息子さんをお持ちの母親にしたら大谷翔平選手の母親をとても羨ましく感じた人も多いかと思います。
大谷翔平選手の非の打ち所のない素晴らしい人柄に、どうやったらあんなにいい息子さんが育つのか気になるところでもあります。
そんな大谷翔平選手を育てた母親はどんな方なのでしょうか。
この記事では大谷翔平選手の母親について実家や経歴を中心に紹介しています。
大谷翔平の母親の実家について
大谷翔平選手の出身地と言えば言わずとも知れた岩手県ですが、大谷翔平選手の母親の実家は神奈川県横浜市なんですね。
大谷翔平選手の母親も岩手県の出身かと思っていたのですが、実は横浜市出身で都会育ちでした。
大谷翔平選手は3人兄弟の末っ子ですが、お兄さんとお姉さんは横浜で生まれており、一家で岩手県に移り住んでから大谷翔平選手が誕生しています。
ずっと横浜で暮らしてきた大谷翔平選手の母親にしたら、慣れない田舎での生活はどのようだったのでしょうか?
ちょっと派手な女性でしたら恐らくですが、田舎での生活には耐え難いものがあることとと思います。
しかし大谷翔平選手の母親は田舎での生活にも上手く順応されており、3人の子供をしっかりと育てています。
そんなところからも、大谷翔平選手の母親はしっかり者の女性であることが分かりますね。
大谷翔平選手の母親について詳細をみていきましょう。
まずはプロフィールからです。
大谷可代子(おおたに かよこ)
- 生年月日: 1963年(2022年で59歳)
- 出身地: 神奈川県横浜市旭区鶴ヶ峰
- 身長: 170センチ
- 学歴: 神奈川県立横浜立野高等学校
- 職歴: 三菱重工横浜製作所
大谷翔平選手の母親は可代子さん。
2022年で59歳です。
大谷翔平選手の出身地は横浜市の旭区鶴ヶ峰とのこと。
翔平選手が幼い頃に実家に里帰りした際は、実家近くの鶴ヶ峰稲荷神社を訪れていたそうですよ。
可代子さんは三姉妹の真ん中だそうです。
身長も170センチもあり、この当時の女性としてはかなり身長が高ったですね。
大谷翔平選手の身長の高さもしっかりと遺伝されているようです。
また、可代子さんの父親(翔平選手の祖父)は、中学の時に野球をやっており、エースで4番だったそうですよ。
翔平選手の二刀流もご先祖さまからの遺伝もあるようです。
大谷翔平選手の母親の可代子さんは元実業団のバトミントンの選手で、国体にも出場する程の実力の持ち主でした。
可代子さんは実家の近くのバトミントンクラブで募集をしていたことから、小学5年生でバトミントンを始めています。
可代子さんはバトミントンの強豪校として有名な神奈川県立横浜立野高等学校に進学。
インターハイの出場経験もあり、団体女子の部で準優勝を果たすなどチームに大きく貢献されています。
現在、スポーツジャーナリストとして活躍されている元バトミントン選手の陣内貴美子さんとは何度か対戦したことがあるそうです。
可代子さんは、全国トプレベルの選手として活躍されていたようですね。
高校卒後の進路は三菱重工横浜製作所のバトミントンの実業団に所属。
三菱重工横浜製作所では勤労部安全衛生安全保安課に所属し勤務する傍らで、バトミントンの練習に励んでいました。
しかし、三菱重工横浜製作所ではバトミントン部にはあまり力を入れていなかったようで、練習は平日2日と週末のみだったそうです。
三菱重工横浜製作所が最も力を入れていたのは野球の実業団だったんですね。
三菱重工横浜製作所の野球の実業団チームには大谷翔平選手の父親の徹さんが所属していました。
新入社員は野球の応援団になることが暗黙の了解となっていたそうで、壮行会や団結式には必ず出席しなければならないルールがあったそうです。
大谷翔平選手の父親は可代子さんよりも一学年上でした。
可代子さんが新入社員として入社した時は既に徹さんは実業団チームで活躍されており、応援がきっかけで大谷翔平選手のご両親は出会われています。
大谷翔平選手のご両親は1986年に結婚されています。
結局は大谷翔平選手の母親はバトミントンからは自然に離れていったようです。
大谷翔平選手の母親の可代子さんの画像がこちら。
全く派手さのない素敵な母親ですね。
サバサバした性格のような雰囲気が伝わってくるようです。
大谷翔平選手の兄弟について
