メジャーリーグで二刀流として大活躍中の大谷翔平選手。
現在の大谷翔平選手の活躍は日を追うごとに新記録の樹立と目まぐるしい成長を遂げています。
そんな世界で活躍する大谷翔平選手ですが高校時代の成績を調べてみる意外なことが分かりました。
そこで、この記事では大谷翔平選手の高校時代の成績や甲子園出場についてまとめています。
大谷翔平選手の高校時代の成績
今では二刀流でアメリカメジャーリーグで大活躍の大谷翔平選手。
現在の活躍は誰もが知る限りですが、高校時代の大谷翔平選手の活躍はどうだったのでしょうか?
早速、大谷翔平選手の高校時代の成績を振り返って見ましょう。
大谷翔平選手の進学した高校は花巻東高等学校。
岩手県花巻市にある私立の高校で、偏差値は42~49となっています。
大谷翔平選手は花巻東高校のアスリート特進コースに進学し卒業されています。
花巻東高校の卒業生の有名人は2022年8月時点で大谷翔平選手や菊池雄星選手を含めて7人いますが、7人とも現役または元のプロ野球選手です。
花巻東高校は野球の強豪校として有名ですが、花巻東高校の野球部はOBの知り合いからの推薦若しくは兄弟でなければ県外選手は取っていないということでも他の強豪校とは少し違ったところが特徴的です。
大谷翔平選手は岩手県奥州市(旧水沢市)の出身で、菊池雄星選手に憧れて花巻東高校に進学します。
花巻東高校に進学した大谷翔平選手は一年生の春に4番右翼者として先発メンバー入りし、一年生の秋からエースとして活躍されています。
これは、花巻東高校の佐々木洋監督の指導方針で、高校に進学したばかりの頃の大谷翔平選手は骨がまだ成長段階であったことを考慮して、一年生のなるまではや野手としてプレイさせ、ゆっくりと成長の階段を上らせるなど見守りながら指導に当たっていたからです。
大谷翔平選手の高校時代は2度甲子園に出場しています。
一度目は2011年、大谷翔平選手が高校2年生の時に夏の甲子園に出場。
2度目は2012年の春の選抜に出場しています。
高校3年生の最後の夏は、惜しくも岩手県大会決勝で盛岡大学付属高校に敗れてあと一歩のところで甲子園出場は果たせませんでした。
この岩手県大会の決勝ではホームランかファールボールが際どい打球だったのですが、ホームランと判断され惜しくも敗れています。
後にこのホームランかファウルかの紙一重の診断を巡っては「誤診説」の浮上したほど、際どい打球だったのです。
この時の際どいホームランを大谷翔平選手から放ったのは盛岡大付属高校の4番打者の二橋大地選手。
二橋大地選手は高校卒業後に大学に進学し、現在は三菱日立パワーシステムズに所属し社会人野球選手として活躍されています。
「大谷翔平キラー」の異名もお持ちです。
この紙一重の審判に当時はクレームも殺到したと言います。
二橋大地選手は後に「あれはホームランです。」と堂々と胸を張って述べています。
潔い二橋大地選手の姿も堂々として素晴らしいと思います。
大谷翔平選手にとっても最後の夏を甲子園で終えられなかったこといは、大変に無念であったことと思います。
大谷翔平選手だけでなく、全ての高校球児にとってはやはり高校3年生の夏の大会というのは特別な大会であり集大成であり、終わりがくるからこそ観客は感動を与えられるのだと思います。
そんな高校野球が私は大好きです。
高校通算成績
ここで大谷翔平選手の高校通算の成績を見てみましょう。
大谷翔平選手は高校通算で56本のホームランを放っています。
高校通算ホームラン数の歴代一位は111本の清宮幸太郎選手。
松井秀喜選手は60本となっています。
大谷翔平選手の高校時代は怪我が原因で投手として出場する機会は多くはありませでした。
圧倒的に外野手として出場する機会の方が多かったのです。
それでも投手として高校3年生の夏の岩手県大会の準決勝で一ノ関学院高校対戦では、アマチュア野球史上初の球速160Kを記録し、注目を集めました。
大谷翔平選手の高校時代の球速がこちら。
