仲川遥香の生い立ちが壮絶?児童養護施設からインドネシアで大成功するまで

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元AKB48のメンバーだった仲川遥香さんの現在の活躍が凄いと話題になっています。

仲川遥香さんが元AKB48メンバーと言っても前田敦子さんや大島優子さん、渡辺麻友さんのようにとりわけ有名ではなかったかもしれません。

しかし、現在はインドネシアで大成功を納めているとのこと。

そんな仲川遥香さんは、壮絶な子供時代を過ごした経験があるようです。

今回は仲川遥香さんの壮絶な生い立ちをまとめてみたいと思います。

仲川遥香さんがインドネシアに渡ってから大成功を掴んだのも辛かった生い立ちが大きく関係していることが納得できます。

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仲川遥香のwiki風プロフィール

それでは、仲川遥香さんの簡単なプロフィールをwiki風に見ていきましょう。

 

本名:仲川遥香(なかがわ はるか)

生年月日:1992年2月10日

出身地:東京都

身長:160センチ

血液型:O型

出身校:日出学園高等学校

所属:電通インドネシア

 

 

 

仲川遥香さんは2006年12月3日にAKB483期生の追加メンバーのオーディションに合格し、芸能界デビューをしています。

AKB48の渡辺麻友さんや柏木由紀さんらと同期メンバーなんですね。

ちなみに仲川遥香さんがAKB48のオーディションを受けたのは父親が勝手に応募したからだそうですよ。

仲川遥香さんは前田敦子さんと高校の同級生で一緒に登校していたということで、仲川遥香さんの出身校は芸能人御用達の日出学園高等学校の芸能コースに通っていたと思われます。

ちなにみ日出学園高等学校芸能コースの偏差値は41となているようですが、芸能活動に忙しい芸能人にとっては勉学は二の次になりがちなため、在籍しやすいかもしれませんね。

AKB48と言えば総選挙が有名ですが、仲川遥香さんは総選挙では20位が自己最高位。

同期の渡辺麻友さんや柏木由紀さんらと比べると、ちょとマイナーな感じでしょうか?

仲川遥香さんはAKB48のメンバーの中でもなかなか中堅から伸びることが出来ずに悩んだ時期もあったようです。

そんな時に2012年8月にインドネシアJKT48への移籍の話があり即決。

その後インドネシアに渡りアイドル活動に励んでいます。

仲川遥香さんはインドネシアに渡ってから、なんと5カ月でインドネシア語をマスターしているんですね。

かなりの努力をされたようですね。

そして現在は、アイドルグループは卒業されていますが、インドネシアで芸能活動はずっと続けており、CMは20本、バラエティー番組にも引っ張りだこなほど人気物となっているそうです。

そして2017年、2018年には2年連続でツイッターで影響力のある世界の女性15人の中の7位にランクインしているんですね。

この実績はヒラリー・クリントンやブリトニー・スピアーズを抑えて上位に入っているんですね!

素晴らしいです!

AKB48時代は主力メンバーの影に隠れた存在だったのが、なぜインドネシアに渡り大成功を納めることが出来たのでしょうか?

仲川遥香さんがインドネシアで成功者となった背景には子供時代の壮絶な生い立ちが大きく関係しているように思えます。

それでは、次項より仲川遥香さんの壮絶な生い立ちを見ていきましょう。

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仲川遥香の生い立ち

 

仲川遥香さん2017年2月10日の自分の誕生日に自分の過去を打ち明けています。

仲川遥香さんが活動を拠点に置いているインドネシアでは家族をとても大切にする風習が日本よりも強いようです。

インドネシアの人々から、家族に関して「インドネシアに家族をよばないの?」とか「家族とはあまり会わないの?」と聞かれる度に、答えをはぐらかしていたそうですが、嘘をつき通すことも辛く感じるようになり、自分の過去を公表する決意をしたようです。

