旧統一教会の合同結婚式で新体操選手だった山崎浩子さんと結婚された勅使河原秀行さん。
当時は山崎浩子さんの旦那さんとなる方ということで話題に上がりました。
最終的には山崎浩子さんがお姉さんや親族の方から洗脳を解かれ、合同結婚式に参加したものの統一教会から脱退されています。
脱会と同時に勅使河原秀行さんとは破局に至っています。
あの騒動から勅使河原秀行さんはどのように過ごされていたのでしょうか?
また、再婚はされたのでしょうか?
この記事では勅使河原秀さんの再婚についてまとめています。
勅使河原秀行の再婚相手は住谷文子
勅使河原秀行さんと言えば、統一教会の合同結婚式で元新体操選手だった山崎浩子さんの結婚相手となったことで一躍有名になりました。
珍しい苗字と勅使河原秀行さんのイケメンな容姿、また誠実な人柄が注目を集め、一躍時の人となりました。
1992年8月25日に韓国のソウルオリンピックスタジアムで統一教会による合同結婚式に参加した勅使河原秀さんと山崎浩子さん。
当時、山崎浩子さんは合同結婚式に参加する約5か月前に母親を亡くしたばかりでした。
母親を亡くしたばかりだったことから、山崎浩子さんは母親の一周忌が過ぎるまでは入籍は控えたいと勅使河原秀行さんに申し出ていました。
勅使河原秀行さんは山崎浩子さんの希望を受け入れて、入籍は先送りに。
合同結婚式を済ませてから間もなくして、山崎浩子さんのお姉さんや親族の叔父夫婦が統一教会の洗脳を解くために説得を続けていました。
そして、元統一教会の信者だったという牧師さんを紹介されます。
牧師さんを紹介された山崎浩子さんは統一教会を脱会することを決意。
勅使河原秀行さんにも牧師さんに会うように説得しますが、勅使河原秀行さんは聞き入ずに統一教会に残ることを選択しました。
山崎浩子さんは統一教会の脱会と共に勅使河原秀さんとの結婚も白紙に戻しました。
当時、勅使河原秀行さんは山崎浩子さんにとても未練を感じていたような報道が今も印象に強く残っています。
山崎浩子さんと勅使河原秀行さんは合同結婚式に参加したものの入籍はしていませんでした。
入籍前に結婚を白紙にしていますので、山崎浩子さん、勅使河原秀行さんと共に戸籍上では結婚歴はないことになっています。
前置きが長くなりました。
あれから勅使河原秀行さんは、どうしていたのでしょうか?
勅使河原秀さんは山崎浩子さんと合同結婚式に参加された3年後の1995年8月25日の合同結婚式で住谷文子さんと結婚されていました。
勅使河原秀行さんの再婚相手となった住谷文子さんは統一教会の信者であり、統一教会の支部のチャーチマザーの娘さんだということです。
支部のトップの女性のことをチャーチマザーと呼ぶそうです。
住谷文子さんはチャーチマザーの霊の子として誕生しています。
統一教会の専門語が並びますが、少し詳しく解説します。
統一教会の信者さんはホームで団体生活を送るそうです。
その団体生活に置いて責任者は、支部長の男性と女性のマザーが置かれているとのこと。
支部の女性責任者は、「伝道した人」と言われています。
伝道した人の子供が「霊の子」となります。
勅使河原秀行さんのお嫁さんの住谷文子さんは、統一教会の支部のトップ女性の「霊の子」として誕生。
生まれながらにして統一教会と密接な環境で育っている女性なのです。
勅使河原秀行さんが住谷文子さんと結婚したのは、山崎浩子さんと破局から3年後の1995年。
勅使河原秀行さん31歳の頃で、住谷文子さんは勅使河原秀行さんよりも5歳年下で27歳での結婚でした。
当時の統一教会では女性は30歳以上にならないと家庭を持ってはいけないというルールがあったそう。しかし、住谷文子さんは27歳でしたので、統一教会から特別な扱いがあったことが伺えます。
住谷文子さんの簡単なプロフィールです。
生年月日: 1968年頃
職業: 家庭家族芸術団女優
住谷文子さんは勅使河原よりも5歳年下とのことで、2022年で53歳になるようです。
住谷文子さんは統一教会の劇団「世界家族芸術団」で女優として活躍されており、とても美人だと話題です。
