俳優から政治家に転身された山本太郎氏。
俳優からの転身ということで、端正な顔立ちに納得です。
俳優としての経歴を持つ山本太郎氏が、政治家になるまでの経緯や学歴も気になるところです。
今回は、山本太郎氏の学歴と経歴、また生い立ちなどについてまとめみたいと思います。
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山本太郎氏のプロフィール
山本太郎氏のプロフィールです。
生年月日:1974年11月24日(2020年で46歳)
出身地:兵庫県
身長:175センチ
血液型:A型
山本太郎氏の学歴
現在政治家として活躍されている山本太郎氏の学歴は意外にも中卒でした。
それでは、山本太郎氏の学歴です。
1987年3月 宝塚市立中山桜台小学校卒業
1990年3月 箕面自由学園中学校卒業
1990年4月 箕面自由学園高等学校入学
1991年 箕面自由高等学校中退
山本太郎氏は中学生の頃から政治に興味を持っており、弱者を守る勇気ある生徒だったそうです。
中学生の頃から政治に興味を持っていた山本太郎氏は、まさに自分の信念を貫いて進むべき道を選択してきたことが、現在につながっているということですね。
山本太郎氏が進学した箕面自由学園中学校は、小中校一貫の私立の進学校となっていいます。
山本太郎氏は1990年にそのまま箕面自由学園高等学校に進学されていますが、こちらの偏差値は45~63と開きがあるようですが、私立校の特徴とも言えますね。
1990年に箕面自由学園高等学校に進学阿された山本太郎氏ですが、1991年頃には高校を中退されています。
と言うのも、山本太郎氏は1990年放送の「たけしの元気が出るテレビ」のダンス甲子園に出場していました。
山本太郎氏が高校一年生の時です。
ダンス甲子園に出場していた際の山本太郎氏は、水着姿に水泳帽子をかぶった露出の多い出で立ちで出演していました。
この様子を見ていた箕面自由学園の保護者から裸踊りのようで、不謹慎だとクレームがあったそうです。
この件で、山本太郎氏は校長先生からお呼び出しをくらい、「このままでは学校にいられなくなる」との忠告を受けますが、忠告を受け入れ拒否した山本太郎氏は留年が決定。
山本太郎氏は、周囲の反対を押し切りテレビの出演を続けた結果、イジメに遭います。
また剣道部に所属もしていましたが、部活の出席率の悪さから退部させられています。
丁度この頃に、映画「代打教師秋葉真剣です!」で準主役が決まり、高校を自主退学するという学生時代を歩まれているのでした。
現役の高校生の時にテレビに出演されていたということで、目立ちたがり?の性格だったのでしょうか?
校長先生の忠告も聞かずにテレビに出演し続けるなど、破天荒な性格がちらり見え隠れしている感じを受けてしまいます。
高校を中退した山本太郎氏は、もちろん大学に進学せずに10代後半から20代にかけて俳優として活躍をされています。
山本太郎氏の生い立ち
高校を中退するなど破天荒な学生時代を送っていた山本太郎氏の生い立ちも気になるところです。
山本太郎氏の生い立ちはかなり裕福な家庭環境で育っていますが、父親は、実は1歳の時に亡くなっており母子家庭でした。
母子家庭なのに裕福であった家庭環境には、母親の力が大きく影響しています。
山本太郎氏の母親はペルシャ絨毯の輸入業で成功を納めていました。
山本太郎氏は小学生の頃から毎年海外旅行に行くなど、裕福な学生時代を送っていたようです。
女性実業家として成功されていた山本太郎氏の母親は、躾には厳しかったようで、家の手伝いなども当たり前のこととしていたようです。
お金には困らないけれど決して甘やかさない、そのような教育の背景に女手一つでビジネスを切り盛りするバリバリの実業家としての山本太郎氏の母親の姿が垣間見られますね。
また山本太郎氏の母親は、フィリピンの貧しい子供たちを支援するボランティア団体のメンバーの一員として活躍されており、山本太郎氏も幼い頃から母親に同行してフィリピンを訪問されています。
そして、母親の教えとして「日常的に自分より弱い立場の人に手を差し伸べろ!」と常に言われていたそうです。
このような母親の教えからも山本太郎氏が政治家を志すものが芽生えていったのかもしれませんね。
山本太郎氏の母親がいかに聡明で心優しく、そして最強のメンタルを持っているのかが想像できます。
きっと女性が憧れるような素敵な方なのでしょうね。
山本太郎氏の容姿からも母親がかなり目鼻立ちの整った美人であることも想像がつきますね。
山本太郎氏の経歴
高校中退をされてから俳優として活躍、その後政治家に転身するまでの経歴をまとめてみます。
高校生の時に芸能界入りした山本太郎氏は、1993年~1997年にかけて出演ドラマ8作品、出演映画6作品に出演されて俳優としての実績を積んでいます。
1996年NHK朝の連続テレビ小説「ふたりっ子」のヒロインの相手役も務めています。
そして2000年の「バトルロワイヤル」で立役級で出演したことで注目が集まります。
2007年には、探偵学園Qでドラマ初主演も務めています。
その後は芸能界を引退されており、2012年には太陽光発電施工事業会社の「ソーラーリフォーム」に正社員として就職もされています。
山本太郎氏にも一般人として就職活動をされてサラリーマンとしての経験もあったという事実にはちょっと驚きです。
2012年12月に第46回衆議院議員総選挙に無所属で出馬するも落選。
2013年参議院議員総選挙で無所属で立候補、初当選を果たします。
2014年12月には生活の党に入党。
その後、生活の党から生活の党と山本太郎となかまたちに改名。
2016年には生活の党と山本太郎となかまたちから自由党に変更。
2019年4月には自由党を離党して政治団体「れいわ新選組」の代表となっています。
山本太郎氏の経歴をまとめると、高校を中退して芸能界で俳優として活躍。
そして、俳優から一般人としてサラリーマンを経験、そして夢だった政治家として活躍。
傍から見るとなかなか紆余曲折を経ているようにも見えますが、それでもかなりのやり手で行く先々で実力を発揮しながらここまで突き進んできたように思えてしまいます。
そこには、やはり母親の影響や遺伝もちょっと感じてしまいますね。
山本太郎氏は結婚はしている?
山本太郎氏は現在46歳ということで、プライベートにおいては結婚はされているのでしょうか?
山本太郎氏は結婚歴は1度あるようです。
つまり現在はバツイチということになりますね。
山本太郎氏が初当選された前年の2012年の5月に18歳年下の美人プロサーファーの割鞘珠璃(わりさやじゅり)さんと交際一か月のスピード婚をされていました。
そして交際一ヵ月のスピード婚からわずか3カ月後にスピード離婚をされているのでした。
結婚当時、割鞘さんは19歳、山本太郎氏は37歳の時でした。
交際一ヵ月からのスピード婚ということで、お互いを知らなすぎたのかもしれませんね。
お互いにちょっと早まってしまった感じだったのでしょうか?
割鞘さんも19歳と若すぎましたかね?
まとめ
山本太郎氏の学歴と経歴、生い立ちをまとめました。
政治家として今後の活躍が期待されますね。
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