音楽界の裏方で作詞作曲やボーカルプロデューサーとして活躍されている岡嶋かな多さん。
岡嶋かな多さんは、嵐や安室奈美恵さん、スノーマンなど名立たるアーティスト100組以上に楽曲を提供されています。
そんな岡嶋かな多さんはどのような経歴を辿って現在の成功を手にされたのでしょうか?
この記事では岡嶋かな多さんの経歴についてまとめています。
岡嶋かな多のプロフィール
岡嶋かな多さんのプロフィールから紹介します。
本名(出生名): 岡嶋かな多
生年月日: 1984年7月7日
出身地: 青森県黒石市
学歴: ビクター音楽カレッジ
職業: 作詞作曲家、音楽プロデューサー
岡嶋かな多さんは青森県石黒市の出身で、2022年で38歳です。
「かな多」という変わった名前ですが、本名もそのまま「岡嶋かな多」だそうです。
岡嶋かな多さんは3歳から8歳までをアメリカで過ごしている帰国子女です。
帰国後はアメリカの文化に慣れ親しんだこともあり、周囲と馴染めずに自信をなくしていた時期もあったそうです。
そんな岡嶋かな多さんを変えるきっかけとなったのが、中学1年生の7月に期末試験が終わり友人たちとカラオケに行ったことでした。
岡嶋かな多さんの素人離れした歌唱力に友人たちは感激し、自信を付けます。
「音楽でなら世の中の役に立てる、必要とされるかもしれない。」と思い、音楽の世界を志すようになります。
岡嶋かな多さんは3歳から8歳までをアメリカで過ごされていることから、比較的裕福な家庭に育ったのではないかと思われます。
岡嶋かな多さんは音楽を生れわいとしていますが、特別に実家の家庭環境が音楽一家ということではなく、中学生の時のカラオケで球tま自分の歌唱力の高さに気づき、そこから音楽一筋で進んでこられました。
岡嶋かな多さんの歌唱力の高さは元々持ち合わせていた才能だったかもしれません。
岡嶋かな多の経歴
岡嶋かな多さんは16歳のころから音楽一筋で生きていくことを決断しています。
中学卒業後の進路を決める際に、岡嶋かな多さんは両親に一般の高校に進学して夜間は音楽スクールで学びたい旨を相談します。
すると、両親は「自分が行きたい道を生きていい。自由を与える代わりにサポートはしない。」との返事が返ってきたのです。
岡嶋かな多さんは高校に進学することをきっぱりと諦めて、音楽スクールに通うことを決断。
当時、自宅から片道2時間かけてビクター音楽カレッジに通ったそうです。
※ビクター音楽カレッジは2014年3月に閉校
音楽スクールに通う傍らでシンガーソングライターを目指してオーディションを受けていましたが、ある作曲家の勧めで裏方として歌唱と作詞をするようになります。
最初はなかなか注目もされず、両親からのサポートも無かったためバイトをしながら生計を立てていました。
岡嶋かな多さんは18歳から6年間渋谷の交差点に面したツタヤでバイトを経験。
当時、ツタヤでスタッフ割引のサービスで、洋楽邦楽問わずに片っ端からCDをレンタルし、1000枚以上を借りて聴いていました。
この経験が現在の岡嶋かな多さんの音楽を作り出す原点にもなっているとのこと。
20歳の頃から本格的にソロ活動をスタートさせた岡嶋かな多さん。
NHK前で路上ライブをしたこともあったそう。
多い時で40人ほどの人が集まったそうです。
そんな経験をしながら2006年にSoweluの12枚目のシングル「to YOU」で作詞家デビューを果たしています。
その後は飛ぶ鳥を落とす勢いで有名アーティストに楽曲をrウィ共したり、スウェーデンの音楽事務所と契約を交わし、海外進出まで果たしています。
岡嶋かな多さんが提供した楽曲はオリコン1位の獲得数は100回を超えており、100組以上のアーティストに楽曲を提供するなど、音楽業界では天才として一目おかれる存在です。
岡嶋かな多さんは有名アーティストに楽曲を提供するなど、傍から見るととても羨ましい環境で音楽活動をされていると思いますが、音楽のために高校進学をしないという決断は、なかなか出来るものではありません。
今後生きて行く中で「中卒」という学歴を背負ってもいいという覚悟で進んだ音楽一筋の道。
そこまでの覚悟を持って進まれたからこそ、掴んだ成功であったことと思います。
岡嶋かな多の夫の職業は
音楽界で大成功を収めている岡嶋かな多さん。
プライベートでは結婚されて、二人の息子さんに恵まれています。
岡嶋かな多さんの夫は、PRプランナーの澤田知之さん。
澤田知之さんは元々はアパレル業界で働ていましたが、PR会社に転職。
企業の製品やサービスの広報やPRに関する仕事に従事されています。
岡嶋かな多さんと沢田知之さんは2018年に結婚。
2020年には第一子となる長男が誕生しています。
そして、2022年に第二子となる次男も誕生しています。
長男は「琉生」と書いて「るい」君。
世界どこへ行っても呼ばれやすく親しみやすい名前ということで、夫婦で命名されたそうです。
現在、岡嶋かな多さん夫妻は、活動の拠点は東京に置きながら、キャンピングカーで移動型子育てをしながら日本一周を目指しているそうです。
このキャンピングカーで移動型子育ては、夫の澤田知之さんの提案だったとのこと。
岡嶋かな多さんは夫からの提案に、夫とならどんなトラブルも楽しめる自信があると言って、移動型子育てを受け入れたそうです。
岡嶋かな多さんと夫の深い絆を感じますね。
キャンピングカーで移動型子育てをしながら日本一周を目しているとのことで、のびのびとお子さん達も育つことでしょうね。
活動の拠点は東京に置きながらということですが、ガッツリと稼いでいるであろう岡嶋かな多さん夫妻の家は意外にも築42年の家をリノベーションしながら手を加えて住まわれているとのことです。
まとめ
音楽界の裏方として作詞作曲やプロデュースで活躍している岡嶋かな多さんの経歴を中心に紹介しました。
最後までお読み下さりありがとうございます。
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