職場結婚をした大谷翔平選手のご両親。
結婚から2年後に第一子となる長男さんが誕生しています。
1992年には第二子となる長女が誕生。
そして1994年7月5日に大谷翔平選手の誕生です。
- 1988年 :兄(龍太さん)2022年で34歳
- 1992年: 姉(結香さん)2022年で30歳
- 1994年: 翔平選手 2022年で28歳
大谷翔平選手とお兄さんは7歳も年が違うんですね。
お兄さん曰く、翔平選手とは年が離れていたため試合も一度しか見に行ったことがないそうです。
また、お兄さんの龍太さんは実業団に所属し野球をしており元野球選手です。
翔平選手に対してはあまりにも凄すぎてライバルとは一切思っていないとのこと。
一ファンとして見ているそうです。
お兄さんの龍平さんは現在結婚されており、男の子が一人いるようです。
お嫁さんになった方はミス高知の美人な女性だそう。
大谷翔平選手のお兄さんの龍太さんの画像がこちら。
二重の大きな目が母親の可代子さんによく似ていますね。
翔平選手の姉の結香さんは翔平選手とは2歳の年の差だっただめ、幼い頃はよくケンカをしたそうです。
結香さんは高校の時にバレーボール部に所属していたとのこと。
大学は岩手県の看護大学に進学。
看護師として働いているようですが、現在は花巻東高校の野球部の部長さんである流石裕之氏と結婚されています。
看護師の仕事を継続そいているかは不明ですが、お子さんも二人いるようですので子育てに専念しているかもしれませんね。
結香さんと流石裕之氏の年齢差は10歳だそうです。
●2016年1月: 第一子長男誕生
●2021年: 第二子長女誕生
こちらの画像は姉の結香さんと旦那さんとなった流石裕之氏です。
大谷翔平選手のお兄さんとお姉さんはどちらの結婚しており、翔平選手には甥っ子や姪っ子にも恵まれていました。
大谷翔平選手の母親の職業
大谷翔平選手の母親の可代子さんは独身時代は三菱重工横浜製作所に勤務しながら、実業団チームのバトミントン選手として活躍していました。
1986年に職場結婚。
長男と長女が誕生してから1993年に大谷翔平選手の父親の徹さんの出身地である岩手県に一家で移り住んでいます。
岩手県に移り住んだ翌年の1994年には大谷翔平選手が誕生。
可代子さんは岩手県に移り住んだ当時は内職をしながら育児や家事に奮闘されていたそうです。
ある程度子供たちから手が離れてからは、焼肉チェーン店で週に数日パートをしていたそうですよ。
飲食店で週に数日パートに出るなど、一般家庭の普通のお母さんと変わらない暮らしをされていることに、普通さを感じますね。
そして子供たちの野球の試合のある時にはグランドに駆けつけ応援。
翔平選手は子供の頃は速球を投げられていたけれど、その分コントロールが悪いと言う弱点に悩んでいたそうです。
そんな様子を見た可代子さんは「その弱点を克服するための次の目標や改善点を具体的にどうすればいいか考えなさい。」とアドバイスをしていたそうです。
大谷翔平選手がプロ入りして稼げるようになった時に、翔平選手は母親に「いつまで働くの?」と聞いたそうです。
可代子さんは「兄や姉も働いていること。自分達の暮らしは自分達の手で。」との思いを伝え、一切甘えるつもりはないことを伝えたとのこと。
翔平選手が大リーグにいって大成功を収めても、可代子さんは特別にゴージャスになりすます訳でもなく、ありのままを貫く姿にも好感が持てますね。
可代子さんは現在はパートは辞めているそうです。
オフで日本に帰国している大谷翔平選手の食事や生活面でのサポートをするため、単身で岩手から上京しているそうです。
普段は金ケ崎リトルシニアのチームで監督をしている父親の徹さんのサポートをされているそうですよ。
ご夫婦で少年野球の発展に尽力されているようですね。
まとめ
大谷翔平選手の母親の実家を中心に紹介しました。
大谷翔平選手の母親の可代子さんの実家は神奈川県横浜市で都会育ちでした。
途中から岩手県に移住していますが、持ち前の性格で田舎生活も難なく送っているところに、器の大きさを感じました。
大谷翔平選手の父親についてはこちらの記事で詳しく紹介しています。
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