年齢を重ねても、とても素敵な女優の宮本信子さん。
マルサの女で大ブレイクを果たしましたが宮本信子さんの高い演技力は見る人を惹きつけますね。
そんな大ベテランの宮本信子さんの息子さんはどんな方なのでしょうか?
俳優業をされているのかも気になるところです。
そこでこの記事では宮本信子さんの息子さんについてまとめています。
宮本信子の長男
宮本信子さんの旦那さんは今は亡き映画監督の伊丹十三さん。
宮本信子さんと伊丹十三さんは1969年に結婚されています。
馴れ初めは、映画「日本春歌考」での共演だったそうです。
結婚後、宮本信子さんと伊丹十三さんは二人の息子さんに恵まれています。
まずは長男さんから紹介します。
宮本信子さんの長男さんは俳優の池内万作さん。
ちなみに、伊丹十三さんの本名は「池内 義弘」(いけうち よしひろ)さんです。
宮本信子さんの長男さんの画像がこちら。
ワイルドな感じが魅力的な方ですね。
そして宮本信子さんにそっくりではありませんか!!
現在は神奈川県の西の方に住んでいらっしゃるようで、私生活ではプロ並みのDIYを楽しまれているようです。
宮本信子さんの長男の池内万作さんは1972年3月27日に誕生。
2022年で50歳です。
池内万作さんは芸能人御用達の学校として有名な和光学園に進学。
1989年の高校2年生の時にアメリカの高校「peddie High School」に」編入し、1991に卒業しています。
アメリカの高校を卒業後はロンドンに渡り、リー・ストラスパーク校で3年間作劇と演劇を学びます。
そして帰国後の1995年に23歳で「君を忘れない」で映画俳優デビューを果たしています。
それ以降は2時間ドラマやサスペンスを中心にテレビドラマや映画に多数出演。
2002年からは「こちら本池上署」でレギュラー出演をされています。
宮本信子さんの長男、池内万作さんは俳優業の他にコラムの連載、WEB音楽番組「MUSIC SHARE」で音楽配信など幅広く活躍されています。
このWEB音楽配信「MUSIC SHARE」は、池内万作さんの奥さんが代表理事を務めています。
池内万作さんはMUSIC SHAREの副理事に就任されているとのことです。
前述した通り、池内万作さんは結婚して奥さんがいます。
池内万作さんが結婚したのは2016年5月4日、44歳の時です。
お相手の女性はミュージシャンの本田みちよさんです。
本田みちよさんは京都府の出身で1973年11月20日生まれ。
2022年で49歳です。
年齢的には池内万作さんとは1歳の違いですね。
本田みちよさんは10歳のころから京都少年合唱団に所属しており、その時からずっと音楽一筋です。
池内万作さんとはWEB音楽番組のMUSIC SHAREのプロデュースで一緒に仕事をするうちに交際、結婚の流れに至ったようです。
義母つまり宮本信子さんとの関係は良好とのことで、宮本信子さんはお嫁さんの本田みちよさんのことをとても気に入っているとのことです。
池内万作さんのお嫁さんの本田みちよさんがこちら。
笑顔が愛くるしい可愛らしい方ですね!
宮本信子の次男
宮本信子さんの次男さんは池内万平さん。
池内万平さんは1975年生まれ。
2022年で47歳です。
宮本信子さんの次男の池内万平さんの画像がこちら。
長男さんの万作さんとはちょっと雰囲気が違いますね。
宮本信子さんの次男さんの池内万平さんは子役の経験がありました。
1984年に父親の伊丹十三さんが監督を務めた「お葬式」に子役として出演。
このお葬式は結婚によって完全に女優業を休業していた宮本信子さんの復帰作でもあり、宮本信子さんが主演を務めています。
また、「お葬式」は宮本信子さんのブレイクするきっかけとなった作品でもあるんですね。
1985年にはやはり伊丹十三さんが監督をされた「タンポポ」に出演。
池内万平さんは2度、子役として映画に出演されていました。
実は、池内万平さんはこの子役の時に助監督から怒鳴られたことがトラウマとなってしまったようで、そのことがきっかけで芸能界に興味を持てなくなったと言います。
それ以後、子役から俳優に復帰することはありませんでした。
宮本信子さんの次男の池内万平さんは現在は、伊丹プロダクションの取締役をされています。
それと同時に宮本信子さんが館長を務めている伊丹十三記念館の評議員も務めています。
宮本信子さんの次男さんは表には出ずに、裏方として父親の残した作品の管理などに従事しているようです。
次男の池内万平さんの結婚に関しての情報はありませんでした。
伊丹十三の死因は?
宮本信子さんの夫の伊丹十三さんは1997年12月20日に64歳の若さで急逝されています。
伊丹プロダクションのある港区麻布のマンションの南側下の駐車場で、飛び降りたとみられる遺体となって発見されで遺体で発見されました。
かつて「ミンボーの女」の公開後に襲撃事件があったことから、反社会的勢力の関与も視野にあったと言います。
事務所には、ワープロで打たれた遺書が発見。
遺書には「身をもって潔白を証明します。なんにもなかったというのはこれ以外の方法では立証できないのです。」と綴られていたそうです。
当時、週刊フラッシュに不倫疑惑などが掲載されたことに対する抗議による投身自殺ではないか?とも憶測が飛び散ったようです。
しかし、伊丹十三さんは自筆に強い拘りを持っていたそうです。
そのため、遺書をワープロで打つことはあり得ないとの声も。
また、亡くなる5日前には医療廃棄物の取材もされていたとのことから、生前の行動を考慮すると自殺説には不自然さが残った形になりました。
結局のところ自殺なのか事件に巻き込まれたのか真相はうやむやに。
伊丹十三さんの自殺説には強い疑念だけが残り続けているのでした。
まとめ
宮本信子さんの息子さんについて紹介しました。
最後までお読み下さりありがとうございます。
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