杉本宏之の生い立ちと学歴に驚き!2度の結婚歴と子供についても紹介

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手腕実業家として名を馳せる杉本宏之氏。

近年は女優の深田恭子さんとの交際が明るみになり注目を浴びていますね。

そんな杉本宏之氏は最年少で上場を果たすなど経営者としてかなりの才能をお持ちのようですが、杉本宏之氏の生い立ちや学歴が気になりますね。

また杉本宏之氏には2度の離婚歴もあるようす。

この記事では杉本宏之氏の生い立ちと学歴、結婚歴や子供は何人いるのかについて紹介しています。

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杉本宏之氏の生い立ち

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出典:ツイッター

杉本宏之氏は現在、株式会社シーラホールディングスの会長を務めています。

シーラホールディングスはグループ企業7社で不動産事業を展開しており、売上高は2000億円の大企業。

そんなシーラホールディングスを創設した杉本宏之氏は、さぞかしや裕福な家庭に生まれて高学歴をお持ちのように思えてしまいそうですが、、、、。

実は杉本宏之氏の生い立ちは裕福どころか借金取りから逃れるような生活を送り、生活保護を受けていた時期もあるほど極貧生活を強いられていた過去をお持ちなんですね。

それでは杉本宏之氏の生い立ちを見てみましょう。

ますは、簡単なプロフィールからどうぞ。

  • 杉本宏之
  • 生年月: 1977年6月25日
  • 出身地: 茨城県守谷市
  • 育ち: 神奈川県川崎市
  • 身長: 180センチ

杉本宏之氏は2022年の誕生日を迎えると45歳となられます。

出身地は茨城県守谷市。

杉本宏之氏の父親は茨城県守谷市の地元に小さな不動産の会社を立ち上げ、経営していました。

不動産会社の社長を父親に持つ杉本宏之氏。

これだけ聞くと「やっぱり裕福なお坊ちゃまだったのね。」と思いますが、実は杉本宏之氏の父親は、ワンマン社長で従業員からは親しまれていなかったようです。

杉本宏之氏の父親の経営方針についていけなくなった専務が、他の従業員を引き連れて独立。

大切な従業員がいなくなってしまった杉本宏之氏の父親の会社はみるみるうちに傾き倒産に至ります。

父親の会社が倒産したのは杉本宏之氏が3歳の頃のことだったようです。

ここから坂道を転げるように杉本宏之氏の生活はどんどん窮地に追い込まれていきます。

借金取りから逃れるように茨城県守谷市から埼玉県大宮市や川口市を転々とします。

最後に落ち着いたのは神奈川県川崎市。

ここで6畳一間の風呂なしのアパートで親子3人の生活を送ります。

後に杉本宏之氏はここでの生活でのことを、「母親が台所で洗面器に水を溜めてそれで自分の体を拭いていたことを鮮明に覚えている。」と回顧しています。

父親は家の売り主を見つけて不動産会社に紹介して手数料を稼ぐ不動産ブローカーとして仕事をしていたようですが、思うように上手くはいかなかったようです。

母親がパートで稼いだお金でパチンコに行くような父親だったそうですよ。

杉本宏之氏が中学2年生の時に母親が病に倒れますが、このとき既に末期の胃がんを患っており2か月後に母親は他界します。

母親はずっと働きづめだったようですので、自覚症状があっても病院さえ行くことが出来なかったのかもしれませんね。

また病院にかかるお金の工面さえ難しい環境にあったのかもしれません。

給食費も払えなかったという経済状況ですから、杉本宏之氏の母親にしたら自分のことは後回しするしかなかったのでしょうね。

母親が他界してから父親と二人暮らしとなりますが、定職にも就いていない父親との生活は生活保護に頼らざるを得なかったようです。

高校生になると杉本宏之氏はアルバイトを掛け持ちし、十分過ぎるくらいのお小遣いを稼げるようになり、好きな服を買ったりサーフィンをすることまで出来るようになりました。

