少年院出身のアイドル戦慄かなのさんに注目が集まっています。
戦慄かなのさん、少年院上がりって一体何をしでかした?
少年院上がりと聞いただけで、すさんだ少女時代を過ごしてきたことが容易に想像つきますね。
今回は、少年院出身アイドルの戦慄かなのさんの生い立ちから少年院に入ることとなった理由は何なのかをまとめてみたいと思います。
戦慄かなのwiki風プロフィール
出典:ツイッター
それでは、戦慄かなのさんのプロフィールをwiki風に見ていきましょう。
本名:不明 姓は不明なのですが、名前は「かなの」だそうです。
生年月日:1998年9月8日(2019年21歳)
出身地:大阪府
身長:154センチ
体重:39キロ
所属グループ:ZOC(ゾック) メンバー6人のアイドルグループ
femme fatale(ファムファタール)実の妹と二人のユニット
戦慄かなのさんは、アイドルグループ「ZOC」のメンバーの一人として活動をしている傍ら、2018年10月には実の妹と二人のユニット「femme fatale」を結成し、作詞作曲から振り付けまで完全なセルフプロデュースで活動をしています。
また、2019年設立の子供の支援のNPO法人「bea」の代表理事を務めており、月に一度子供食堂などに寄付をするトークイベントにも参加をし、社会貢献活動にも力を注いでいるんですね。
まだ20代に前半という若さでありながら、過去の辛かった自分の経験を糧に今度は自分が支えられる側から支える側へと回った戦慄かなのさんの勇気ある行動にただただ感服するばかりです。
20代前半と言えば、まだまだ自分のことで精いっぱいと言うよりか自分しか見えていない年頃ではないでしょうか?
お洒落やメイクなどまだまだ自分にお金をかけたい年頃でもあるこの時期。
戦慄かなのさんは自分と同じ経験をしている子供たちのために温かい手を差し伸べる活動をされているんですね。
本当に素晴らしいと思います。
世間的に少年院出身と言うだけで、冷ややかな視線が注がれてしまいがちですが、戦慄かなのさんも出所してから現在に至るまでにはたくさんの葛藤があったかと思いますが、そこを乗り越えての社会貢献活動やアイドルグループでの活動など、本当に強い思いでここまで這い上がってきたのでしょうね。
真の意味で本当に強い女性なんだなと思います。
では、次項より戦慄かなのさんの幼少期の頃の生い立ちを見ていきましょう。
戦慄かなのの生い立ちは?
戦慄かなのさんが少年院に入るまでに一体何があたのか?
少年院に入るということの背景には、家庭環境が影響していることが安易に想像がつきます。
戦慄かなのさんもやはり例外ではなく、幼い頃からの家庭環境が徐々に非行への道を歩んでいったようです。
特に母親の影響が大きかったようですね。
戦慄かなのさんは、大阪で生まれ育ちました。
優しい父親と破天荒な母親と年子の妹という家族構成に育っています。
優しい父親と破天荒な母親。
戦慄かなのさんの父親はとても優しい父親で家事まで担っていたそうです。
そんな優しい父親の思い出について戦慄かなのさんは、いつも血を流しながら母親とのケンカで傷ついた家具を直している思い出が残っているそうです。
優しい父親は、母親からいつも暴力を受けていたようですね。
一般的には夫のDVで悩む妻が圧倒的に多いですが、戦慄かなのさんの両親は反対だたようです。
母が父親に暴力をふるっていたそうですから、かなり強烈なヒステリックな母親だったのではないでしょうか?
ほどなくして父親は母親の暴力に耐えられなくなったのか家を出ていき、戦慄かなのさんが小学校に入ると両親は離婚。
両親の離婚をきっかけに母親と妹と戦慄かなのさんは上京します。
戦慄かなのさんの東京での暮らしも荒んだものでした。
母親の育児放棄につらい子供時代を過ごします。
母親からの暴力も受けており、しゃもじで叩かれミミズばれになったこともあるそう。
そんな母親は男を作り、男との海外旅行で1週間も家を留守にする有様。
戦慄かなのさんと年子の妹は空腹を水道水でしのいだそうです。
戦慄かなのさんの母親は男がいないと生きていけない、そんなタイプの女性だったのでしょう。
まだ小学生の娘二人を残して男と海外旅行に出かけるなんて、そうそう出来ることではありませんし、一歩間違えば大事態につながってしまいます。
同じ子供を持つ母親からしたら子供をほったらかしにする事自体、信じがたいことです。
そんな戦慄かなのさんの母親にしたら、子供のために自分のやりたいことを犠牲にすること自体が信じがたいことなのかもしれませんね。
戦慄かなのさんの生い立ちは、優し過ぎる父親と破天荒な母親を両親に持ち、両親の離婚後は母親と妹と上京するも、母親の育児放棄によって決して平凡で温かい家庭とは程遠い子供時代を過ごしていたのでした。
戦慄かなのが少年院に入った理由は?
