元内閣総理大臣の森喜朗氏。
森喜朗氏を巡っては、東京オリンピックパラリンピック大会委員会会長に就任しながら女性蔑視発言で委員長を辞任するなど、何かと失言が目立った印象が強いです。
現在はかなり高齢となった森喜朗氏。
森喜朗氏の家族構成はどのようなのでしょうか?
この記事では森喜朗氏の家族構成と息子さんと押尾学事件の関係についてまとめています。
森喜朗の家族構成
森喜朗氏の家族構成を紹介する前に森喜朗氏のプロフィールから紹介します。
生年月日: 1937年7月14日
出身地: 石川県能美郡根上町
出身高校: 石川県立金沢二水高等学校
出身大学: 早稲田大学商学部
衆議院議員当選回数: 14回
衆議院議員在任期間: 1969年から2012年11月16日
総理大臣在任期間: 2000年4月5日~2001年4月26日
森喜朗氏は石川県根上町出身。
元プロ野球選手の松井秀喜さんも石川県根上町の出身です。
また、松山ホステス殺人事件で時効になる寸前まで福田和子容疑者が潜伏していた街でも有名です。
2022年で85歳になる森喜朗氏ですが、若い頃はラガーマンとして活躍されていました。
石川県立金沢二水高等学校に進学したのはラグビーのためだったと言います。
森喜朗氏の父親が金沢二水高校でラグビーの指導に当たっていたそうです。
ちなみに、金沢二水高等学校の偏差値は67です。
森喜朗氏が東京オリンピックパラリンピックの大会組織委員会委員長に就任された背景には、ラガーマンとしての経歴があったからということに繋がりそうです。
意外にもスポーツマンの一面を持っていた森喜朗氏でした。
さて、前置きが長くなりました。
森喜朗氏の家族構成です。
妻: 千恵子夫人
長男: 祐喜
長女: 陽子
森喜朗氏の家族構成は妻の千恵子夫人と長男の祐喜さん、長女の陽子さんの4人家族です。
長男の祐喜氏は2011年に46歳で既にお亡くなりになっています。
それでは、森喜朗氏の家族をそれぞれ見ていきましょう。
森喜朗の妻
森喜朗氏の妻は千恵子夫人。
旧姓は「牧」という姓だそうです。
千恵子夫人の出身は神奈川県横浜市。
早稲田大学の教育学部を卒業されています。
森喜朗氏の妻の千恵子夫人は森氏よりも1歳年上とのことで、2022年で86歳くらいになられるようです。
森喜朗氏と千恵子夫人の出会いは、早稲田大学時代に遡ります。
森喜朗氏と千恵子夫人は早稲田大学で、東南アジアからの留学生と交流を深めるサークル「国際学友会」に所属。
このサークルで知り合っています。
当時の千恵子夫人は水泳をしており、大変色黒だったとのこと。
森喜朗氏は、千恵子夫人があまりにも色黒だったことから日本人だとは思わなかったそうで、「お国はどちらですか?」と声をかけたそうです。
森喜朗氏と千恵子夫人は大学時代から交際をスタート。
森喜朗氏が早稲田大学を卒業した一年後の1961年11月にに千恵子夫人と結婚されています。
結婚当時、森喜朗氏24歳という若さでの結婚でした。
千恵子夫人によると、当時の森喜朗氏の印象について
●背が高くハンサム
●物事に律儀で几帳面
●夢を持っていて可愛い
と述べています。
また家庭内での森喜朗氏は、潔癖症で整理魔で話が面白く歌舞伎鑑賞が好きだということです。
夫婦仲はとても良好で、千恵子夫人は「夫のためなら死んでもかまわない。」とも述べています。
それだけ森喜朗氏のことを信頼されており、家庭内は円満のようで何よりです。
森喜朗の息子
森喜朗氏の長男は森祐喜氏。
森祐喜氏のプロフィールがこちら。
森祐喜(もりゆうき)
生年月日: 1964年10月15日
死没年月日: 2011年7月25日(享年46歳)
出身高校: 私立玉川学園高等部
出身大学: 東海大学教養学部中退
職業: 元石川県議会議員
森喜朗氏の息子さんは森祐喜氏。
東海大学教養学部を中退後は、アメリカの渡りジョージタウン大学の英語学校ELFプログラムを受講しています。
帰国後は父親の森喜朗氏の秘書として活動。
2006年3月に行われた石川県議会議員選挙に自民党所属で立候補、初当選を果たしています。
石川県議会議員の当選は2回で、在任期間は2006年3月22日~2010年8月7日まで。
森喜朗氏の息子さんの祐喜氏を2010年8月7日に飲酒運転をして車をコンビニに突っ込む事故を起こしています。
