歴史に残る残虐な事件の一つ、神戸連続児童殺傷事件。
逮捕されたのは当時14歳の少年A。
このような残虐な事件を起こした少年Aの生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。
この記事では神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗こと少年Aの生い立ちについてまとめています。
少年Aの生い立ち
1997年(平成9年)に当時14歳の少年Aは、2人の児童を殺害、3人に重軽傷を負わせたとして逮捕されました。
残虐極まりない少年Aの犯行の手口。
14歳の少年がこのような残虐な事件を起こす引き金となった背景には家庭環境に問題があったのでしょうか?
少年Aの家庭環境はごく一般的な家庭であったと言われています。
少年Aんの家族構成は父親と母親、二人の弟。
そして、小学校5年生まで同居していた祖母です。
少年Aの父親はいつも仕事で多忙な人だったとのこと。
出身は奄美諸島で、周囲には無口な人柄で通っていたようです。
休日にはゴルフに出かけるなど、家族で過ごすことは少なかったと言います。
しかし思春期の息子には目配りを欠かさず、節目節目には助言なども行っていたとのこと。
少年Aの父親は、ごく普通の父親であったようです。
それに対し、少年Aの母親は完璧主義の性格だったようで、3人の息子を育てる家庭で、少年Aに対する接し方がどこかで狂ってしまったようです。
長男として誕生した少年A。
少年Aが生まれた時は、両親ともとても喜んだそうです。
母親は少年Aの離乳食は全て手作りで、完璧に育児をこなしていたと言います。
やがて次男が誕生。
すると母親は次男につきっきりになり、少年Aをはねのけるような態度に変わっていきます。
3男が誕生すると、更に少年Aに対しては厳しい態度をとるように。
食器の片付け方や、オモチャの片付けに完璧を求め、言葉使いも厳しくしつけたとのこと。
兄弟も大きくなると、オモチャの取り合いなどでしょっちゅうケンカをするようになり、弟達が泣くと長男の少年Aが母親からきつく叱られ時には体罰も与えられたとのこと。
やがて少年Aは母親を恐れるようになり、少年Aの母親に対する思いは「いつもイライラしている人」に切り替わっていきます。
当時、少年Aの家族と同居していた祖母だけが唯一、少年Aの頼れる人だったのです。
この祖母は奄美出身とのことで、父方の祖母のようです。
祖母と母親は折り合いが悪く、常にケンカが絶えなかったそう。
祖母は母親に、「Aに厳し過ぎる。」と言えば、母親は「子育てに余計な口を挟むな!」と反論したそうです。
少年Aが4年生の時に祖母は病気で入院、小学5年生の頃に亡くなります。
祖母の死に少年Aは相当のショックを受けたと言います。
なぜなら少年Aは両親よりも、祖母が大好きだったのです。
祖母の死がきっかけで、少年Aの行動は尋常をきたすようになっていくのでした。
祖母の死後の少年A
大好きな祖母を亡くした少年A。
祖母の死をきっかけに、少年Aは奇妙な行動が目立つようになりました。
最初はナメクジを殺し。
次に猫を殺すようになって行きます。
大好きだった祖母が飼っていた犬の餌を盗み食いする猫を見つけたことが、猫を殺すきっかけに。
少年Aの自宅周辺では首無し猫の遺体が次々に発見されます。
少年Aが猫を殺す様子を偶然に見かけた近所の住民が少年Aの母親に忠告をしますが、少年Aの母親は「家の子はそんなことをするような子供ではありません!」と逆切れを起こす次第でした。
少年Aの興味はナメクジから猫に、そして人間にと興味が移って行ったのです。
逮捕後の少年A
逮捕された少年Aの精神鑑定が始まってから一か月後、父親と母親が面会に行った際のこと。
少年Aは母親に向かって「ブタ野郎!帰れ!」と罵声を挙げたと言います。
少年Aに関しては、愛情に飢えていたとの見方があったようです。
2004年7月に少年Aは仮退院となっています。
その際、父親と二人で山奥のコテージで2日間を過ごしたとのこと。
父親は、少年Aに一緒に暮らすことを提案。
しかし、少年Aは父親の誘いに、
「もし一緒に暮らしていくなかで、ニュースなどで自分の事件が報道された時に、みんなの凍り付くことに耐えられる自身がないから、少し離れた所から見守って欲しい。」と述べたそうです。
そして、初めて父親に謝罪。
「幸せな5人家族やったのに、自分が生まれてきたせいでこんな事になってしまった。父さんの子供で本当にごめんなさい。」と。
父親は声を押し殺して泣いたと言います。
少年Aと父親が会ったのはこの日が最後となったようです。
まとめ
神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗こと少年Aの生い立ちについて紹介しました。
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