仲川遥香さんの両親は仲川さんが3歳の頃に離婚をされています。

両親の離婚後に遥香さんは父親に引き取られました。

親が離婚をするとどちらかと言うと母親が子供を引き取るケースが多いですが、仲川遥香さんの場合は父親に引き取られています。

母親が引き取らなかった時点で遥香さんの場合、親の離婚による子供への不憫さが何倍にも増したように思えてなりません。

やはり幼い子供にとって母親は絶対に必要だと思ってしまうんですよね。

仲川遥香さんは母親の顔すら覚えていないそうですよ。

案の定、父親に引き取られた仲川遥香さんは仕事で忙しい父親に変わって祖母が面倒を見てくれました。

しかし祖母が病気で入院することになると、仲川遥香さんは児童養護施設に預けられます。

児童養護施設での生活では、職員や周りの同じ環境の子供たちに恵まれ、家族のように思えたそうです。

今でもこの施設で一緒だった友達とは連絡を取り合っているそう。

ただ児童養護施設に入っていたのは、祖母が入院していた一時的な期間だったかもしれませんが、この児童養護施設に入っていたことがとても恥ずかしく負い目に感じていたそうです。

仲川遥香さんが児童養護施設に入っていた時期はいつ頃かはちょっと不明なのですが、小学3年生の時から遠足のお弁当は自分で作っていたと打ち明けています。

人に見られて恥ずかしいもののうちにお弁当がありますね。

お弁当の色合いやおかず、味は置いておいても見た目だけは彩りが奇麗でないとなんとなく恥ずかしく思えてしまうもの。

母親の子供への愛情の注ぎ先の一つにお弁当があげられると思います。

それ程にたかがお弁当かもしれませんが、母親としては決して疎かにできないのがお弁当なのです。

仲川遥香さんはそんな母親からの愛情を一切受けられずに、自分で遠足のお弁当を作っていたという点で、子供ながらに本当に気苦労が多かったんだなと思います。

本来ならこのような壮絶な子供時代を過ごしてくると、自分の辛い環境を恨みかなり高い割合でグレる子も多いと思います。

しかし、仲川遥香さんは違いました。

今現在(インドネシアで成功している)、ここにこうしていられるのも父親と母親がいたからと、両親に対して感謝の念を持っているんですね。

勿論、育ててくれた祖母に対しての感謝も忘れずに。

特に母親とは両親が離婚してからは音信さえ不通なのです。

そんな母親に対しても感謝の言葉を述べているのには驚きです。

このような前向きな性格や感謝の気持ちがあるから、仲川遥香さんは日本を離れて遠いインドネシアという地で成功されているのかもしれません。

また、5カ月でインドネシア語をマスターするほどの努力。

傍から見るといとも簡単にインドネシアで成功したように見えてしまいそうですが、実際には人に見えないところでの相当の努力と、人には分からない苦労を重ねてきたからこそ掴んだ成功なんですね。

どうしてもその人の成功したことに視点が向いてしまい、嫉妬の念さえ覚えてしまいそうですが、その人のしている努力にもっと目を向けるべきなのかもしれません。

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仲川遥香の父親と兄弟は?

仲川遥香さんの壮絶な生い立ちを見てきましたが、父親と兄弟についてまとめてみたいと思います。

仲川遥香さんは以前から父親は元プロレスラーと何度も繰り返し話しているそうです。

以前、週刊宝島で仲川遥香さんの父親はプロレスラーのGOEMON(中川浩二)ではないかと掲載されたそうですが、実際に中川浩二さんは仲川遥香さんのことを全く知らず、人違いだったことが判明しています。

実際はインディープロレス団体の元練習生という説が濃厚のようです。

そして仲川遥香さんの兄弟は5人と、今の時代かなり多いですね。

上から

●姉(遥香さんの1歳上)

●仲川遥香さん

●妹(遥香さん1歳下)

●弟(遥香さんの2歳下)

●妹(遥香さんの5歳下)

 

仲川遥香さんは5人兄弟の次女なんですね。

しかし、2019年5月4日に一番上のお姉さんがお亡くなりになっています。

お姉さんは亡くなる前に父親に自分が亡くなったら、、、、と遺言を残されているようですので、病死の可能性が高そうです。

自分の兄弟や親を亡くすということは何歳になっても辛く、受け入れがたいこと。

仲川遥香さんのお姉さんは28歳という若さで亡くなっていますので、遥香さんのショックは相当大きく深いものと思います。

ご冥福をお祈りいたします。

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まとめ

元AKB48のメンバーの仲川遥香さんがインドネシアで大成功されているとうことで、仲川遥香さんの生い立ちについてまとめました。

仲川遥香さんの現在の成功があるのは、本人の相当の努力と生い立ちを糧に這い上がる力強さがあったからと思えてしまいます。

今後の活躍もますます期待されますね!

 

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