眉毛がトレードマークのタレントの井上咲楽さん。
まるでこちら亀有の漫画の「両津勘吉」を思い出させるような感じで、一度見たら忘れられないくらいのインパクトがあっていですね!
そんな井上咲楽さんの実家は栃木県の益子町の山奥なのだそう。
この記事では井上咲楽さんの益子町の実家についてと、父親の職業や家族構成に出身高校もまとめて紹介しています。
井上咲楽の実家の場所
井上咲楽さんの実家についてお伝えする前に咲楽さんの父親について紹介しておきます。
井上咲楽さんの父親は井上力夫さん。
2022年で55歳となるようです。
井上咲楽さんの父親の力夫さんがこちら。

なんてワイルドな感じなんでしょう!
芸術家といった印象を受けますが、井上咲楽さんの父親の力夫さんの職業は木型職人なんだそうですよ。
主に自動車部品を制作するための木型の治具を手作業で制作しているそうです。
自営業の職人さんなんですね。
井上咲楽さんは小学一年生に入学するときに益子町に移住してきました。
井上咲楽さんの父親は元々は東京の柴又生まれだそうですよ。
ずっと田舎暮らしに憧れて益子町に移住してきた経緯があるようですが、夢の田舎暮らしで益子町を選んだのは父親と母親の希望が合ったのが益子町だったそう。
移住する際には、父親が益子町の山を自ら開拓して家を建てたそうです。
家具も全て父親の手作りだというのですから、かなり器用なお父さんのようですね。
そして、開拓して建てた家がこれまた広々としたログハウス調の大きな家で、田舎暮らしをしたい人や古民家好きには憧れの物件です!

お風呂は薪で沸かして入るそうです。
田舎暮らしをしたい人にはもう憧れでしかありません!
益子町はご存知の通り陶芸の街として有名ですが、現在は日本各地から芸術家やクリエイティブな作家さんやらが移住してきており、かなり洗練された素敵な街になりつつあるように感じます。
そんな素敵な益子町ですが、井上咲楽さんの実家は益子町の中心部ではなくかなり山奥に位置している場所のようです。
家の周辺にはイノシシが出没するのだとか。
田舎では所かまわずイノシシが出て農作物の被害に頭を悩ませている自治体も多いですけれど。
また、井上咲楽さんの実家は山を切り開いて家を建てたということですので、益子町でもかなり外れの山の上に位置しているようですね。
咲楽さんが通った小学校は益子町立野田小学校なのですが、野田小学校の位置から確認すると咲楽さんの実家の場所は益子町でも中心部から南西に位置する場所で、真岡市寄りであるようです。
また上の画像からもわかるように、井上咲楽さんの実家は山の中のぽつんと一軒家のような感じですね。
益子町の大自然の中で悠々と育ったことが想像できます。
井上咲楽の家族構成
井上咲楽さんの家族構成について見てみましょう。
咲楽さんの家族は両親と咲楽さんの四姉妹の6人家族です。
- 父親: 力夫さん
- 母親: 悦子さん
- 長女: 咲楽さん
- 次女: 栞さん
- 三女: 春菜さん
- 四女: 夏樹さん
父親は先程紹介した井上力夫さん。
木型職人です。
井上咲楽さんの母親は井上悦子さん。

2022年に56歳となられるようで、母親の方が父親よりも年上のようです。
悦子さんと父親の力夫さんの出会いは、バイクで日本各地を旅している時に北海道で出会ったそう。
バイクで旅をするということから井上咲楽さんの母親の悦子さんはかなりアクティブな女性であることが伺えますね。
上の画像はかなり若い頃の一枚のようですが、地に足のついたしっかりとした女性という印象を受けます。
井上咲楽さんの母親は食べ物は何でも手作りするそうですよ。
お味噌、納豆、ぬか漬け、ヨーグルト、梅干し。
料理を何でも作れる女性に憧れますね。
また畑でもたくさんの野菜を自給自足されており、玉ねぎの皮で染物を楽しむ趣味もあるそうです。
趣味と言えば咲楽さんの父親もバイク、釣り、サッカーなど多趣味で益子の山奥の家で趣味を謳歌されているようです。
サッカーは自分でプレイするだけでなく、コーチもされているということですから筋金入りですね。
井上咲楽さんは四人姉妹の長女。

