2020年10月に宝島社主催の「このミステリーがすごい」で見事に大賞を受賞された新川帆立さん。
弁護士から見事に作家デビューを果たしました。
そんな新川帆立さんは、何やら凄い学歴や経歴をお持ちのようですね。
また新川帆立さんは結婚されて旦那さんもいるようです。
この記事では新川帆立さんの学歴と経歴、結婚した旦那さんについてまとめてあります。
新川帆立の高校
まずは新川帆立さんのプロフィールからご覧下さい。
- 本名: 非公開
- 生年月日: 1991年2月
- 出身地: アメリカ合衆国テキサス州ダラス生まれ 宮崎県育ち
- 身長: 166センチ
- 血液型: AB型
新川帆立さんは本名を非公でペンネームで執筆活動をされています。
2022年2月の誕生日で31歳となります。
父親の仕事の関係で出生地はアメリカテキサス州、生後6か月で父親の出身地である宮崎県に移り住んでおり、そこで中学生までを過ごしています。
新川帆立さんの学歴がこちらです。
- 宮崎大学教育学部付属中学校
- 茨城県立土浦第一高等学校
- 東京大学法学部
- 東京大学法科大学院修了
宮崎大学教育学部付属中学校の偏差値は44となっており、宮崎県内では難易度4位とハイレベルです。
実は新川帆立さんは宮崎県での暮らしがご自身の性格に合わなかったようです。
小学生の頃は勉強ばかりしていたそうで、周囲からは浮いている存在だったとのこと。
集団生活やあまりにも田舎であることに楽しさを感じられなかった言います。
中学時代に父親は茨城県に単身赴任をされていました。
その縁で高校受験は茨城県の進学校である県立の土浦第一高校を受験します。
茨城県立土浦一高は茨城県内でも1・2位を競うレベルの高さで、偏差値72となっています。
土浦一高の卒業生には相撲解説でお馴染みの能町みね子さんや柳生博さんらがいます。
九州の宮崎県に比べると茨城県は東京都に近いことから、とても都会に感じたそうです。
土浦一高時代の新川帆立さんはあらゆることにチャレンジしてみようと、囲碁部に所属し全国大会に出場するまでに実力をつけています。
囲碁部に入部していた時には、麻雀も覚えます。
そして麻雀の面白さにハマります。
この時、既に自分には囲碁よりも麻雀の方が向いていると分析。
また物理の国際物理オリンピックの国内予選にも参加。
17歳になった時に夏目漱石の吾輩は猫であるを読んで感銘を受け、自分もこんな小説が書きたいと思うようになり、この頃から小説家になりたいと思い始めます。
宮崎から茨城に移り住んで、思うように上手く行かない集団生活では自分の身の置き方で楽しくもなり、また集団が変わると上手くいかなくなったりと、色々と悩むところも多かったようです。
そんな生きずらさの悩みが吾輩は猫であるの登場人物の苦悩と自分が重なったことで、真の自分に向き合えるきっかけとなったそうです。
高校生の時点で小説家になりたいと考えていた新川帆立さん。
しかし、新川帆立さんの凄いところが冷静に世の中の流れを分析する力があり、高校生にして冷静な判断をしています。
と言うのも、小説家になりたいと思ってもすぐになれるわけではないこと。
売れるようになり自立できるようになるまでは時間がかかることなどを重々承知していたのです。
高校生くらいの時は若さの勢いで突っ走って行ってしまうこともありがちですが、新川帆立さんは冷静に判断し、まずは収入を得ることを前提として保険をかける感覚で職業に就くことを優先しているのです。
新川帆立さんは最初は医師を目指しており、東京大学医学部を受験するも不合格。
後期試験で合格し医学部以外への進学権を獲得し、弁護士資格の取得できる法学部へ進みます。
そして東京大学法科大学院を修了した年に24歳で見事に司法試験に合格されています。
司法試験に合格してから、司法修習中なら麻雀をやる時間が出来ると考えた新川帆立さんは、日本プロ麻雀協会のプロテストを受けて合格。
司法修習期間中の一年間だけ新川帆立さんはプロ麻雀士として活動されていた時期もあったのです。
プロ麻雀士として活動するなどやりたいことを本当に全部やりきってきたような新川帆立さんですね。
かなり羨ましくもあります。
ちなみにプロ麻雀士として活動した経験は、後に小説を書くときに非常に役立っているんですね。
それは、麻雀には我慢する大切な側面があるのだそう。
諦めない、折れない、ブレないメンタルで打ち続けなくてはならない局面があるそうです。
この諦めない、折れない、ブレないメンタルは麻雀で鍛えられたそうで、後に小説を書く時にもこのメンタで乗り切ることが出来る強さが役立っているようです。
何一つ無駄な経験なんてないんですね。
大学院を卒業されてからは大手法律事務所に勤務。
しかし、この法律事務所での勤務は残業が150時間以上のときもあり、あまりにも激務だったことで体調を崩してしまい、やむなく退職。
この時改めて新川帆立さんは弁護士は自分には向いていないことに気付きます。
0から何かを生み出す小説家の方が自分には向いていると改めて思ったそうです。
弁護士事務所を退職した新川帆立さんは、別の企業の法務部に転職します。
転職してからは時間にも余裕が出来ため温めてきた夢の小説を書く時間ができました。
新川帆立さんは本格的に小説を書くために、山村正夫記念小説講座に通い始めます。
この小説講座は新川帆立さんも尊敬している作家の宮部みゆきさんも通われていた講座なのだそう。
新川帆立さんが小説を書き出したのは27歳の時でした。
本当にバイタリティーに溢れた新川帆立さんのですね!