勅使河原秀行さんの再婚相手の住谷文子さんの画像がこちら。
モノクロで見えにくいかもしれませんが、目鼻立ちの整った美人な女性であることが分かります。
勅使河原秀行さんと住谷文子さんの間には4人のお子さんに恵まれたそうです。
統一教会では避妊は認められていないとのことで、子宝にも恵まれたようですね。
勅使河原秀行さんにとっては、山崎浩子さんとの破局に於いては辛い思いをされたことと思います。
しかし、勅使河原秀行さんは統一教会に残って活動を継続されており、3年後に住谷文子さんと結婚されて4人の子供にも恵まれて現在は幸せになられたようで何よりです。
勅使河原秀行の学歴と経歴
勅使河原秀行さんの学歴と経歴です。
勅使河原秀行さんは1963年生まれで、出身は愛知県一宮市。
2022年9月現在58歳です。
勅使河原秀行さんは一浪して京都大学農学部農村経営学科に進学し、一年の留年を経て卒業されています。
勅使河原秀行さんが統一教会に入信したのは、京都大学に在学中の時でした。
京都大学に在学していた勅使河原秀行さんは、統一教会が提唱する「統一原理」なるものを研究」する非営利団体「原理研究会(CARP)を通じて統一教会の信者になった経緯があります。
京都大学在学中に統一教会に入信した勅使河原秀行さんは、あまりにも統一教会にのめり込んでしまったため、本業である学業が疎かになってしまったようで、大学4年の時に留年を経験しています。
京都大学を卒業した勅使河原秀行さんは大和証券に入社します。
大和証券では岐阜支店に配属され、営業成績も優秀だったとのこと。
入社から数年後には東京本社にご栄転。
まさにエリート街道まっしぐらの勅使河原秀行さんでした。
そして、1992年の28歳の時に統一教会の文鮮明氏によるマッチングで元新体操選手の山崎浩子さんとカップルになり、合同結婚式に参加しています。
前述した通り、山崎浩子さんの脱会と同時に破局。
この騒動で勅使河原秀行さんは一躍有名になりました。
山崎浩子さんと破局を迎えた勅使河原秀行さんはその後、大和証券を退社。
統一教会がアメリカニューヨークに開校した「統一神学校UTS」に留学をします。
その後、統一教会傘下の企業に就職し、国内外で活躍してきました。
勅使河原秀行さんは山崎浩子さんと破局後は、統一教会に残り熱心な信者として活動。
順調に統一教会内で出世をしていきました。
1995年には統一教会幹部の娘さんでの住谷文子さんと結婚。
住谷文子さんと結婚当初は、神奈川県川崎市の「孝成家族教会」の壮年部長の役職についていました。
2014年頃になると、統一教会の公式ユーチューブチャンネルに講師として登場し、統一教会の教えを説いています。
2015年には統一教会の本部の人事部長に就任。
2016年には統一教会の統合企画局副局長に就任。
そして、2022年9月には統一教会の教会改革推進本部の本部長に就任されています。
元々、勅使河原秀行さんは誠実な人柄で話題となっていた方ですから、統一教会でも信頼される存在であったようです。
おそらく勅使河原秀行さんは統一教会内だけでなく、例え企業にお勤めであったとしても役職の就くような重要ポストを任せられる人柄、逸材であたことと思います。
それが、勅使河原秀行さんにとっては統一教会が活躍の場であっただけのことだったと思われます。
合同結婚式から30年の沈黙を経て再びマスコミの前に戻ってきた勅使河原秀行さん。
やはり、勅使河原秀行さんは統一教会の顔という運命を背負っていたかのようにさえ思えてしまいます。
今後は、さらにメディアに登場する機会も増えてきそうな勢いですね。
まとめ
山崎浩子さんと合同結婚式に参加した勅使河原秀行さんの再婚について紹介しました。
勅使河原秀行さんは、山崎浩子さんと破局後は再婚されており、4人のお子さんにも恵まれていました。
山崎浩子さんの現在の様子についてはこちらの記事をご覧下さい。
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