荒んだ子供時代を過ごした戦慄かなのさん。
中学校に入ると周りからイジメを受けます。
中学2年生の時の美術の時間に同級生から彫刻刀で刺され、授業中に校舎の3回から飛び降り自殺を図りました。
幸いにも手首の骨折でことは済みましたが、このことがきっかけで戦慄かなのさんは非行の道に進み始めます。
窃盗集団に加わり化粧品を万引き、また出会い系サイトで援助交際をしたり。
高校生となった戦慄かなのさんは、更に非行の道を突き進んでいきます。
約200人の女子高生を集めJK(女子高校生ビジネス)を始めます。
彼女たちの下着を売りまくり大金を稼いだり、出会い系サイトにも手を出しており何度も警察沙汰になり、学校にもバレてそのまま中退となります。
そんな非行に走っていた戦慄かなのさんが少年院に入るきっかけとなったのは、傷害事件でした。
当時、友人の彼氏から襲われそうになたところを、戦慄かなのさんは手の届くところにあったスミノフの空き瓶で友人の彼氏を殴って逃走しました。
すると後日、自宅に警察が現れ逮捕となったのです。
スミノフの瓶で殴られたこの友人の彼氏も彼氏ですね。
殴られるようなことをしておきながら警察に届けるなんて、これもまた問題です。
友人の彼氏を殴ったとして傷害事件で逮捕された戦慄かなのさんんですが、携帯電話に残された情報から過去の悪事も発覚し、2016年の冬、16歳で少年院送りとなったのです。
少年院での戦慄かなのさんもこれまた尋常ではなかったようです。
次項で少年院での戦慄かなのさんを見ていきましょう。
少年院での戦慄かなの
友人の彼氏を空き瓶で殴ったとされる傷害事件がきっかけで少年院送りとなった戦慄かなのさん。
少年院での戦慄かなのさんは、これまた問題児でした。
通常、初年院は10カ月で出られることが殆どだそうですが、戦慄かなのさんの場合は1年8ヵ月を少年院で過ごしています。
それだけ更生が認められなかったようですね。
監視カメラに向かってスリッパを投げつけたり、課題をやらずに課題の用紙をトイレに流しトイレを詰まらせたり、激しい反抗をして精神安定剤を打たれたりしたそうです。
そんな戦慄かなのさんですが、ある女性教官によって立ち直るきっかけをつかんだようです。
色々と反抗を繰り返していた戦慄かなのさんですが、ある時コップを壁にぶつけて割った時に、女性教官が椅子を振りかざしてきたそうです。
真っ向から戦慄かなのさんにぶつかっていった教官に対して「先生がそんなことをしていいのか。」と泣きながら講義したそうです。
しかし、この女性教官に対し本気で自分に向き合ってくれていると嬉しくなり、この教官をがっかりさせたくないと思うようになっっていったそうです。
「少年院を出た時に自分には何も残っていないのが一番悲しい」と思い、本を読み始め大学受験資格を取ることを目指しました。
2016年の春に少年院を無事に退所し、アルバイトをしながら大学受験を目指し、見事に私立大学の法学部に入学しています。
少年院での女性教官との出会いが戦慄かなのさんを更生させるきっかけとなったようですね。
戦慄かなのの大学はどこ?
少年院から大学受験資格を得るために猛勉強をして見事に私立大学の法学部に入学することが出来た戦慄かなのさん。
どこの大学を出たのでしょうか?
戦慄かなのさんが出た大学ははっきりと明かされていませんが、一部の情報では早稲田大学との情報も出回っているようですが、信憑性はありません。
ただ、戦慄かなのさんはこれまでにたくさんの資格を取得しています。
●危険物取扱者
●ワープロエクセル検定
●そろばん検定1級
●漢字検定準1級
●秘書検定
などなど。
戦慄かなのさんによると、漢字や英単語は見ているだけで暗記できるそうですよ。
もともと頭が良かったようですね。
ただ子供時代の家庭環境のために、かなり回り道をしてしまいました。
その周り道さえも糧に変えて、立派に更生された戦慄かなのさんの行動力は本当に素晴らしいと思います。
まとめ
少年院出身のアイドル、戦慄かなのさについて生い立ちから少年院に入るまでになった理由をまとめました。
戦慄かなのさんが非行に走るまでになった荒んだ家庭環境から、よくここまで見事に更生され立派に成長されたことは、たくさんの人に大きな勇気や希望をもたらすものと思います。
戦慄かなのさんのこれからの活動にも期待をしております。
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