しかし父親は相変わらず定職にはつかず、生活保護のお金を使い切ってしまい挙句の果てには杉本氏のバイト代を当てにするようになります。

この件で、杉本宏之氏は父親に激怒。

「いい加減に働けよ!」と喝を入れました。

父親は台所から包丁を持ち出し、「お前を殺して自分も死ぬ!」と反撃。

それに対して杉本宏之氏は「殺せるなら殺して見ろ!」と返したところ、父親は包丁を振りかざしてきました。

気が付くと杉本宏之氏の左手からは血が流れており、畳にも血が飛び散っていたそうです。

父親は涙を流しながらただ茫然と立ち尽くしていたそうです。

もはや修復不可能なほど荒んでいたようですね。

この出来事で杉本宏之氏は自らの力でこの生活から抜け出さないといけないと真剣に考えるきっかけとなりました。

当時の杉本宏之氏は不良グループの仲間入りをしており、勉強はそっちのけで成績もビリから2番目。

しかし将来を真剣に考えるようになり、不良グループとは一線を置き大学受験を目指すことを決意、死に物狂いで勉強に打ち込みます。

ざっとここまでが杉本宏之氏の高校生までのお生い立ちです。

とても穏やかでない日々に幼い頃の杉本宏之氏は、何度怯えた生活を送ったことでしょうか。

そこに頼れる母親の死。

定職に就かない父親。

「自らの力でこの生活を抜け出さないといけない。」と思うしか方法がないほど追い込まれていた杉本宏之氏の逆襲は、高校を卒業後に徐々に始まります。

次項より杉本宏之氏の学歴と経歴を紹介します。

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杉本宏之氏の学歴

最年少で上場を果たした杉本宏之氏。

上場企業の創設者というだけで高学歴が想像されますが、杉本宏之氏の学歴は一流大学とは無縁の学歴をお持ちでした。

杉本宏之氏の学歴がこちら。

  • 川崎市立川崎総合学科高等学校 情報工科卒業
  • 不動産関係の専門学校中退

杉本宏之氏が進学した高校は川崎市立の公立の川崎総合科学高等学校。

川崎総合学科高等学校は科学や工業系の専門的な分野が学べる高校で、杉本宏之氏が進学した情報工科は偏差値48とやや容易なレベルのようです。

ちなみにこの時期の杉本家は生活保護を受給していたため、奨学金で高校に進学されています。

中学から高校にかけて不良グループとつるんでいた杉本宏之氏。

所属していたグループは徐々に大きくなり気が付けば杉本宏之氏はグループでナンバー2の位置にいたそうですから、相当のワルでああったことやリーダー素質がこの頃から発揮されていたことが伺えますね。

父親との流血のケンカがきっかけで真剣に自分の将来を考え不良グループから脱退。

また、同じ時期にして不良グループの後輩がバイクで事故死をしていたことも相まってのグループ脱退でした。

当時、杉本宏之氏は「死ね死ね団」と言うバイクグループにも所属していたそうです。

いわゆる暴走族でしょうか?

それにしても、グループ名が「死ね死ね団」なんて聞いただけでも恐ろしいです!

不良グループから抜け出した杉本宏之氏は、大学受験を目指して死に物狂いで勉強に励みます。

しかし究極の貧困生活を送った杉本宏之氏にしたら大学4年間は途方もなく長く感じられました。

「もっと早く働いてお金を稼ぎたい!」と言う思いから大学進学は諦めます。

杉本宏之氏が選んだ進路はかつて父親がやっていた不動産業を学べる専門学校でした。

嫌と言うほど貧困を経験した父親の失敗した事業をなぜ杉本宏之氏は選んだのでしょうか?

杉本宏之氏は不動産関係の仕事を目指したことを「父親が不動産業で失敗したのが時代のせい。自分が不動産業で働くころには上向きになると確信していたから。」だそうです。

杉本宏之氏が進学した専門学校については不明ですが、入学してから約半年後に宅地建物取引主任者試験に合格。

宅地建物取引主任者の国家試験の合格率はわずか15パーセントだと言われています。

杉本宏之氏は資格取得と同時に専門学校を中退されています。

1997年不動産関係の専門学校を中退した杉本宏之氏は完全歩合制に引かれて投資用マンションを販売する不動産会社に就職をしています。

次項より杉本宏之の経歴について紹介します。

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杉本宏之氏の経歴

不動産関係の専門学校を宅地建物取引主任者の資格取得と同時に中退した杉本宏之氏。

専門学校卒業後の経歴がこちら。

  • 1997年: 株式会社東光マンションセンター入社
  • 22歳: 入社3年目でトップセールスマンに!(年収2000万円)
  • 24歳:(株)エスグラントコーポレーション立ち上げ
  • 28歳: 名古屋証券セントレックス市場不動産業界史上最年少で上場
  • 2008年: リーマンショックの影響で倒産
  • 2009年: 民事再生法適用
  • 2010年: (株)SYホールディングス(現シーラホールディングス)設立

完全歩合制の投資用マンション販売の会社に入社した杉本宏之氏入社から3年後の22歳という若さでトップセールスマンに上りつめています。

22歳にして年収2000万円って凄い世界ですね!

