山口百恵さんが芸能界から引退してから40年以上が経った現在も、山口百恵さんは伝説のアイドルとして語り継がれています。
山口百恵さんの芸能界引退後は一切メディアに登場しないなど徹底した姿勢はカッコ良さを感じるところです。
人気絶頂期で芸能界から身を引いた山口百恵さんの芸能界引退の理由は何だったのでしょうか?
この記事では山口百恵さんの引退理由や生い立ち、父親との関係についてまとめています。
山口百恵の生い立ち
芸能界引退から40年以上経った現在でも伝説のアイドルとして語り継がれている山口百恵さん。
山口百恵さんを一言で言い現わすなら「カッコイイ」の一言に尽きるでしょうか?
山口百恵さんが三浦友和さんとの結婚を機に芸能界を引退された当時の年齢は21歳でした。
現在でも当時の伝説の引退コンサートで山口百恵さんがラストステージで静かにマイクを置くシーンが放送されますが、とても21歳には見えないほど大人っぽかったですね。
大人っぽく見えたと同時に、どこか暗さも感じられた山口百恵さん。
山口百恵さんの持つ大人びた雰囲気やどこか暗さを感じる雰囲気、その背景には山口百恵さんの生い立ちが大きく関係していたようです。
山口百恵さんの生い立ちを見て行きましょう。
本名: 三浦百恵(旧姓 山口)
生年月日: 1959年1月17日
年齢: 64歳(2023年の誕生日で)
出生地: 東京都渋谷区恵比寿
出身地: 神奈川県横須賀市
出身中学校: 横須賀市立不入斗中学校
出身高校: 私立日出女子学園高等学校
山口百恵さんは東京恵比寿で誕生していますが、育ちは神奈川県横須賀市です。
本名はそのまま「山口百恵」さんですがあまりにも偉大だったこともあり、まるで芸名のように感じるほそどパワーを秘めたお名前と言った印象を持ってしまうところです。
山口百恵さんは母子家庭に育っています。
と言うのも、山口百恵さんの父親と母親の関係は不倫関係にあり、元々父親は別に家庭を持っており子供もいたのです。
山口百恵さんの母親は不倫の末に山口百恵さんを身籠っており、戸籍上は「認知」と記載されているそうです。
※認知とは、簡単に言うと「結婚していない男女の間に生まれた子、またはこれから生まれる子を自分の子だと認めること。」となっています。」
つまり、山口百恵さんの母親は未婚のまま山口百恵さんを出産しています。
山口百恵さんの母親は神奈川県横須賀市の4世帯が入居する木造のアパートで女手一つで百恵さんを育てています。
時に父親は大きなカバンを持ってアパートにやってきては、百恵さんに何でも欲しい物を買い与え、百恵さんをとても可愛がっていたそうです。
その反面、金銭面ではルーズな一面を持っており、山口百恵さんの母親は何度も裏切られていた様子を百恵さんは目の当たりにして育っています。
母親の内職で生活を支えていたようですが、山口百恵さんが高校進学を見据えていた母親は、山口百恵さんがまだ中学生の時に高校進学のための学費の工面を父親に申し出ました。
しかし父親からは工面出来ないとの対応を取られたのです。
母親は子供を差別したとして、父親と離別することを決意しています。
山口百恵さんが「認知」の事実を知ったのは高校生になってからのことでした。
山口百恵さんは中学3年生の時にデビューしていますので、芸能界に入ってから知ることとなった「認知」でした。
「認知」の事実を知るきっかけとなったのは、当時の週刊誌が山口百恵さんの戸籍抄本を勝手に掲載したことと言われています。
個人情報保護法が当たり前になっている現在では、ちょっと考えられないような出来事ですね。
この戸籍上の「認知」について山口百恵さんは後に、著書で「私には父親はない。実際に存在していたとしても私は存在を否定する。」と書いています。
山口百恵さんは、母親を裏切り続けた父親の姿をしかりと見ていたようですね。
芸能界を引退して三浦友和さんと結婚した際に、百恵さんは自分で稼いだ相当分の金額を手切れ金として父親に渡しきっぱりと縁を切ったそうです。
どことなく暗さを感じるように見える山口百恵さんですが、複雑な生い立ちが関係していたのかもしれませんね。
山口百恵の引退の理由
山口百恵さんは1980年10月5日の日本武道館でのコンサートを最後に芸能界を引退されています。
人気絶頂期での引退。
また年齢も21歳で、まだまだこれから先が楽しみという時期でもありました。
山口百恵さんの芸能界引退の理由は三浦友和さんとの結婚が理由でした。
芸能界を引退することに関しては、三浦友和さんは百恵さんに家庭に入って欲しいと望んだ訳ではありませんでした。
むしろ、山口百恵という女優がいなくなるのは惜しいので芸能活動の継続を望んでいたと言います。
しかし山口百恵さんは結婚後の生活について著書に次のように書かれています。
私は三浦友和さんのために「行ってらっしゃい」と「おかえりなさい」を
言ってあげたかったのです。
山口百恵さんの自叙伝「蒼い時」は引退直前に出版されており、山口百恵さんの複雑な生い立ちや三浦友和さんとの初体験についても赤裸々に綴られており、発売当時話題となり200万部を超える第ベストセラーとなっています。
蒼い時 /集英社/山口百恵
人気絶頂期で芸能界を潔く引退した山口百恵さん。
家庭を第一にしたいとの強い思いを持っていたようですね。
その背景にはやはり自分の複雑な生い立ちが関係しているのではないでしょうか?