新川帆立さん曰く、東大受験も麻雀も弁護士の仕事も全て全力で取り組んできたそうです。
そして、もちろん小説も全てのエネルギーを注ぎたいと語っています。
もともとの優秀な頭脳は持ち合わせていたかもしれませんが、何事にも全力で取り組んできたという新川帆立さん、一見華やかにも見えますが陰ではかなりの努力を積み上げてきたようですね。
全力で取り組める何かがあることって本当に幸せなことであると思います。
惰性で流れるように時間を無駄に過ごすのではなく、私も新川帆立さんのように何事にも全力で取り組んでみようと改めて刺激を受けた次第です。
新川帆立の夫について
新川帆立さんは結婚されています。
結婚と言っても、籍は入れずに事実婚という形をとっているようです。
新川帆立さんの旦那さんは大学から弁護士の職場が同じだった方だそう。
つまり新川帆立さんの旦那さんはエリートということになりますね。
東大卒で弁護士の新川帆立さんの旦那さんですが、とても優しい方なのだそうですよ。
新川帆立さんが弁護士をしながら小説を書き続けてきたのも、この旦那さんの励ましがあったからこそなんですね。
新川帆立さんの旦那さんは新川さんの才能を誰よりも理解していることがよく伝わってきます。
新川帆立さんの夫は次のように述べています。
(帆立さんは)すごい才能があるから、作家として新しい世界を作るって普通の人が出来ないことの最もたること。
そいういうことを出来る人(帆立さんのこと)が、「小説やりたい」って言うんだから、是非応援したい。
と述べています。
帆立さんの一番近いところにいるから、帆立さんの才能を誰よりもい一番知っているのが旦那さんなのでしょうね。
そんな一番の理解者である新川帆立さんの旦那さんは、家事にはとても協力的で食事の支度や洗濯など家事の7割を夫が担当してくれているそうです。
新川帆立さん曰く、「旦那さんはガチャピンとムックのムックに似ている」のだそう。
小説を書いていると行き詰ったり悩むことも多々あるようですが、ガチャピンのムックを見ていると「こういう軽いままでいいのかな?」と救われるそうですが、旦那さんもそんな癒し系の雰囲気をお持ちのようです。
そんな癒し系の旦那さんは「森さん」という方らしいです。
家の中では「森くん」と呼んでいるそうですよ。
新川帆立さんの旦那さんは、新川さんが小説を書いて新人賞に応募してもなかなか一次審査も通らずに結果が出ない時にも励まし続け応援してきたそうです。
新川帆立さんが小説を書き続けてこられたのも旦那さんの存在が大きかったようですね。
最後に新川帆立さんは小説を書く時はなんとベットの上で書いているそうです。
ベットの上が一番リラックスできて頭が働くからなのだそう。
机に向かうことはとてもストレスなのだそうです。
そして、小説を書いている時間が一番大好きな時間だそうです。
新川帆立んさんは本当に小説を書くことが大好きなんだと思います。
現在は弁護士の活動を休止されており、小説に集中できる環境が整ったようですので作品をたくさん出版されてくることと思います。
まとめ
このミステリーがすごいで大賞を受賞し、小説家として一歩を踏み出した新川帆立さんの高校や大学、結婚された旦那さんについて紹介しました。
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