村田兆治の嫁は良妻賢母で本も出版!子供について家族構成も調査!

高校野球チケット夏 アスリート
スポンサーリンク

野球の殿堂入りを果たした村田兆治さん。

現役引退後は野球解説者として活躍する傍らで「マサカリ基金」を設立し離島に住む子供たちのために野球支援を行っています。

そんな野球界のレジェンド、村田兆治さんの結婚したお嫁さんはどんな方なのか気になるところです。

この記事では元プロ野球選手の村田兆治さんのお嫁さんや子供など家族構成についてまとめています。

スポンサーリンク

村田兆治の嫁

まずは村田兆治さんんのプロフィールから紹介します。

村田兆治

生年月日: 1949年11月27日

出身地: 広島県豊田郡本郷町

出身高校: 福山電波工業高校(現在の近畿大学付属広島高等学校)

身長: 181センチ

体重: 78K

血液型: O型

村田兆治さんは2022年で73歳となります。

村田兆治さんは小学5年生の時に父親に連れられて広島市民球場にナイターを見に行ったことがきっかけで、野球にのめり込みます。

当時は、プロ野球選手になること以外考えられなかったそうです。

高校時代は広島県内でも屈指の注目されるピッチャーになっていました。

1968年にドラフト1位で東京オリオンズ(現在の千葉ロッテ)に入団。

1990に22年間の現役生活にピリオドを打っています。

村田兆治さんの22年間にも及ぶ現役生活を陰ながら支えたのが妻の淑子夫人でした。

出典:ユーキャン新語大賞

1970年代後半から1980年代にかけて大活躍を遂げた村田兆治さんですが、実は肘の故障に悩まされた時期でもありました。

1982年に肘を故障し、1983年に渡米してスポーツ医学の権威であるフランク・ジョーブ氏に手術を受けています。

当時は手術を受けることにかなりリスクを伴っていたようです。

手術しても100%治るとは限らないと言われ当初は躊躇していたようですが、お嫁さんの淑子夫人の後押しがあり手術に踏み切ったそうです。

術後は懸命なリハビリの努力により、見事に復活と遂げています。

これも一重に村田兆治さんのお嫁さんの淑子夫人の支えがあってからのことだと思います。

村田兆治さんのお嫁さんの淑子夫人は料理が得意で英語も堪能な才色兼備な女性とのこと。

淑子夫人はエッセイも出版されています。

「兆治さん、わたしの直球を受けとめて」と言う本で、内容は村田家の台所をひとりでまかなってきたことや、夫の世話から子供のしつけのこと。

また村田兆治さんの知られざるエースの素顔を綴っています。

村田兆治さんのお嫁さんは良妻賢母で理想的な母親、そして妻であるようです。

スポンサーリンク

村田兆治の家族構成

村田兆治さんの家族構成は妻の淑子夫人と子供は息子さんと娘さんがいるようです。

村田兆治さんの息子さんも娘さんも一般人ということで詳細は明らかではありませんが、次のような情報を見つけました。

息子さんは電通で娘さんはテレビブロス編集となっていますが、真相は明らかではありません。

村田兆治の現役の成績

野球の殿堂入りを果たした村田兆治さん。

現役時代の成績を振り返ってみましょう。

1968年にドラフト1位で東京オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)に入団した村田兆治さん。

1990年に現役引退をされています。

そして、2005年に野球殿堂入りを果たしています。

現役時代の成績がこちら。

215勝177敗33セーブ

防御率 3.24

2363奪三振

最多勝 1回(1981年)

最優秀防御率 3回(1975年、1976年、1989年)

セーブ王 1回(1975年)

奪三振王 4階(1976年、1977年、1979年、1981年)

村田兆治さんは現役時代はダイナミックな投げ方、「マサカリ投法」で有名でした。

現役引退後も球速は衰えず、2013年の63歳では135Kを投げており、2018年の69歳では112Kを投げています。

2008年には「離島甲子園」の離島振興活動をスタートさせており、マサカリ基金も設立するなど、離島の子供たちのために野球支援を行っています。

また、離島や日本各地を巡り野球教室開催の活動にも積極的に取り組まれています。

小学5年生の時にプロ野球を観戦してからプロ野球選手になること以外考えられなかったという村田兆治さん。

野球に対する思いは一生涯思い続けている姿が素晴らしいですね。

スポンサーリンク

まとめ

野球殿堂入りを果たしている村田兆治さんの結婚したお嫁さんや家族構成について紹介しました。

最後までお読み下さりありがとうございます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました