新庄剛志の生い立は極貧?父親と二人で叶えたプロ野球選手への道!

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あの新庄剛志氏が野球界に監督として戻ってきました!

新庄剛志監督の就任でプロ野球界も賑やかになりそうですね。

何をやっても注目される人、それが新庄剛志監督でもあります。

阪神タイガース時代は虎のプリンスともてはやされたこともありますが、新庄剛志監督の生い立ちはどのようだったのでしょうか?

また、出身地や学歴も気になりますね。

この記事では新庄剛志監督の生い立ちから学歴、家族構成についてまとめてあります。

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新庄剛志の生い立ち

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現役時代は虎のプリンスともてはやされた新庄剛志監督。

派手な出で立ちなどから生まれながらにしてセレブだったのでは?と思われますが、実は新庄剛志監督は決して裕福な家庭に生まれたわけではないんですね。

父親が導き努力してプロ野球界に入り活躍、自らの力でプリンスに這い上がったのが新庄剛志監督なのです。

新庄剛志監督は、福岡福岡市南区で造園業を営む家で育ちました。

生まれたのは母親の実家のある長崎県下県郡美津町(現在は対馬市)。

造園業を営んでいた父親はお酒が好きで喧嘩っぱやく破天荒な性格だったそうです。

破天荒な父親に対して、母親も負けずと気性の強い性格をしていたということですから、家庭の中は何やら穏やかではないことが容易に想像がつきますね。

新庄剛志監督の父親はお酒を飲んでは暴走族を見ると駆け寄り注意をすれば、逆にボコボコにされて帰ってきたり、時には朝まで飲んで帰ってきたりするような父親だったそうです。

夫婦喧嘩も絶えなかったようですが、母親も父親には負けておらず、父親に怒鳴られると包丁を持ち出すほどの気性の激しい母親だったそうです。

造園業を営んでいたということですが、お金には乏しかったようで新庄剛志監督が子供の時の野球のスパイクは買ってもらえずに、ゴム製の上履きをスパイク代わりに履いていたそうですよ。

もしかしたら造園業で稼いだお金は飲み代に消えていった可能性もありますね。

それでも、新庄剛志監督が野球を始めたきっかけは父親が野球選手になることが夢だったことから、自分の息子に野球を教えたことがはじまりなんですね。

新庄剛志監督が小学校1・2年生のときは町内のサッカーチームに所属。

小学2年生の頃から父親に野球を教えてもらうようになりますが、この当時から父親は息子に何が何でもプロ野球選手させたいと思って教え込んでいたようです。

小学校3年生でソフトボールから野球にのめり込みます。

当時「キャプテン」という漫画が流行っており、少なからずとも新庄剛志監督も漫画に影響を受けたそう。

新庄剛志監督は足の速さと方の強さは幼い頃からしっかりと身に付いていたそうで、小学校6年生になると大人よりもボールを遠くまで投げることが出来たというのですから、父親の教えも良かったのかもしれませんね。

また、小学校高学年になると、父親の造園業の手伝いも積極的に行っていたそうです。

しかし、、、新庄剛志監督の子供時代はかなり貧しかったようで、朝ごはんは無し。

学校の給食でお腹一杯食べて、夕ご飯はゆで卵一個という生活を強いられるくらい、今日食べるご飯にも困っていたそうですが、虎のプリンセス時代の新庄監督からは想像し難い事実ですね。

新庄剛志監督の生い立ちは福岡市で造園業を営む家に生まれ、破天荒な父親と気性の激しい母親の長男として裕福には程遠い生活を子供時代は過ごしていました。

しかし、新庄剛志監督がプロ野球の選手になれたことは、野球好きの父親がいてたからということは間違いないでしょう。

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新庄剛志の学歴

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決して裕福な家庭環境に育ったわけではない新庄剛志監督の学歴です。

  • 福岡市立長丘小学校
  • 福岡市立長丘中学校
  • 私立西日本短期大学付属高等学校

新庄剛志監督は小学校、中学校は地元の公立の学校に通われていました。

高校は父親の勧めで私立西日本短期大学付属高等学校に進学。

西日本短期大学付属高校には推薦ではなく一般試験を受けて進学しており、入学後は寮生活を送っています。

西日本短期大学付属高校の偏差値は38~51。

西日本短期大学付属高校は野球部の強豪校として有名で春夏合計6回の甲子園出場、1992年夏の甲子園では見事に優勝を飾っています。

新庄剛志監督は高校野球では甲子園出場の経験はないんですね。

新庄監督は高校3年生の時はエースで4番。

1989年の夏の福岡県大会では準優勝で、あと一歩甲子園出場には届きませんでした。

新庄剛志監督は父親の影響で高校の時からプロ野球選手になることを強く意識されていました。

夜中の一時までバットを振ったりと、陰でかなりの努力をされていたようです。

また息子に野球を教え込んだ父親は、高校に入学してからは仕事の合間縫って息子の野球の練習や試合を見に足を運んでいたそうですよ。

新庄剛志監督の父親は仕事で使う軍手を買うお金で、息子のために野球用のグローブを買ってあげていたそう。

新庄剛志監督は荒れた父親の手を見て父の愛情を目の当たりにし、更に野球に打ち込む活力になっていたようです。

決して穏やかな家庭環境だったかもしれませんが、父親と新庄監督の絆はとても深いものだった思われますね。

努力の甲斐あって1989年のドラフト会議で阪神タイガースから5位指名をうけ、プロ野球界入りを果たしています。

もし、指名がなければ九州産業大学に推薦入学が決まっていました。

西日本短期大学付属高校の卒業生のなかには、新庄剛志監督の他にもプロ野球選手やサッカー選手を輩出しています。

アスリートの他には女優の田中麗奈さんも同校の卒業生です。

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新庄剛志の家族構成

新庄剛志監督の家族構成です。

生い立ちのところで新庄剛志監督の両親に触れました。

破天荒な父親。

気性の激しい母親。

新庄剛志監督の兄弟は2歳年上のお姉さんとの二人兄弟です。

新庄剛志監督のお姉さんはスポーツ万能、偏差値76の高校でトップという成績もかなり優秀なお姉さんです。

新庄剛志監督のお姉さんは現在は筋委縮性側崇硬化症ALSという難病と闘っていることを、2020年4月16日放送の直撃シンソウ坂上SPで公表されました。

また新庄剛志監督をプロ野球選手に導いた父親は2011年に食道がんで亡くなられたそうです。

新庄剛志監督は2000年に女優の大河内志保さんと結婚されましたが、2007年に離婚。

大川内さんと新庄剛志監督の間にお子さんはいませんでした。

新庄剛志さんと大河内志保さんの結婚から離婚についてはこちらの記事で詳しく書かれています。

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まとめ

新庄剛志監督の生い立ちや学歴、家族構成を紹介しました。

派手なパフォーマンスからは想像し難いくらいの極貧な幼少期を過ごされたようですが、ひたすら野球に打ち込んで努力してつかんだプロ野球選手という職業。

今後もどんなパフォーマンスを披露してくれるのか、とても楽しみです!

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