プーチン大統領の生い立ちが怖い?両親は工場勤務で兄と生前に死別?

政治家
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ロシアのプーチン大統領について謎に包まれた部分が多いですね。

その謎がなんとも不気味さと恐ろしくも感じてしまいます。

独裁者としてのイメージが強いプーチン大統領ですが、どんな生い立ちをお持ちなのでしょうか?

この記事ではプーチン大統領の生い立ちについてまとめてあります。

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プーチン大統領の生い立ち

それではプーチン大統領のプロフィールからご覧ください。

  • 本名: ウラジーミル・プーチン
  • 生年月日: 1952年10月7日(2022年で70歳)
  • 出身地: ロシア レニングラード
  • 学歴: レニングラード大学法学部卒業

プーチン大統領は2022年で70歳となります。

プーチン大統領の父親は海軍に徴兵された後に機械技師として工場で働いていたそうです。

母親も工場の雑用をしながら懸命に働いていたとのこと。

父親は熱心な共産党員で母親は信仰深い優しい女性だったそうです。

プーチン大統領には二人の兄がいましたが、一番目の兄は幼少期に病気で亡くなっており、2番目の兄はジフテリアが原因で亡くなっています。

プーチン大統領が誕生した時に既に二人の兄は亡くなっていたと言います。

プーチン大統領は一人っ子として工場労働者の両親によって育てられていました。

その生活というのは荒んでおり、母親は餓死寸前なまでに生活が困窮していたそうです。

当時のロシアはドイツに襲撃され240万人の人口が100万人までに減ってしまい、その多くが餓死だったと伝えられています。

プーチン大統領の家族はレニングラードの共同アパートで生活をしており、かなり貧困の状態だったと後にプーチン大統領自身が述べています。

一人っ子で育ったプーチン大統領の小学生時代は遅刻の常習犯、喧嘩っ早く問題児の不良少年だったと自身でも認めています。

しかし不良少年だったプーチン大統領は頭の回転が早く物事の覚えもよく、文武両道に秀でていたと言われています。

小学高学年になるとプーチン大統領は柔道を始めます。

柔道の腕前はみるみると上達。

後に柔道以外の格闘技、テコンドーや空手の普及に貢献されています。

プーチン大統領の生い立ちは、工場の労働者の父親と母親の間に誕生し、生まれる前に二人の兄を亡くしており一人っ子として育っていました。

また不良だった少年時代もあり、なんとなくですがその不良時代のプーチン大統領の性格はずっとプーチン大統領の中に温存されていたようにも思えてなりません。

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プーチン大統領の経歴

プーチン大統領は中学生から高校生にかけてマンガや小説の影響からスパイに憧れています。

プーチン大統領が16歳の時に国家保安委員会(KGB)の本部に出向いて、スパイとして働きたいとこを伝えます。

しかし、その時点では採用はしていませんでした。

スパイというと何となくいいイメージが沸いてきませんが、ロシアでは正義の味方という捉え方をしていたようですね。

国家保安委員会で働くためには法学部に進学するのが有利と考えたプーチン大統領は、レニングラード大学の法学部に進学。

大学卒業後に国家保安委員会レニングラード支部事務局に就職が決まります。

自ら行動を起こし、夢を実現しているプーチン大統領。

プーチン大統領は国家保安委員会で勤務をしながら、母校のレニングラード大学の学長補佐官も兼任。

スパイになる夢を実現したプーチン大統領は国家保安委員会で経験を積む中、1983年7月28日にリュドミラ夫人と結婚。

1985年には第一子の長女が誕生します。

そして翌年1986年に第二子となる次女が誕生しますが、この時プーチン大統領はKGBの任命で一家揃ってドイツに赴任していました。

1996年にモスクワに帰国しますが、ドイツに赴任していた期間でプーチン大統領はベルリンの壁崩壊を目の当たりに。

1991年にはソビエト連邦の崩壊を経験していました。

プーチン大統領はソビエト連邦崩壊は西側の人のせいとの思い込みを長年に渡って恨みを持ち続けてきたとも言われているようです。

プーチン大統領は国家保安委員会の勤務を経て、レニングラード市長のサブチャーク氏の影の実力者として市長を支えるポジションに就いています。

この時プーチン大統領は市長よりも実権を持っていたと言われ、この頃から既にあらゆる実力や権力を握ってきたようで手腕を振るってこいたようです。

プーチン大統領は色々な経歴を経てやがてロシア大統領の代行に任命されます。

後にエリツィン大統領が健康面の理由によって大統領を辞任すると、そのままプーチン大統領が第2第ロシア大統領に就任。

2000年プーチン大統領が47歳の時のことでした。

その後、プーチン大統領は国民から高い支持を集め、一時は90パーセント近くにも上る支持率を集めていました。

●2009年: 63パーセント

●2018年: 82パーセント

この高い支持率からロシア国民からのプーチン大統領の人気ぶりが伺えます。

プーチン大統領の経歴は国家保安委員会でのスパイから大学長補佐官、レニングラード市長の影の実力者などを経て、第2代目のロシアの大統領に就任されていました。

このようプーチン大統領の経歴を拝見すると、有言実行と言った強い性格が見て取れます。

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プーチン大統領が怖い

プーチン大統領について殆どの方が、何か恐ろしい感じを持っているのではないでしょうか。

実際にテレビのコメンテーターの意見を聞いてみても、ただならぬプーチン大統領の性格が垣間見えてきます。

プーチン大統領についての人柄をザっとまとめてみると、

●必ず復讐を遂げる人

●ソビエト連邦崩壊に対して強い復讐感を抱いている

●約30年間抱いていた復讐を今実行しようとしている

なんとも恐ろしいプーチン大統領ですが、裏を返せば愛国心が強いということに繋がるのでしょうか。

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まとめ

プーチン大統領の生い立ちについて紹介しました。

幼少期を貧しい家庭環境で育ったことが現在のプーチン大統領にの生き方に大きく影響しているのでしょうか。

プーチン大統領の新体操選手の愛人事実婚説についてはこちらの記事で詳しく紹介しています。

プーチン大統領のお嫁さんや娘さんについてはこちらの記事で詳しく書かれています。

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