ミスタートリプルスリーことヤクルトスワローズの山田哲人選手。
山田哲人選手が野球の才能を発揮した背景には、父親の存在が大きかったようです。
山田哲人選手の父親はどんな方なのでしょうか?
また兄弟など家族構成についても気になるところですね。
この記事では山田哲人選手の父親をはじま家族格構成についてまとめています。
山田哲人の父親
山田哲人選手の父親は山田知規さん。
山田哲人選手の父親の知規さんは兵庫県警察に勤務する警察官です。
山田哲人選手の父親は1959年生まれということで、2022年で63歳となるようですので、既に兵庫県警は退職されていると思われます。
現役時代は、兵庫県警の生活経済課に勤務されていたとのこと。

山田哲人選手の父親の知規さんは野球の経験は一切なかったそうです。
高校生の時に武術で全国制覇をされているとのこと。
参考までに武術とは、柔道、剣道、弓道、相撲、空手道、合気道、少林寺拳法、なぎなた、銃剣道の総称を言うそうです。
上記の武術のうちどれかで全国制覇をしたということで、警察という職業柄から柔道または剣道ではないかと思われます。
山田哲人選手の父親は警察官ということで、異動に伴い引っ越しを何度か経験されているようです。
山田哲人選手が生まれた1992年の頃に父親は、兵庫県豊岡署に勤務していました。
山田哲人選手が小学2年生になると転勤で宝塚市に引っ越します。
この引っ越しを機に、山田哲人選手は宝塚市で少年野球の強豪チームで有名だった宝塚リトルリーグに入団します。
それまでにも、水泳、空手、体操、サッカーなどあらゆるスポーツを経験させていました。
運動神経は元々良かったようで、サッカーでは得点王にもなったそうです。
宝塚リトルリーグに入団した山田哲人選手は、最初はバットにボールが当たらず、「もう来ない」と泣きながら帰ったと言います。
それから努力を重ねると野球の才能をメキメキと発揮させ、野球にのめり込んでいきました。
あまりにも成長のスピードが速かったため、父親の知規さんは山田哲人選手の才能の可能性を感じたそうです。
それから、知規さんは山田哲人選手の野球の練習に付き合うようになります。
バッティングには瞬発力が必要と考え、知規さんはバトミントンのシャトルを使った訓練を独自に考案。
重いバットと軽いバットを交互に打たせて早いスイングを体で覚えさせたそうです。
当時、マンションの駐車場での特訓が続きました。
山田哲人選手の現在の活躍があるのは、父親の特訓があったことは大きいかと思います。
それにしても、野球の経験がなく打撃には瞬発力の必要性をよく思いついたなと感心するばかりです。
山田哲人の母親
山田哲人選手の母親は則子さん。
父親の知規さんよりも3歳年下になるそうです。
2022年で60歳になるようです。
山田哲人選手の母親はテニスの経験者だそうです。
母親の教育方針は「褒めて伸ばす」だそうで、山田哲人選手も褒められて育ったようですね。
山田哲人選手は宝塚リトルリーグでメキメキと才能を発揮しており、高校進学となった時に山田哲人選手の第一希望は、大阪桐蔭高等学校でした。
その理由は、甲子園に一番近い高校が大阪桐蔭高校だったからだそう。
しかし、大阪桐蔭高校の野球部員は自宅がどんなに近くても寮生活を送ることが絶対条件でした。
寮生活に山田哲人選手の母親は反対し、最終的に山田哲人選手は履正社高等学校に進学しています。
高校を卒業するまでは手元で育てたいと言う強い母親の親心が伝わってきますね。
履正社高等学校に進学した山田哲人選手は、高校3年生の夏に甲子園出場を果たしています。
そして2010年のドラフト会議でヤクルトスワローズから1位指名され2011年に正式に入団されています。
振り返ると山田哲人選手は、小学校の時にすでにプロ野球選手になることを夢みており、文集にも「プロになって2000本安打」と書いていました。
父親や母親の支えもあり、見事に夢を叶えた山田哲人選手。
ご両親の喜びもひとしおかと思います。
山田哲人の兄弟
山田哲人選手はお姉さんと妹の3人兄弟だそうです。
お姉さんは直子さん。
2015年に結婚されており、バリ島で結婚式を挙げたそうです。
山田哲人選手も式に参加。
感動の式だったそうです。

まとめ
山田哲人選手の父親の職業や家族構成について紹介しました。
最後までお読み下さりありがとうございます。
山田哲人選手の歴代彼女についてはこちらの記事をご覧下さい。
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