大船渡高校の佐々木朗希選手に注目が集まっていますね。
2019年8月30日開催のU18ワールドカップの日本高校生代表の一次候補に選ばれており、2019年4月6日の奈良県での合宿中の実戦形式の試合ので、なんと球速163キロをマークしました。
佐々木朗希選手はあの大谷翔平選手を超す逸材と言われていますから、この先の活躍も目が離せませんね。
そんな素晴らしいスポーツ選手が出てくるととても知りたくなるのが、親ですよね。
こんな素晴らしい子供に育てた親はどんな親なんだろう?
特に父親の職業は一番気になるところです。
今回は、佐々木朗希選手の父親や家族について調べてみたのですが、実は佐々木朗希選手の父親は2011年の東日本大震災でお亡くなりになっていました。
佐々木朗希選手を思うと、このように家族に関してお伝えする記事は、当時を思い出させてしまい失礼にあたると思いためらいましたが、敢えてお伝えしようと思います。
それは、あの想像を絶するつらい震災の経験を乗り越えて頑張っている姿は、日本の宝だからです。
佐々木朗希選手が、あの未曾有の震災を乗り越えて野球に励んでいる姿は、今後たくさんの人の励みや勇気、エネルギーを与えるはずです。
なので今回敢えて佐々木朗希選手の父親や家族についてお伝えさせていただきます。
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佐々木朗希選手の父親
佐々木朗希選手の父親は佐々木功太さんで、岩手県陸前高田市在住でした。
陸前高田市と言えば、東大震災の被害が最もひどかった地域で、街一つが殆ど消えてしまった地区です。
佐々木朗希選手の父親項太さんは、残念ながら東日本大震災の犠牲者となってしまいました。
佐々木項太さん37歳、佐々木朗希選手は9歳で小学3年生の時でした。
父親の佐々木項太さんのご遺体が見つかったのは、震災発生から一週間後のことだったようです。
またこの震災では佐々木朗希選手の同居していた祖父母も犠牲となっており、祖父母のご遺体は現在も不明のままだそうです。
小学3年生の佐々木朗希選手は、どんなに不安な日々を過ごしたか言葉にはならないでしょうし、被災していない私からは想像以上の苦労、苦しみ、悲しみ怒り、やりきれない思いだったことと思います。
でもよくここまで立派に成長したなと、本当に立派ですね。
佐々木朗希の父親はどんな人?
佐々木朗希選手の父親は明るくて面白く、しかし叱るときはしっかりと怒る立派な父親だったようです。
また、自分のことよりも他人のことを考えて行動する、心優しい人格者だったようですよ。
またスノーボードやジェットスキーを楽しむなどアクティブな趣味を持っており、父親の背中につかまりジェットスキーを楽しんだこともいい思い出として残っているそうです。
息子さんたちが野球を始めるきっかけは、父親が勧めたわけではなく佐々木朗希選手のお兄さんが小学校3年生の時に、テレビで野球のアニメをやっており、それを観たお兄さんが野球に興味を持つようになって、地元のスポーツ少年団に入ったことがきっかけだそうです。
ちなみにこの当時の野球のアニメと言うと、週刊少年サンデーに連載されていた満田拓也さんの漫画「メジャー」かと思います。
休みの日には、父親とキャッチボールをしたり、兄弟が交代でピッチャーとバッターになり、父親はキャッチャーをして野球の練習をしていたようですよ。
理想の父親と息子の関係ですよね。
息子が生まれた時の父親の夢に、息子とのキャッチボールを挙げる父親って結構多いですよね。
なんかいいですよね、息子とキャッチボールをする父親の姿って理想的です!
佐々木朗希選手の父親の職業は?
有名なアスリートともなれば父親や母親の職業は、とても気になるところです。
佐々木朗希選手の父親の職業は、何をしていた方だったのでしょうか?
佐々木朗希選手の父親の職業は、葬儀屋さんにお勤めだったようです。
葬儀屋さんの勤務は時間が不規則だったため、東日本大震災の当日の朝は父親とは顔を合わせずにそのままとなってしまったようです。
佐々木朗希選手の父親の職業は、葬儀屋さんにお勤めのサラリーマンでした。
佐々木朗希の兄弟と母親は?
