ついた噂もなく、そんなところも好感が持ててしまう部分でもあります。
一部週刊誌では、大下容子アナはスポーツ関係やsmaSTATION(スマステ)の番組の関係で、顔が広くジャニーズとも交流があるそう。
「大下アナを囲む会」という飲み会も存在しているのだとか。
年下の若い子との飲み会も目撃されているようで、面倒見のいいお姉さん的な存在なのでしょうね。
しっかりと自分で自立されており、趣味も沢山お持ちの大下容子アナは、結婚に縛られずに自由に生きていく方が性に合っているのかもしれませんね。
そんな結婚しない選択を出来るのも、しっかりと自分で稼げていることが大きいと思います。
ちょっと羨ましくもありますね。
大下容子アナのプロフィール
大下容子アナのプロフィールを紹介します。
- 生年月日 1970年5月16日(2020年で50歳)
- 出身地 広島県広島市南区
- 身長 161センチ
- 出身大学 慶応義塾大学法律学科卒業
- 所属 テレビ朝日 エグゼクティブアナウンサー
- 入社 1993年
- 趣味 映画鑑賞 ゴルフ
- 好きな有名人 デビット・ベッカム 尾崎豊
- 好きな言葉 最善を尽くす
大下容子アナは1993年にテレビ朝日に入社。
2020年の誕生日で50歳を迎えられているようですが、若手の女子アナがもてはやされるご時世の中で、50歳を迎えても堂々と冠番組を持っているというのは本当に素晴らしいと思います。
大下容子穴が入社した1993年は、サッカーのJリーグが開幕した年でもありました。
大下容子アナの初レギュラーは、「JリーグAGOGO」のリポーター。
その後1998年10月から情報番組「ワイドスクランブル」で第二代女性MCとしてメインMCの大和田獏さんと司会を務めています。
2019年4月には「ワイドスクランブル」がリニューアルされて番組名も「大下容子のワイドスクランブル」と自身の名前が番組名になるなど、大下容子さんの冠番組となりました。
大下容子アナと言えばそれほど目立つアナウンサーという訳ではないような気もしますが、ご自分の名前が番組名に起用されるなど、テレビ局からは絶大な信頼があるようですね。
それは、大下容子アナの人柄も大きく影響しているのではないかと思えてなりません。
嫌味のない、クセのない万人から受け入れられる容姿や話し方。
ずっと長くこの業界で活躍し続けるということは、それだけ多くの人に支持されていることの現れでもあると思います。
それ故に50歳を迎える年齢であるにも関わらず、好きな女子アナランキングや好感度ランキングでは常に上位に食い込んでいるのがいい証拠です。
そんな大下容子アナは、2020年6月26日付けで「役員待遇コンテンツ編成局エグゼクティブアナウンサー」との肩書きとなっています。
大下容子アナは見た目がバリバリのキャリアウーマン的な要素は全くありませんが、ほっこりとした癒し系の見た目がギャップとなって、より一層大下容子アナの存在感の大きさが浮だつように感じられます。
是非、大下アナのほっこりした癒し系のキャラは今後も大切にされていって欲しいと思います。
まとめ
大下容子アナが独身か結婚しているのかと合わせて、凄いと言われる学歴や実家について紹介しました。
大下容子アナは生まれながらにして、実家が病院を経営されている恵まれた環境に育ったようですね。
その裕福な実家に甘えることなく、しっかりと自分で自立された道を歩んでこられたことは素晴らしいと思います。
いつまでも、素敵な女子アナとして活躍していただきたいです。
コメント