村雨辰剛庭師は結婚していた?本名や出身地と日本に来てからの経歴も

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庭師でタレントの村雨辰剛さんの活躍に注目が集まっていますね。

村雨辰剛さんは朝ドラカムカムエブリバディに出演するなど、俳優としての活動も目立ってきました。

そんな村雨辰剛さんの本業は庭師で見た目が外国、でも名前は日本人。

謎ですね。

この記事では村雨辰剛さんが結婚に関してと本名や出身地、日本に来てからの経歴をなどを紹介しています。

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村雨辰剛の読み方

まずは村雨辰剛さんの謎の部分から色々と深掘りしていきたいと思います。

最初に「村雨辰剛」と言いう名前について。

そもそも見た目は完全に外国人でありながら名前は日本人ってどういうこと?

また読み方も難しいですね。

村雨辰剛さんの名前の読み方は「むらさめたつまさ」さんと読みます。

村雨辰剛さんが日本名を名乗っているのは、2015年に村雨辰剛さんが26歳の時に日本人に帰化しているからなんですね。

そもそも村雨辰剛さんが日本人に帰化したのは何故なのでしょう?

ここで簡単に村雨辰剛さんのプロフィールを紹介しておきます。

村雨辰剛(むらさめ たつまさ)

  • 本名: ヤコブ・セバスティアン・ビョーク
  • 出身地: スウェーデン スコーネ県 オルケルユンガ
  • 生年月日: 1988年7月25日
  • 職業: 庭師、タレント、俳優、ユーチューバー
  • 所属: 株式会社YMN

村雨辰剛さんはスウェーデンの出身。

2022年の誕生日で34歳となります。

村雨辰剛さんは幼い頃に両親が離婚。

その後、母親に引き取られ継父と実母に育てられました。

継父はスウェーデン空軍のパイロットだったそうです。

村雨辰剛さんは中学の世界史の授業で日本文化に強い憧れを持ち始めます。

日本に強い憧れを持った村雨辰剛さんは、ヤフーのチャットで日本人を探して日本語の勉強を始めます。

16歳の時にはチャットで知り合った日本人の紹介で、逗子と横須賀に3カ月間ホームステイを経験。

高校を卒業する時に空軍だった継父の影響でレンジャー部隊に合格が決まっていましたが、どうしても日本のことが忘れられなかったことで、レンジャー部隊を辞退し、高校を卒業すると同時に来日されています。

この頃には村雨辰剛さんの日本語もかなり上達されていたようです。

スウェーデン語と英語が話せる村雨辰剛さんは来日当初は愛知県名古屋市でスウェーデン語や英語の語学講師をして生計を立てていました。

このようにして村雨辰剛さんは日本が大好きなあまり、スウェーデンを出て日本に来られ最終的には日本人に帰化し、正式に日本の国民となった経緯がありました。

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村雨辰剛の経歴

日本が大好きだったことから最終的には日本人に帰化され、日本国民となった村雨辰剛さん。

日本に来てからの村雨辰剛さんの経歴を辿ってみましょう。

  • 2007年: 日本に移住 外国語講師(19歳)
  • 2011年: 東日本大震災で一時スウェーデンに帰国
  • 2011年8月: 再来日
  • 2011年8月: 名古屋の山本庭苑でアルバイト(23歳)
  • 2012年6月1日: 愛知県西尾市の加藤造園に転職 5年勤務
  • 2015年: 日本人に帰化(26歳)
  • 2016年1月2日: (株)YMNの所属になりタレント活動を開始

ざっとこんな感じの村雨辰剛さんの経歴です。

来日当初の村雨辰剛さんは外国語の講師として生計を立てていましたが、日本文化が好きで日本に来たのに、好きな日本の文化に触れずにこれでいいのだろうかと自分の中で自問自答する日々が続いていたと言います。

そんな折、2011年の東日本大震災。

スウェーデンの家族が心配していたため、一時帰国します。

しかし2011年8月には再来日。

名古屋市の山本庭苑でアルバイトを始めます。

村雨辰剛さんは日本の古い物を大切にする文化や師弟関係に強い憧れを持っていたことから、山本庭苑さんで弟子入りを希望するものの、既に山本庭苑さんではお弟子さんが数名おり、新たにお弟子さんをとる余裕がなかったと言います。

弟子入り出来ないことで村雨辰豪さんは弟子入り先を探し、愛知県西尾市の加藤造園業さんの門をたたきます。

加藤造園業さんには5年間働き、庭師としての技術を習得します。

2015年には日本人に帰化していますが、スウェーデンの両親は猛反対だったそうです。

継父には「もし戦争になったら日本人として戦えるのか。」と問われたそうですが、村雨辰剛さんの決意は固く揺るがないものでした。

日本人に帰化するにあたり名前を「村雨辰剛」にしたのは、加藤造園さんの親方の父親の名前が村雨だったことや、南総里見八犬伝に登場する架空の日本刀の名称が「村雨」だったことから苗字に「村雨」を持ってきています。

また、「辰剛」は生まれた年が辰年だったことから「辰」を取り、「剛」は親方の名前から頂いたそうです。

大切に考えられた名前なんですね。

村雨辰剛さんは設計の仕事を覚える為に愛知県西尾市の加藤造園さんを退職し、東京の業者さんに転職。

2016年1月2日には株式会社YMNの所属となり、庭師の仕事の合間にタレントとしての活動をスタートさせています。

現在はタレントとして、みんなの筋肉体操や趣味の園芸に出演したりラジオにも出演。

その他、俳優としても注目されています。

村雨辰剛さんのインスタグラムを見ると、ちょっと古民家風のお家で日本の生活を満喫されている様子が伝わってきます。

村雨辰剛さんは本当に日本が大好きなんですね。

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村雨辰剛は結婚している?

朝ドラカムカムエブリバディに出演するなど、村雨辰剛さんの注目がさらに集まっていますが、気になるのは村雨辰剛さんの結婚についてです。

とてもイケメンですし、女性のファンも多いことでしょう。

そんな村雨辰剛さんの現在は結婚はされておらず、独身です。

ただ、村雨辰剛さんには結婚歴があるようです。

また一部の情報によると、娘さんがいらしたとのこと。

結婚していたことに関しては、2011年に東日本大震災の時に一時帰国されていた時のことを振り返って2020年のインタビューで、村雨辰剛さんはスウェーデンには元嫁を連れて帰国していたと述べています。

元嫁と表現していることから現在は離婚されていることが伺えます。

おそらく2012年~2017年の間に離婚をされている可能性が大きそうですね。

2012年~2017年にかけては村雨辰剛さんの人生も大きな変化のあった時期です。

庭師になるために懸命いに働いたり、日本人に帰化の実現。

庭師の弟子として働いてた時期でもありますので、生計を立てるのにも懸命だったと思われます。

村雨辰剛さんの元のお嫁さんについての詳細は不明ですが、おそらく日本人ではないかなと思われます。

何らかの事情により、村雨辰剛さんとの結婚生活はそう長くは続かなかったようですね。

また、村雨辰剛さんは結婚について庭師の仕事だけでは結婚は難しいので独身を取っているとも述べています。

2022年2月現在の村雨辰剛さんは独身で、猫との生活を楽しまれているようです。

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まとめ

庭師として活動する傍らでタレントや俳優としても活躍されている村雨辰剛について、結婚や経歴などを中心に紹介しました。

村雨辰剛さんの日本愛はハンパないですね。

ちょっと感化されていましましたので、日本文化にもっと関心を持ちたいと思いました。

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