佐々木郎希選手は3人兄弟です。
佐々木朗希選手の兄は琉希さん、朗希選手よりもの3歳上で大学生で東北学院大学の教養学部に通っているそうです。
佐々木朗希選手のお兄さんの琉希さんも、大船渡高校出身で野球部のOBですが、4番を任されていたそうですよ。
琉希さんは震災で父親を亡くしてからは、自分がしっかりしなくてはと、弟たちには厳しく接していたそうですが、この兄から厳しくされたこで、朗希選手は負けず嫌いの性格が強くなり、野球でここまで注目されることに繋がっているのではと思っているそうです。
こちらが、佐々木朗希選手のお兄さんの琉希さん。
さわやかな大学生という印象ですね。
佐々木朗希選手の弟は怜希さん、母親は陽子さん。
弟と母親の詳しい情報はつかめませんでしたが、震災で大黒柱を失っても立派に3人の息子さんを育てられている陽子さんは、しっかりした女性だと想像がつきますね。
佐々木朗希プロフィール
最後に佐々木郎希選手のプロフィールをお伝えします。
佐々木朗希選手のプロフィール
生年月日:2001年11月3日
出身地:岩手県陸前高田市
身長:190センチ
体重:81キロ
右投げ右打ち
ストレート、チェンジアップ、スライダー、フォークの球種を投げらまれすが、得意なのはストレート。
また50メートル5秒9の俊足で、投げるだけでなく足も活かせる選手です!
身長が190センチでかなりの長身ですね。
またスッキリとした顔立ちが印象的です。
佐々木朗希選手の出身校
佐々木朗希選手は、震災の前は岩手県陸前高田市に住んでいましたが、震災後は岩手県大船渡市に移り住んでいます。
佐々木朗希選手の出身校です。
陸前高田市立高田小学校 (3年生で東日大震災)
大船渡市立猪川小学校 (震災後に転入)
大船渡市立第一中学校
岩手県立大船渡高等学校
佐々木朗希選手が野球を始めたのは小学3年生の時だったようです。
3歳上のお兄さんの影響で自然な流れで野球を始めたようですね。
大船渡第一中学校の3年生の時にオール気仙沼のチームに選出され、KB東北大会で準優勝をしおり、メキメキと才覚を現していったようです。
佐々木朗希選手と大阪桐蔭高校
佐々木朗希選手をインターネットで検索をかけると、大阪桐蔭高校が上がってきます。
これは、佐々木朗希選手が高校進学の時に、大阪桐蔭高校からお声が掛かったようです。
しかし佐々木朗希選手は大阪桐蔭高校をお断りをして、地元の県立高校大船渡高校に進学されています。
佐々木朗希選手が、大阪桐蔭高校のお誘いをお断りした理由がまた素晴らしく、
中学時代から一緒にプレーしている同級生と一緒にプレーしたかった
という理由で地元の県立大船渡高校で野球をすることを選んだそうですよ。
感動的なエピソードですね。
昨今の甲子園の常連校は私立高校が名を連ねています。
またその甲子園常連校の野球部の選手は、殆どが地元の生徒よりも県外からの生徒が多いこともあるかと思います。
野球でプロを目指している生徒は、お目当ての高校やお目当ての監督のいる高校を選んで進学されていると思いますが、甲子園の常連校からのお誘いを断り、地元の仲間たちと野球をすることを選んだ佐々木朗希選手の地に足の着いた浮つかない性格もまた好感が持てますね。
もしかしたら母親の負担へ考慮も片隅にあったのかもせれませんが、地元の県立高校に進学してもしっかりと結果を出されているところが本当に素晴らしいです。
佐々木朗希の夏終わる
こちらは2019年7月25日の岩手大会決勝戦の後の追記となります。
大船渡高校は順調に一戦一戦勝ち上がり見事に決勝戦まで勝ち進みましたが、佐々木朗希選手が決勝戦に登板することはありませんでした。
応援しているファンの方には「あの時佐々木朗希選手を出していたら、、、。」という思いもこみあげてきたかたも多いと思います。
正直、私も決勝戦での佐々木朗希選手をとても楽しみにしていた一人です。
速報が気になり、ネットで「佐々木はベンチスタート」と見た時に自分の目を疑いました。
スポーツに限ったことではありませんが、「あの時、、、してたら。」または「あの時、、、してれば。」。
ゴルフなどでも「あの一打が入っていれば、、、、」なんてよくあることですよね。
今回の決勝戦でも「佐々木朗希選手が投げていれば、、、。」ファンの欲望を言ってしまうとそんな思いが先走りしてしまいます。
でも大船渡高校の監督の選択が勇気ある決断でありました。
この監督の決断が今後の佐々木朗希選手にとって大きなプラスになることを期待しております。
また、佐々木朗希選手がインタビューで「大船渡高校を選んで良かった。」とも言っておりました。
素晴らしい仲間と高校3年間を過ごせたことは佐々木朗希選手にとって何にも代えがたい有意義な時間だったことと思います。
是非、大船渡高校の仲間との3年間を大切に今後の活躍を期待しております。
佐々木郎希父親震災のまとめ
今回は、大船渡高校の佐々木朗希選手の父親や兄弟、母親について気になることをまとめてみました。
佐々木朗希選手の父親と祖父母は、東日日本大震災で残念ながら犠牲となってしまっていました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
佐々木朗希選手のここまで立派に成長された姿を見られなかったことは、本当に無念でしょうが、その辛さを乗り越えての活躍に感動させてもらってます。
今年は、佐々木朗希選手にとって高校生活最後の一年となりますね。
地元の同級生と素晴らしい夏をお過ごし下さい!
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