高校一年生: 147㎞/h
高校2年生: 151㎞/h
高校3年生: 160㎞/h
高校3年間で着実に球速が上がっています。
大谷翔平選手は、日本のプロ野球界は勿論のことメジャー球団からも注目される存在となっていったのです。
甲子園通算成績
では大谷翔平選手の甲子園での通算成績を見てみまよう。
大谷翔平選手が甲子園出場を果たしたのは高校2年生の夏と3年生に進学する直前の春の選抜に出場しています。
まずは投手としての成績がこちら。
14イニングに登板
防御率3.77
16奪三振
打者としての成績がこちら。
2試合出場
打率333
1本塁打
大谷翔平選手が初めて甲子園に出場した2011年8月高校2年生の夏の大会は、一回戦帝京高校と対戦。
大谷翔平選手の先発は回避され、外野手として出場。
途中でリリーフとして登板するも序盤の失点が響き惜しくも7-8で敗退となっています。
高校3年生になる直前の2012年3月の春の選抜が2度目の甲子園出場となった大谷翔平選手。
一回戦での対戦相手となったのは、後に優勝校となった大阪桐蔭高校でした。
この時の大阪桐蔭高校のエースは現在阪神タイガースで活躍する藤浪晋太郎選手。
藤浪晋太郎選手と大谷翔平選手は同期だったんですね。
先発出場した大谷翔平選手は5回までは2安打無失点6奪三振と好投し、打者としても相手チームのエース藤浪晋太郎選手からもホームランを放つなど検討します。
しかし終わってみると8回2/3を投げて、11四死球を与えてしまい9失点、このうちの5点は大谷翔平選手の自責点となり初戦敗退を喫しています。
現在振り返ってみると、大谷翔平選手もこのような不本意な試合を経験されていました。
まさか11四死球も与えていたとは今の大谷翔平選手からは想像も出来ません。
当時を振り返ってみると、大阪桐蔭高校のエース藤浪晋太郎選手の方が大谷翔平選手よりも高い評価を受けていたのです。
そして、プロ入り直後も藤浪晋太郎選手の方が頭一つリードしていました。
次項より、プロ入り後の大谷翔平選手を見ていきましょう。
プロ入り後の大谷翔平
2012年のドラフト会議で日本ハムファイターズから1位指名を受けた大谷翔平選手。
実は、大谷翔平選手は当初からメジャーリーグでプレイすることを望んでいました。
しかし、日本ハムファイターズ側の強行指名で日本ハムファイターズに入団することを決意。
一方、大阪桐蔭高校のエース藤浪晋太郎選手は阪神タイガース、オリックス、千葉ロッテマリーンズ、ヤクルトスワローズから一位指名で、最終的に阪神タイガースに入団。
藤浪晋太郎選手はプロ入り一年目にしていきなり二桁勝利を上げるなど、大谷翔平選手よりも一歩も二歩も先を行っていました。
また当時、日本ハムで活躍する大谷翔平選手に対しては「プロでは二刀流は無理」との声が多く聞かれました。
しかし、プロ入り後の大谷翔平選手は一年目こそ藤浪晋太郎選手に引けをとっていましたが、徐々に盛り返し、2014年には二刀流で活躍し11勝利10本塁打と日本野球界初の2桁勝利2桁本塁打を記録。
2016年には投手と指名打者の両部門でベストナイン賞のダブル受賞を獲得。
このダブル受賞も日本野球界初の記録。
同時にこの年は日本プロ野球界史上最速の165㎞/hを記録しています。
そして2018年に活躍の場をアメリカメジャーリーグ、ロサンゼルス・エンゼルスに移し、ここから大谷翔平選手のショータイムが幕空けていくのでした。
こうして振り返ってみると、スロースターターと言った部分もあったような印象を受けますが、焦らずに地道に野球を向き合ってきた大谷翔平選手の姿が改めて垣間見えたように感じます。
今後も更なる活躍を成し遂げていくことでしょう。
まとめ
大谷翔平選手の高校時代の成績を振り返ってみました。
今後の更なる活躍が楽しみです。
最後までお読み下さりありがとうございます。
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