山口百恵さんは子供ながらにして、当たり前に父親がいない家庭で淋しい思いや不憫な思いを一人で抱え込みながら子供時代を過ごしてきたのかもしれません。
エピソードとして、郷ひろみさんは山口百恵さんのファンだったとのことで、電話番号をマネージャーの目を盗んで百恵さんに渡すものの相手にされなかったとのこと。
当時、山口百恵さんは既に三浦友和さんと付き合っており、結婚を意識しての交際だったことから百恵さんからすれば郷ひろみさんのことは眼中にもなかったのではと言われています。
郷ひろみさんと言えば当時はアイドルとして人気絶頂期でした。
そんな人気の郷ひろみさんにも目をくれないほど、山口百恵さんは三浦友和さんを好きだったということの裏返しかもしれません。
これらのエピソードからも、山口百恵さんの三浦友和さんへの想いが伝わってくるようです。
芸能界を潔く引退した理由に複雑な生い立ちの他に三浦友和さんへの強い想いがあったからかもしれません。
「愛する人に尽くしたい」そんな一途な山口百恵さんの想いが伝わってくるようです。
実際に山口百恵さんは引退後はメディア出ることはありません。
完全に一般人として三浦友和さんを支えています。
また、三浦友和さんと結婚ごに二人の息子さんにも恵まれており、子育てもしっかり行ってきました。
長男さんは三浦祐太郎さん、現在はミュージシャンとして活躍されています。
次男さんは三浦大樹さんで、次男さんも俳優として活躍されています。
三浦友和さんに於いては浮ついた話は一切ありません。
これらは山口百恵さんがしっかりと家庭を守ってきたからこそだと思います。
山口百恵さんは理想の家庭を築き上げ、一番望んでいたものをしっかりと手に入れたということに尽きるでしょうか。
どこをとっても、カッコよすぎる山口百恵さんの生き方ですね!
山口百恵と三浦友和の馴れ初め
山口百恵さんと三浦友和さんは1980年11月19日に結婚。
当時、山口百恵さん21歳、三浦友和さん27歳でした。
晩婚化が進んでいる現在に比較すると、21歳での結婚は早い方ですね。
昭和世代では結婚適齢期と言われた時期もあり、23歳から25歳あたりまでの年齢が結婚適齢期と言われていました。
昭和世代の結婚適齢期と比較しても21歳の結婚は早い方でしたね。
しかも、人気絶頂期のアイドルということもあり、山口百恵さんの結婚は衝撃的に捉えられたようです。
山口百恵さんと三浦友和さんの出会いのきっかけは1974年に公開された映画「伊豆の踊子」での共演がきっかけだったそうです。
当時の山口百恵さん15歳。
山口百恵さんと言えば歌手として活躍されていた印象が強いですが、実は女優としても活躍されていました。
7年間の芸能生活の中で山口百恵さんは主演で13本の映画に出演。
そのうち12本の映画は三浦友和さんとの共演があったそうです。
映画の他にもテレビドラマでも共演。
誰もが認めるお似合いのカップルと見られていましたが、実際に交際しているとは思われていませんでした。
しかし、山口百恵さんは1979年10月2日の大阪厚生年金会館でのコンサートで突然に三浦友和さんとの交際宣言をしたのです。
「私の好きな人は三浦友和さんです。」とファンの前で堂々と述べたのです。
この告白に世間は衝撃を受けました。
そして翌年の1980年に三浦友和さんと山口百恵さんはゴールイン。
当時、世間では「離婚するだろう」との見方も強かったようです。
しかし、山口百恵さんと三浦友和さんは離婚どころか、浮ついた噂も一切ないという理想的な家庭を築き上げています。
これも一重に山口百恵さんの力量が備わっていたから他ならないと思います。
山口百恵さんが幸せな家庭を築かれて、幸せに暮らしていることを一番にファンの方々が喜んでいるのではないでしょうか。
やはり、山口百恵さんには「伝説」と言う言葉がしっくりきますね。
まとめ
山口百恵さんの芸能界引退の理由や生い立ちと父親との関係について紹介しました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
山口百恵さんの現在の姿については、こちらの記事に詳しく書かれています↓
コメント