この頃の杉本宏之氏はオープン型のベンツに乗ったり恵比寿のマンションに住んだり、銀座のクラブに通い詰めるなど、本人曰く狂った生活を送られていたそうです。

その前に就職してからと言うもの、杉本氏の父親は杉本氏の給料を半分以上持ち出して蒸発してしまったそうです。

最後まで父親に裏切られたような感じですね。

24歳にして起業しますが2008年のリーマンショックの煽りを受けて400億円の負債を抱えて倒産に陥ってしまいます。

倒産した時に一番先に声を掛けてくれたのが、ホリエモンだそうですよ。

それから程なくして2010年に現在のシーラホールディングスとなるYSホールディングスを設立。

現在はグループ企業7社となり会社も大きく成長。

杉本宏之氏は会長として経営に携わっています。

杉本宏之氏の経歴を見ると何度転んでも起き上がれる強さが印象的ですね。

その核となるものはやはり幼い頃の極貧や荒んだ家庭環境、生い立ちが大きく影響しているのかもしれませんね。

また杉本宏之氏は起業したことについて、実は2001年9月11日のアメリカで起こった同時多発テロ事件の時に旅行でラスベガスに滞在していたことが大きな理由となっているようです。

一歩間違えば自分が犠牲者になっていてもおかしくない状態に、改めて命の儚さを感じたと言います。

この同時多発テロ事件によって、もっとやりたい事を先延ばしにすることに強い後悔をすることを危惧し、起業を決意したそうです。

杉本宏之氏はホリエモの他に、お金配りや宇宙滞在で話題の前澤友作氏とも親交があり、前澤氏とは特に親しいようで「友作」と名前を呼ぶ間柄。

前澤氏が宇宙に滞在した時も電話で会話をしたそうですよ。

杉本宏之氏は前澤友作氏と出会ってから慈部員の人生に彩りが加わったと語っています。

やはり大物には大物が引き寄せられるんですね。

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杉本宏之氏の結婚歴

波乱万丈の幼少期から学生時代を送ってきた杉本宏之氏。

社会人となり自立、起業するなど一見すると順調そうに見えますが私生活の恋愛や結婚に関しては順調とは言い難いようです。

杉本宏之氏は実は2度の結婚歴があるんですね。

2005年の杉本氏が27歳の頃に年下の一般女性と結婚されています。

2005年頃と家ば杉本氏が最初の会社を立ち上げた頃で、上場するなど仕事も順調に軌道に乗り出した頃。

杉本宏之氏は仕事でのストレスからか家の中では怒鳴ることが多く、穏やかな家庭環境は保てなかったようです。

奥さんの方から別れを切り出されたようで、当時2歳になる娘さんを連れて出ていってしまったそうです。

2回目の結婚は2011年。

お相手は韓国人の人気女優さん、オセジョンさん。

オセジョンさんとの間にもお子さんがいらしたそうです。

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出典:ツイッター

オセジョンさんは1975年2月27日生まれの女優さんで、映画に2本、ドラマ7本に出演する韓国の人気の女優さんでした。

オセジョンさんは杉本氏よりも2歳年上と言うことになりそうですが、色白でとても綺麗な方ですね。

杉本宏之氏のように財力を持っていると、どんな高貴な人にもご縁がもたらされるようなそんな気がしてしまいます。

オセジョンさんは杉本宏之氏の浮気を疑うようになり2016年頃には別居。

2018年に協議離婚が成立しています。

その後、杉本宏之氏と言えば女優の深田恭子さんとの熱愛が報道され、一躍有名になったのは記憶に新しいところですね。

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まとめ

実業家の杉本宏之氏の生い立ちや学歴、結婚歴と子供について紹介しました。

杉本宏之氏の自らの手で人生を変える力、見習いたいです。

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