この事故がきっかけで石川県議会議員を辞職しています。
議員を辞職してからの森祐喜氏は病弱さが目立ち始めています。
辞職した年の2010年10月31日に能美市の自宅で倒れ心肺停止状態に陥り救急搬送されるも一命は取り留めています。
2011年5月に再び体調を崩し入院。
2011年7月25日に入院先の病院で46歳で亡くなっています。
森祐喜氏の死因は急性膵炎による多臓器不全だったそうです。
森祐喜氏の体型はかなり太っていました。
肥満気味であったことで、不健康な体質であったようです。
森祐喜氏の画像がこちら。
あまり父親の森喜朗氏には似ていませんね。
森祐喜氏のは黒い噂もありました。
それは、20098月2日に起きた押尾学事件。
押尾学事件とは、六本木ヒルズのマンションの一室で押尾学と共にMDMAを使用したホステスの女性が全裸で死亡しているのが発見された事件。
押尾学氏はこの女性が意識不明な状態になったにも関わらず処置せずに放置したことで保護責任者遺棄致死罪の容疑で逮捕されました。
森祐喜氏はこの押尾学事件が起きた時に同じ部屋にいたのではないか?との疑惑も浮上しました。
しかし、同じ部屋にいたという真相は明らかになっていません。
ただ、この亡くなったホステスと森祐喜氏が一緒に写っている写真が発見されていますので、交流はあったようです。
また、森祐喜氏と押尾学氏はこのホステスの勤務するお店の常連だったということです。
押尾学氏と森祐喜氏とホステスは交流があった言うことで、森祐喜氏はちょっと破廉恥な部分を持ち合わせていたようです。
森祐喜氏に関してはお嫁さん情報などはありませんので、独身であったようです。
押尾学事件の詳細はこちらの記事をご覧下さい!
森喜朗の娘
森喜朗氏の娘さんは、陽子さん。
現在は結婚され子供も二人いるそうです。
陽子さんは兄の祐喜氏よりも3歳~4歳年下とだそうです。
1967年または1968年生まれでしょうか。
2022年で2022年で54歳~55歳となるようです。
森喜朗氏の娘さんは青山学院大学卒業後、三井物産に入社。
25歳の時に結婚を機会に退社されています。
陽子さんの旦那さんは大学の同級生でIT起業家の藤本真佐氏。
現在はデジタルハリウッドCEOに就任されています。
藤本真佐氏は、大学在学中にマーケティング会社を起業。
1999年にはツタヤオンラインを創業するなど、IT起業家としてデジタルハリウッド設立に参画された経緯があります。
陽子さんと藤本真佐氏の子供は二人ということで、森喜朗氏にとってのお孫さんに当たります。
森喜朗氏の失言を巡っては、娘さんやお孫さんも心労していたようです。
また、亡くなられた息子さんの森祐喜氏も父親の失言に対しては頭を抱えていたようで、母親(つまり森喜朗氏の妻)に、言ってはいけない失言帳を作成して欲しいと懇願されていたというエピソードもあります。
森喜朗氏に限ったことではありませんが、昭和初期生まれの方であれば尚更、ポロっと思ったことが口走ってしまうのでしょうね。
森喜朗の実家の家族構成
最後に森喜朗氏の実家の家族構成を紹介します。
祖父: 喜平(根上村村長)
父親: 茂喜(根上町町長)
母親: 薫
姉: 智子
弟: 紀喜
森喜朗氏の実家の森家は江戸時代の加賀藩で代々村の肝煎(庄屋のこと)を務めた家系で由緒ある家系の長男として誕生しています。
祖父の喜平氏は根上村の初代村長でした。
父親も根上町の町長を務めており、町民から高い支持を受けており9期連続で当選を果たしたそうです。
森喜朗氏の母親は、森喜朗氏の父親が戦争で出征している間に乳がんで亡くなっています。
1946年1月に戦地から父親が帰ってきた時には既に母親はこの世にはいませんでした。
森喜朗氏の父親は酷く肩を落としていたと言います。
後に父親は再婚し、森喜朗氏は継母によって育てられました。
森喜朗氏の弟は4歳年下で、外科医をされているとのことです。
森喜朗氏は代々政治家の家柄に誕生し、ご自身も自然に政界の道を歩み出していました。
まとめ
森喜朗元総理大臣の家族構成について紹介しました。
最後までお読み下さりありがとうございます。
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