咲楽さん姉妹、みんな似ていますね!
咲楽さんの両親は教育にはかなり厳しかったそうで、四人の子供たちには人として当たり前のことをしっかりと教え込んだそうです。
例えば、
●人に迷惑をかけない
●相手を嫌な気持ちにさせない
●食事中に肘をつかない
●食事中ぬいあぐらをかかない
などなど。
きっとこれらの両親の教えは今後、咲楽さんを始め妹さんたちが大人になった時に、育ちの良さとして人間性として自然に現れることでしょう。
井上咲楽の学歴
井上咲楽さんの学歴です。
- 益子町立田野小学校
- 益子町立田野中学校
- 栃木県立茂木高等学校
小学校一年生に入学する時に益子町に移してきた咲楽さん一家。
咲楽さんの小学生時代は控えめで友達の後ろをついて歩くほど大人しく、人見知りの激しい子供だったそうです。
今の井上咲楽さんからはちょっと想像がつきませんね。
そんな咲楽さんを変えるきっかけとなったのが、栃木県芳賀郡を5日かけて歩く「はが路100キロ徒歩の旅」に参加したことでした。
これは咲楽さんが自ら参加したいと両親に申し出たイベントで、2年連続で参加したそう。
この100キロ完歩したことで自分に自信が持てるようになったそうで、明るい性格になっていったそうです。
そして中学生になった時は既に芸能界に入りたいという希望を持っていたとのこと。
咲楽さんは、中学時代にはバレーボール部に所属。
マラソンが得意だったそうですが、これは咲楽さんの家が山の上にあることが大きく関係しているかもしれませんね。
なんでも咲楽さんの家は山の上にあることから、友達は咲楽さんの家に行くことが体力的にかなりキツイと言っていたそう。
毎日、山の下から上まで通学していたら足腰もかなり鍛えられるはず。
その影響もかなり大きいと思いますがマラソンが得意で、過去には東京マラソンに参加。
3時間53分で完走するという立派な成績を残されています。
高校は益子町のお隣の町、茂木町にある栃木県立茂木高等学校に進学します。
茂木高等学校は偏差値48とやや容易なレベルのようです。
しかし、益子町という片田舎から偏差値の高い高校に通うとなると送迎など親の負担もかなり大変となってきます。
ですので選択肢が減ってしまうのは致し方ないことで、もしかしたら咲楽さんも妥協で茂木高等学校に通った可能性は十分に考えられるかと思います。
しかし、高校に入れば自分の頑張り次第でどんな道も切り開いていけるのも事実。
どこの高校に通おうが、最後はやはり自分の努力次第なんですよね。
そんな咲楽さんも自ら芸能界入りの道を切り開いています。
両親にオーディションを受けたい旨を伝え、第40回ホリプロタレントスカウトキャラバンに応募し見事にソフトバンク賞を受賞。
2017年の18歳の時に「おはスタ」のおはガールに水曜日のレギュラーとして起用されました。
当時は益子町の実家から片道3時間かけて新幹線で東京のスタジオに通っていたそうです。
朝の生放送が終わるとすぐに新幹線で栃木に帰ってきて、最寄り駅からは母親の車で高校まで送ってもらっていたそう。
益子町からの新幹線の最寄り駅はおそらく宇都宮駅になるでしょうか?
現在は実家を離れ、東京の蒲田で家賃5万円の一人暮らしをされていつとのこと。
蒲田を選んだのは、手芸店でおなじみ「ユザワヤ」があるからなんだそう。
咲楽さんは母親に似て手芸が得意なんだそうですよ。
咲楽さんは現在も仕事以外での外食はほとんどしないそうで、しっかりと自炊をされているそうです。
こんなところも母親譲り、また育った環境が影響していることも大いに関係していそうですね。
咲楽さんは大学については実は受験に失敗した経験があるようで、なんと慶応義塾大学を受験したそうです!
当初、咲楽さんは浪人すると言っていましたがその後、受験の報告など報告されていないことから大学受験は諦めて芸能界の仕事に専念することにしたのかもしれません。
今まさに売れ始めてきた時期でしょうから、勉学との両立はスケジュール的にもキツイかもしれませんね。
まとめ
井上咲楽さんの実家と父親の職業と家族構成、学歴も一緒に紹介しました。
今後の井上咲楽さんの活躍が期待されますね!
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