統一教会の合同結婚式で一躍有名になった勅使河原秀行さん。
元新体操選手だった山崎浩子さんとの破局の騒動から30年。
30年の時を経て勅使河原秀行さんが再びマスコミの前に登場です。
久しぶりにメディアに登場した勅使河原秀行さんの紳士的な姿は、当時の姿とあまり変わりないかのような印象でした。
そこで、この記事では勅使河原秀行さんの若い頃の様子や出身と経歴などをまとめてみました。
勅使河原秀行の若い頃
2022年9月22日に統一教会の教会改革推進本部の本部長として緊急会見に登場したのが勅使河原秀行さん。
勅使河原秀行さんと言えば1992年8月に山崎浩子さんと統一教会の合同結婚式に参加したことで一躍有名になりました。
勅使河原秀行さんが有名になった背景には、元新体操選手の山崎浩子さんの結婚相手に選ばれたこと。
また、勅使河原秀行さんのイケメンな容姿や京都大学出身で当時は大和証券の本部に勤務するエリートサラーリーマンだったこと。
そこに加えて、勅使河原秀行さんの温厚で誠実そうな人柄も注目の的でした。
「勅使河原」という珍し苗字も当時は印象的でしたね。
統一教会の教祖様によって山崎浩子さんの結婚相手に選ばれた勅使河原秀行さんですが、合同結婚式に参加した翌年の1993年4月に山崎浩子さんとは破局を迎えています。
と言うのも、山崎浩子さんのお姉さんや親族の方の強い説得と元信者だった牧師さんによる洗脳を解除されたことで、山崎浩子さんは統一教会から脱会に至りました。
山崎浩子さんは勅使河原秀行さんにも元信者だった牧師さんに会うように説得しますが、勅使河原秀行さんはそれには応じずに、山崎浩子さんの脱会と同時に勅使河原秀さんとの結婚も白紙に戻りました。
山崎浩子さんと勅使河原秀さんは合同結婚式には参加されていましたが、入籍は先送りになっていたため戸籍上はお互いに独身の状態のままでした。
入籍が先送りになっていたのは、当時山崎浩子さんの母親が合同結婚式の約5か月前に他界したばかりで、母親の一周忌が済むまでは入籍はしないとの山崎浩子さん側からの要望であったのです。
山崎浩子さんの脱会と共に結婚が白紙になった勅使河原秀行さんは、再びマスコミから注目を浴びました。
勅使河原秀行さんはそんなマスコミに対して物腰柔らかく対応されていたことが印象的でした。
勅使河原秀行さんの若い頃を振り返って見ましょう。
まずは山崎浩子さんと勅使河原秀さんの婚約会見の動画がありましたので、そちらからどうぞ。
あれから30年。
現在の勅使河原秀行さんがこちら。
合同結婚式当時の勅使河原秀行さんは28歳でした。
2022年には58歳となられています。
幾分お年を召したようですが、素敵に年齢を重ねていらっしゃる印象です。
紳士的な容姿は相変わらず健在ですね。
30年前と殆ど変わりないかのように感じました。
勅使河原秀行のwiki風プロフィール
勅使河原秀行さんのプロフィールです。
勅使河原秀行
生年月日: 1964年頃
出身地: 愛知県一宮市
学歴: 京都大学農学部農村経営学科卒業
勅使河原秀行さんの年齢は2022年で58歳。
生年月日は合同結婚式当時28歳だったことから逆算すると1964年頃に誕生しているようです。
出身地は愛知県一宮市。
勅使河原秀行さんの父親は大阪に本社のある繊維問屋の取締役で一宮支店の店長をされていたとのこと。
勅使河原秀行さんは3人兄弟の長男として誕生しています。
兄弟は弟さんと妹さんがいるそうです。
合同結婚式当時の様子や現在の勅使河原秀行さんの人となりを見ると紳士的な感じがしますが、幼い頃の勅使河原秀行さんはヤンチャでいたずらっ子だったそうです。
また中学から高校までは剣道に打ち込むスポーツマンだったとのこと。
高校では副将として地区大会の団体戦で準優勝に貢献しています。
恋愛に対しては控えめと言うか奥手だったそうで、身だしなみなどは無頓着な一面を持っていたそうです。
高校卒業後は一浪して京都大学に進学しています。
父親の勧めは医学部だったそうですが、本人の希望で農学部に進学。
勅使河原秀行さんは当時、将来的に食糧危機の時代がくると推測されていたことから農学部の進学。
将来は国連で働きたいとの希望を抱いていたようです。
しかし、大学在学中に統一教会の学生組織である「原理研究会」に入会します。
そして大学3年生になると授業に出なくなることが多くなっていきました。
「原理研究会」に熱中し過ぎて、大学4年生になった勅使河原秀行さんは卒業が出来なくなり、留年も経験しています。
それほどまでに勅使河原秀行さんの統一教会の信仰は筋金入りとなって行ったのです。
この頃の勅使河原秀行さんは将来は統一教会の職員になって24時間を捧げたいとの思いを持つようになっていたと言います。
しかし、その様子を両親は大反対をします。
そのため、大学卒業後は大和証券に就職。
入社後の配属先は岐阜支店でした。
営業成績は優秀で、証券アナリストの資格も取得。
数年後は東京本社にご栄転になっています。
勅使河原秀行さんは小遣い以外の給料を殆どを献金されていたとのこと。
ボーナスに限ってはボーナスの殆どを献金していたと言います。
そして、28歳の時に合同結婚式に参加して瞬く間に時の人となっていきました。
勅使河原秀行さんの京都大学出身で大和証券勤務の経歴や、イケメンな容姿は統一教会の広告塔として適任者でもあったようです。
そのため山崎浩子さんの結婚相手としてまさしく相応しい人としてマッチングされたとの思惑もあったようです。
最終的には山崎浩子さんが身内の説得により洗脳を解かれ、統一教会を脱会したと同時に山崎浩子さんと勅使河原秀行さんは破局。
破局後、勅使河原秀行さんは大和証券を退社しています。
その後、統一教会がアメリカニューヨークに開校した「統一神学校(UTF)」に留学します。
帰国後は、統一教会傘下の企業に就職し国内外で活躍されてきました。
そして山崎浩子さんの破局から3年後の1995年に再び合同結婚式に参加。
勅使河原秀行さんの結婚相手となった方は、統一教会幹部の娘さんの住谷文子さんという女性だそうです。
住谷文子さんは統一教会の劇団「世界家族芸術団」の女優として活動されていた方でとても美人な女性だということです。
山崎浩子さんの一件があったことで、教会からの強いフォローがあったと思われます。
住谷文子さんと再婚された勅使河原秀行さんは4人の子供にも恵まれたそうです。
勅使河原秀行さんが再婚をしたのは31歳の時ですから、一番上のお子さんは成人を過ぎていると思われます。
統一教会一筋でやってこられた勅使河原秀行さんは、教会内でもどんどん出世を果たしたようです。
2014年頃には統一教会の公式ユーチューブチャンネルに講師として登壇し、統一教会の教えを説いています。
2015年には統一教会本部の人事部長に就任。
2016年には統一教会統合企画局福局長に就任。
そして2022年のは統一教会の教会改革推進本部の本部長に就任しています。
今後は統一教会の顔として露出度も増えてくるのではないでしょうか。
30年の時を経て再びマスコミの前に登場することになった勅使河原秀行さん。
何かと話題を集める人は運命の定めであったかのような巡り合わせです。
まとめ
統一教会の勅使河原秀行さんの若い頃について紹介しました。
最後までお読み下さりありがとうございます。
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