恋愛をテーマにした数々のヒット曲を世に送り出したシンガーソングライタの村下孝蔵さん。
村下孝蔵さんの曲は世代を超えて現在もたくさんの人に愛されています。
そんな村下孝蔵さんですが、1999年に46歳の若さで急逝したニュースが飛び込んできた時には衝撃が走りました。
この記事では、村下孝蔵さんの死因についてまとめています。
村下孝蔵の死因は?

出典:pintarest
村下孝蔵さんは1999年6月20に東京都豊島区駒込のスタジオで七夕コンサートのリハーサル中に突如、頭痛や吐き気をもよおし、「気分が悪い」と体調不良を訴えました。
この時、広島時代の友人が訪れており、友人との会話もおかしいことに周囲も気づき病院に向かいました。
後に村下孝蔵さんがデビューから20年来の付き合いのあるレコーディングプロデューサーの須藤晃氏が当時のことを振り返っています。
七夕コンサートのリハーサル中に空あくびをして頭痛を訴えていたこと。
更に頭痛から生じる幻覚も見ていたようだ。
このような状況の中、タクシーどころか救急車も呼ばずに、村下孝蔵さんはスタッフに付き添われて自力で電車で病院まで行ったといことです。
救急車を呼ばなかったのは、諸説マネージャーの判断とも言われているようですが、、、。
おおごとにしたくなかったからでしょうか。
村下孝蔵さんは駒込駅から虎ノ門病院に電車と徒歩で向かったそうです。
本来なら安静にしながら病院まで行くことが最優先されててもおかしくなかった状況であったことが想像されます。
村下孝蔵さんは病院に到着し、すぐに診察を受けCT検査を受けます。
しかし、CT装置に入ってすぐに意識不明となり昏睡状態に陥ったと言います。
この時、村下孝蔵さんは一命を取りとめました。
医師の診察の結果は「高血圧性脳内出血」でした。
医師の診断では、一週間ほどで回復し、日常に戻れるとの所見を出していたそうです。
しかし、村下孝蔵さんはCT検査から間もなくして脳内出血を再発。
病院に駆け込んで4日後の1999年6月24日に46歳で帰らぬ人となりました。
村下孝蔵さんの死因は高血圧症による脳内出血が原因とされています。
コンサートのリハーサル中に気分が悪くなった段階で、救急車を呼んでいたらもしかしたら命を落とさずに済んだかもしれない、、、そんな考えもよぎってしまいそうですね。
ご遺族やファンの方々は悔やんでも悔やみきれない思いだったことと想像がつきます。
村下孝蔵の葬儀
1999年6月24日に急逝した村下孝蔵さんの葬儀は亡くなった日から2日後の6月16日に営まれました。
村下孝蔵さんの出棺の際には、村下さんの妻の要望で、生前一番本人が好きだった曲「ロマンスカー」で見送ったということです。
村下孝蔵さん言えばと「初恋」が有名ですが、本人が一番好きだった曲は「ロマンスカー」だったのですね。
この「ロマンスカー」は、1992年に発売されたシングル曲で、村下孝蔵さんは「これが売れなければおかしい。」という強い思いを込めて作ったと言います。
仕上がった「ロマンスカー」に対して、村下孝蔵さんは「やっと納得する作品が出来た!」と本人は納得したにも関わらず、「ロマンスカー」の売れ行きは冴えませんでした。
ちなみに、村下孝蔵さんの代表曲の「初恋」は1983年発売で、村下孝蔵さん30歳の時でした。
渾身の作品でもあったにも関わらず、あまり売れなかったことに本人はさぞ無念だったことでしょう。
しかし、村下孝蔵さんの奥さんは村下さんの良き理解者であったことで、最後は大好きな曲と共に天に召されたことは幸せなことだと思います。
村下孝蔵さんは茨城県つくば市(旧稲敷郡茎崎町)の筑波茎崎霊園の墓地で安らかに眠っているとのことです。
村下孝蔵の病歴
46歳で急逝した村下孝蔵さんは病歴があり、入院経験もあったそうです。
1983年に30歳で「初恋」が大ヒットしてからというもの、村下孝蔵さんの多忙は極まりました。
多忙が原因で村下孝蔵さんは肝炎を患っています。
肝炎を患った頃は「初恋」が大ヒットしている時で、多くの番組やイベントの出演をキャンセルせざるを得ない状況に陥ったと言います。
そのため、「初恋」がヒットしても村下孝蔵さんはテレビ出演をすることは殆どありませんでした。
当時、村下孝蔵さんは広島を拠点に東京を行き来しながら活動していましたが、体調不良が原因で広島と東京の往復が困難な状況になり、1984年に生活の拠点を広島から東京に移しています。
上京後、体調は回復傾向にあり音楽活動も再開しましたが、再び体調悪化し1985年春頃から入退院を繰り返すようになっていたそうです。
村下孝蔵さんの従姉妹さんと言う方がブログを綴られていて、村下孝蔵さんが1985年に入院をしていた時の様子が綴られています。
入院中の村下孝蔵さんのベットの上にはいつでも弾けるようにとギターが置かれていたそうです。
この時の入院は一ヶ月から二か月と比較的長い期間の入院だったことが書かれており、村下孝蔵さんの病状が見て取れるようでもあります。
完全に治すための入院と言っていました。
眠っていたり、横になっていたりしている
覚えが無いのですが、
1ヶ月半から2ヶ月近くの入院。
元気そうに見えても、
まだまだ安心出来ない状態だったと思います。
引用元: アメーバブログ風鈴が鳴るように、、、
若い頃から入退院を繰り返していた村下孝蔵さん。
46歳の若さで急逝背景には、元々の健康状態が良好という訳ではないことも大きく要因しているかもしれないと感じました。
まとめ
「初恋」のヒット曲で有名な村下孝蔵さんの死因についてまとめました。
数々の恋愛をテーマにした村下孝蔵さんの曲は現在も多くの方に愛されています。
安らかにお眠りください。
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