酒井法子さんが麻薬取締法違反で逮捕されてから早いもので10年が経とうとしています。
酒井法子さんと言えば清純派アイドルとして清楚なイメージが強かったのですが、2009年に元夫の高相祐一さんと一緒に薬物事件で逮捕されてから、一瞬にして清楚なイメージが崩れ落ちてしましました。
酒井法子さんが薬物に手を染めるようになってしまった背景には、夫の高相祐一さんの悪影響が関係しているように感じますが、元を辿れば酒井法子さんの母親と父親の影響が一番響いているということがわかります。
酒井法子さんは生まれてすぐに、母親に捨てられたとうあまりにも現実離れした生い立ちがあるようです。
今回は、酒井法子さんの母親と父親との複雑な関係や生い立ちについてお伝えします。
酒井法子さんのドラマの世界のような生い立ちを見ていきましょう。
酒井法子の生い立ち
それでは酒井法子さんの生い立ちから見ていきましょう。
酒井法子さんは、生まれながらにして壮絶な人生を歩んでいるようです。
酒井法子の実母
酒井法子さんは、1971年2月14日に福岡市で誕生。
なんとこの時、既に父親は覚醒剤所持で獄中にいました。
生まれながらにしてこの展開、この先どんなドラマが待ち受けているのか、本当にドラマの世界のようです。
酒井法子さんの実の母は、乳飲み子を抱えて夫は刑務所の中という環境にどうしていいかわからなっかったのか、なんと酒井法子さんを置き去りにして若い男と駆け落ちをして蒸発してしましいます。
そもそも乳飲み子を置き去りにして若い男と駆け落ちとなると、ただ単に男がいなければ生きていけないような女性だったのかもしれません。
乳飲み子を置いて男と駆け落ちするくらいですから、相当男好きだったともとれます。
母親というのは、何よりわが子が愛おしく、一番守るべき命で何より優先して育てていくことに懸命になるかと思いますが、酒井法子さんの母親はそうではなかったようですね。
酒井法子さんの母は、法子さんが乳飲み子だった時に、夫の実家のある佐賀県の山奥にあるお寺に置き去りにしました。
極端に言ってしまうと捨て子のような状態でしょうか?
酒井法子さんは、実の母とは生まれてすぐに生き別れと言うより、捨てられてしまったのです。
なんとも同情するなんて簡単に言えないような壮絶すぎる酒井法子さんの生い立ちに、涙が出そうです。
酒井法子さんの実母ですが、法子さんが4歳の時に死亡していますが、死因はなんと自殺に見せかけられた他殺だったと結論付けされていると言うのですから驚きです。
この実母の死亡の件は、酒井法子さんは後に知ることになります。
なんとも闇に包まれた家庭環境ですね。
酒井法子二人目の母
生まれてすぐにお寺に置き去りにされてしまった酒井法子さんは、父の妹、つまり叔母が引き取り埼玉県の狭山市で育ちます。
狭山市の小学校では、叔母の性を名乗っていたようです。
同級生の間では、酒井法子さんの印象を「お転婆で目立つ存在だった。」と言われていたようですが、周囲には家庭環境のことはあまり話さなかったようです。
また先生は、「父親の仕事の関係で転校した。」と説明していたようですね。
酒井法子さんは、この叔母のことを7歳まで本当のお母さんだと思って慕っていたようですが、赤ちゃんの頃の記憶にない時に母に捨てられ、叔母に引き取られたということですが、幼い頃にこの叔母を母親と思い過ごしていた時期が、酒井法子さんにとって一番家庭的な時間を過ごした時期だったかもしれませんね。
酒井法子3人目の母
酒井法子さんが7歳の時に父親は再婚をします。
この時の継母が3人目の母となります。
この父の再婚を機会に、酒井法子さんをずっと育てた叔母は、法子さんに真実を継げます。
父親は法子さんを引き取りたいと言っている、本当の母ではないことを継げます。
7歳の酒井法子さんは真実を告げられても、半信半疑でしたでしょうね。
本当にこんな幼い頃から身の狭い思いと言うか、悲しく辛い思いをされてきたんですね。
しかし後に、父は離婚をしています。
酒井法子4人目の母
酒井法子さんが小学校6年生の3学期に父は3度目の再婚をします。
この継母が4人目の母となります。
父の3度目の再婚を機に酒井法子さんは福岡県に戻ります。
中学校は福岡市立舞鶴中学校に通っていたようですが、幾度の転校にもめげずに酒井法子さんは気丈に中学校生活を送っていたようです。
こちらの中学校で、酒井法子さんはソフトボール部に所属し3年生の時には9番レフトで県大会準優勝に輝いています。
埼玉の小学校時代の同級生からの印象でお転婆との印象があったようですが、さすが運動神経も良かったようですね。
父親の結婚、離婚に振り回されながらも、中学時代はグレることなく部活に熱中し、県大会準優勝とう素晴らしい実績にも貢献するなど、酒井法子さんにとって充実な中学時代を過ごせたようですね。
中学生と言えが思春期で一番難しい年頃かと思いますが、まっすぐに成長したのは継母がしっかり支えたからなのかもしれません。
この継母とは現在も親子関係にあり、酒井法子さんが後々引き起こす薬物事件での逃亡を影で支えていたと言われています。
そして酒井法子さんは、14歳で芸能界のオーディションを受けデビューするのですが、この継母が酒井法子さんを芸能界デビューを促したと言われているようです。
酒井法子さんの父親がこの方と再婚しなければ、酒井法子さんは芸能界に入ることもなかったかもしれませんね。
継母からしたら、見る目があったと言うか夢が叶ったと言うか、思い通りに行ったと目論んでいるかもしれません。
そうそう芸能人になれるものではありませんし、なれたとしても売れるとも限りません。
そんな世界で酒井法子さんは、見事にアイドルとなり頂点まで駆け上がったということは壮絶な生い立ちと一緒に、芸能人としての素質も持ち合わせていたのでしょうね。
酒井法子の父
酒井法子さんの生い立ちをこんなにも壮絶で悲観的にした父親ですが、どんな方だったのでしょうか?
散々結婚と離婚を繰り返してきた父親。
酒井法子さんの父親は、酒井三根城さん。
暴力団関係の方だったようですが、酒井法子さんが芸能界に入ったことをきっかけに足を洗っているようです。
その後は山梨県で闇金融業をしていたようです。
暴力団から足を洗ったということですが、闇ですよ、闇。
なんとも怪しいところです。
しかし、1989年(平成5年)酒井法子さんが18歳の時に、山梨県大月市の高速道路で事故で亡くなっています。
この事故では、自爆自死とも言われ、実母の死と同様に闇に包まれながら酒井法子さんの父親はこの世を去ったようです。
この時、酒井法子さんはアイドルとして人気絶頂期でしたね。
またこの複雑な家庭環境のことは、酒井法子さんの事務所のスタッフには伏せていたみたいです。
自分の壮絶な生い立ちやコロコロ変わる家庭環境を誰にも言えずに、じっと自分の中に秘めていたかと思うと、気の休まるところがないというか、気苦労が絶えなかったですね。
後に酒井法子さんは、いつも父親と大人の顔色を伺って生きていたと打ち明けていますが、その経験が芸能界で生きていく上で糧になっていたと語っています。
自分の気苦労を糧にしてしまう程の強さをお持ちの酒井法子さんですから、この先もどんどん突き進まれることと思います。
まとめ
今回は、酒井法子さんの壮絶な生い立ちと父と母について調べてきました。
あの清楚な可愛い酒井法子さんからは想像も出来ないような生い立ちを背負っていたのですね。
2009年の薬物事件からすっかりイメージダウンしてしまった感は拒めませんが、これまでの壮絶な生い立ちの中で、頑張ってこられた酒井法子さんですので、かならずまた見事に芸能界復帰することと思います。
今後の酒井法子さんを楽しみにしております。
酒井法子さんの薬物事件逃亡から現在までの様子はこちらです。
酒井法子の逃走中の様子から現在はどうしてる?介護の仕事や息子は?
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